2018年02月24日(土) 度会橋(宮川)から岩出城跡へのぶらり (徒歩)
岩出城跡(度会郡玉城町岩出)へ向うため宮川を度会橋で渡ると「←250m 尾崎咢堂記念館」の道標に従った。すると川端口バス停の先に社叢が望める。この場所については先日知人から問い合わせを受けて調べたのでここでも紹介しておこう。
道路に面した鳥居をくぐると手水舎もあり、ここは神社の様相を呈している。さらに続く鳥居をくぐると左右に山神、庚申がまつられ、参道の奥には
頑丈な建物が榊が供えられた御垣に囲われている。
以前に調べたことがあったのだが失念していたため改めて伊勢市史第8巻民俗篇を確認すると、そのpp. 388-389に (9) 川端町の御頭神事として紹介されている。それによればこの場所は城田神社の遙拝所であり、この建物は御頭の安置庫とされている。たしかに耐火性、防犯性が確保されているようだ。(しかし、これは市史編纂時の情報なので現状は不明、今も御頭が安置されているのだろうか?)
また、御頭安置庫の左側には遙拝所として城田神社に向けて鳥居が建てられている。
城田神社遙拝所と刻された石標があり、この御垣は二年前に造替されていた。
城田神社遙拝所を後にすると右方向、造成中の敷地越しに朱色の社が望めた。その場所は地蔵院の奥だろう。地蔵院の前にたどり着くとその存在を確認するために、まずはこの脇道を進むと
こんな場所に。お稲荷さんは地蔵院の敷地内にまつられていた。
来た道を戻り地蔵院の境内へ進むと法要の最中だったため、音を立てないように静かに本堂脇へと進んだ。こちらが先ほど見上げたお稲荷さんだったが、名前や由緒を確認することはできなかった。
地蔵院を後にするとしばらく歩くのは熊野古道伊勢路。いままで何度も歩いたことがあるが、二人で歩くのは初めてだ。
【参考】
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(伊勢神宮外宮から田丸まで) 2013年05月25日
- 回想の道(熊野古道伊勢路、外宮北御門〜城田神社) 2014年02月11日
- 伊勢本街道、田丸から北御門(外宮)へ 2016年02月06日
熊野古道を歩いたことを思い出しながらも、本日は岩出城跡に思いを馳せながら・・・
坂東バス停を過ぎた辺りで
瓦を見上げると所々に
製造者の銘が残されていた。
ほどなく菱川にたどり着く。
和合橋の東詰には立つこちらの道標が懐かしく感じた。「新宮まで162km」
和合橋から下流側を望むと桜並木、花見シーズンには美しく咲き誇る。また、菱川はこの先で汁谷川と合流し宮川に至る。
しかし、本日は下流側ではなく、上流側へと進んだ。
中須町の地名板を過ぎると
前方には真っ直ぐな道が続いている。とにかく地道に歩くのみ。チョコレートを頬張り、エネルギーと元気を補給しながら・・・
粟野町へ入ってもさらに直進。
右手方向に社叢のような杜を見つけた。(帰路にて確認したところ八柱神社の社叢だった)
ついに見慣れたことがある交差点に到着。交差する道路は宮川堤防道路から水産総合研究センター養殖研究所玉城分室前を通って小社神社方向へと続いている。この道路を横断するとさらに直進・・・
左手のビニールハウスのシワシワがとても気になったのでパチリ。
さらに、宮川に架かる水管橋も。
やっと直進を終える場所にたどり着くとそこは玉城町上水道水源地だった。水源地は玉城町岩出にあるが農道の右側は玉城町山岡である。この道が境界となっている。
水源地付近からはすでに岩出城跡が遠望できた。しかし、直進できない。今まで真っ直ぐ歩いてきたのにここで阻止される(?)とは・・・。「余り急ぐな!」とのことか。
境界となっている農道に沿うと
こんな風景を背にして
岩出城跡へ近づいた。
【歩いて岩出城跡を訪れた記録】 2018年02月24日
- 岩出城跡を目指してまずは度会橋(宮川)まで
- 度会橋(宮川)から岩出城跡へのぶらり
- 「宮川流域の遺跡を歩く」を携えて訪れた岩出城跡および岩出城下町跡
- 岩出城跡を後にすると下外城田神社から八柱神社(粟野町)・・・