2018年03月10日(土) The Land and the People ペルナッカ スダカラン作品展ほか(伊勢和紙ギャラリー) (徒歩)
午後からは本日より開始された「The Land and the People ペルナッカ スダカラン作品展」を観覧しギャラリートークを拝聴するために大豊和紙工業株式会社(伊勢市大世古)の伊勢和紙ギャラリーを訪れた。
The Land and the People ペルナッカ スダカラン 作品展
Pernacca Sudhakaran 氏は、元国際連合のカメラマン。インド出身。三重県度会郡玉城町在住。
1990年代、カンボジアの地と人々を取材したひとこまを、多彩な伊勢和紙を使って表現します。会期
◎ 2018年3月10日(土) ~ 4月8日(日)
◎ 9:30 〜 16:30
◎ 3月18日(日)・25日(日)・4月1日(日)は休館
3月10日(土) 13:30〜15:00には、作者によるギャラリートークを開催会場 ◎ 伊勢和紙ギャラリー
サブギャラリーにて同時開催
新製品企画展 ◎『眺望』富士と湖畔 ◎ 片野功之輔 / 金森正巳「伊勢和紙Photo 浄ら芭蕉」・「手すき伊勢和紙 純三椏紙・純雁皮紙」など、紙の特徴や作画効果をわかりやすく展示
伊勢和紙 IseWashi より 【引用】
道路から門へ入ると伊勢和紙館の脇を真っ直ぐに進む。伊勢和紙ギャラリーはこの突き当りにあるが寄り道好きな私は
こちらの敷地にまつられている三輪神社の奥に植えられたミツマタの様子が気になった。まずはそちらへの寄り道。
すると少しではあるが所々に黄色い花が咲かせていた。ミツマタの黄色い花を見かけると亀山のミツマタ群生地を訪れたくなってしまう。
【参考】
- ミツマタを求めて、坂本棚田・ミツマタの森・坂本農林公園付近(亀山市安坂山町) 2016年03月27日
ミツマタを後にすると三輪神社にお参りしてから
伊勢和紙ギャラリーへ・・・。
しかし、この雰囲気がいつもと異なった。いつもならこちらの板塀にポスターが貼られているのだが・・・。そんな違和感を感じながら玄関の引き戸をガラガラガラと開けたところ、玄関はたくさんの靴で埋め尽くされていた。今までに見たことが無いほどの靴の数だった。こちらには靴を置くスペースがなかったため、道路に面した正面側の玄関へと案内していただいた。
こちらは作品展の案内はがき(上)とギャラリートークの参加券(下)。
いつものように前振りが長かったが、これからが本文。会場はたくさんの観客で立ち見も出るほどだった。
ペルナッカ スダカランさんは
1980年にニューヨークの国際連合(UN)本部においてカメラマンとして従事し、1991年にイラクの核と化学兵器の写真を撮り、1992年〜1993年には国連カンボジア暫定当地機構UNTACメンバーとして働いた。その後1994年には国連平和維持活動メンバーとしてモザンビークに派遣された。
2005年には国連を退職し日本へ移住すると2009年には田丸小学校、外城田小学校などで英語教育ボランティアとして活動した。現在は玉城町国際交流協会で英会話教室の講師を務める。また伊勢和紙プリントの会・写真クラブ「たまき」に所属し写真撮影も楽しいんでいる。なお、これまでに撮影した写真の一部が、次のホームページで公開されている。
とのこと。
定刻の13時30分になると中北社長の進行によりギャラリートークが開始された。予定は1時間半で前半は今回の主役であるペルナッカ スダカランさんが中北社長や会場からの質問に答える形で語った。
【ペルナッカ スダカラン さん】
今回の作品展の写真は1992年〜1993年に国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)事務総長特別代表であった明石康さんのもとで働いた時のもので、仕事で撮ったものなくプライベートで撮ったものである。
国連での仕事では主に世界から集まる軍や人権問題に関する国連の活動を撮っていた。当時のカンボジアはポルポト政権の圧政により長い内戦が続き人々は他者と話すことに怯えていた。たとえ国連が入っても難民をカンボジアに戻すのは大変で、国連の主な仕事は初選挙を実施させることだった。また、地雷があちこちに残され歩くのが怖く、撤去は大変だった。
<こちらの写真には圧政に苦しめられたカンボジアの人々が幸せそうに写っているが>
カンボジアの人々は元来、気さくで心優しいため私に心を開いてくれた。
<なぜに和紙で表現しようと思ったのか?>
この質問に答える前、「最初に言うべきだった」と非礼を詫びながら本写真展を企画された中北社長、実際に和紙へのプリントを担当した林隆久さん、本多ひささんおよびその他関係者の方々にお礼を述べた。そして、和紙にて表現した理由として通常のプリントとは異なる温かみ、遺跡を表現するには適していた。
<その後、宗教の話にも及び、>
今のカンボジアは仏教徒が主流であるが、遺跡はヒンズー教の寺院として造られたものが仏教の寺院として使用されているものが多い。私(ペルナッカ スダカランさん)の宗教観は日本人に近いもので宗教では戦争ができないタイプだ。
<なぜにインドを離れてこの仕事を>
学生時代は経済学を勉強したが、ジャーナリズムを勉強したくインドを出て世界を見たかった。
写真とは関係なくドイツで二年間仕事した後、学生ビザでニューヨークへ向かった。ニューヨークでは中北社長が通信で卒業したNew York Institute of Photographyで学んだ。さらに無給で国連のインターンとなった。
写真に興味を持ったのは父の影響だ。父は1964年に仕事で日本を訪れるとCANONのカメラを持ち帰った。持ち帰えられたカメラ、生花、レスリングの情報で日本に興味を持つと共にカメラへの興味が芽生えたがカメラマンになるとは想像していなかった。
<カンボジアのPKOで日本人が二名亡くなったが・・・>
車のキーが盗まれたり、車自体が盗まれることは何度とあったが危険とは思わなかった。危険は地雷飲みだた。
<アンコールワットの石はどこから?>
近くに石が採れる場所がないので、川で運ばれたのだろう。しかし採取地はわからない。
<写真展で20数年前のカンボジアを振り返ってどう感じる>
こちらの女性は10〜20kgの荷物を担いでいた。また、子どもたち・・・、彼らがどうしているのかと・・・
<その後、カンボジアを訪れた?>
8年前に訪れた。現地は大きなホテルも多く風景は大いに変化していたが、人々の優しさに変化は無かった。
(途中で、写真のセレクト、プリントに携わった林隆久さんと本多ひささんがその時のコトを語った。)
【林隆久 さん】
ペルナッカ スダカランさんは英会話の先生で、玉城町の写真クラブに誘った。今回はカンボジアのテーマに絞り、観光では見えないところをセレクトした。
カンボジアには行ったことはないが、どのように表現するか? を悩みながら見る人が「いいな」と思える色に近づけるように心がけた。多いものでは20枚は印刷した。また、紙の選択も大変だがその苦労も楽しい。
【本多ひさ さん】
ペルナッカ スダカランさんのことは伊勢和紙プリントの会で知っていた。たくさんのプリントを見せていただき、みんなが生きていることが感じられた。ここからはとても虐殺や戦争は感じられなかった。宗教的なものと人は離れられないと感じた。
以上で前半を終了するとギャラリートークは後半に突入した。後半はサブギャラリーで新製品企画展 『眺望』富士と湖畔を展開し、「伊勢和紙Photo 浄ら芭蕉」・「手すき伊勢和紙 純三椏紙・純雁皮紙」の持ち味を十分にアピールしている片野功之輔さんと金森正巳さんが登場した。
【片野功之輔さん】
普段はクリスタルでやっているが、金森さんより一枚出して欲しいと頼まれて始めたらこんなになってしまった。クリスタルに凹凸感はないが和紙には凹凸感があり、茶畑は和紙の効果で丸く見える。今年は津市のリージョンプラザで写真展を開催する予定で、和紙の富士山を展示する。
【金森正巳さん】
今年で後期高齢者の仲間入りしました。
写真は撮るだけではダメで、自分で仕上げて他者に見せるまでやらないといけない。退職するまでは電源開発に勤務し佐久間や紀伊半島を転々とした。幸いなことに各勤務先には全て暗室があり、職場の仲間とその暗室を利用してモノクロ写真を楽しんでいた。紀伊半島の現場では職場のカメラマンと仲良くなり、多数撮り、現像した。
しかし、結婚して小遣い制になると記念写真を撮る程度になってしまった。
50歳を過ぎた頃、「これではいかん!」と思った。ちょうどその頃にデジタルカメラが市場に出てきた。調べるとデジタルカメラのデータ形式にはJPEG、RAW、TIFFの3種類がありJPEGは加工できないと知ると自分の期待色を再現できるRAWで撮影することを決めた。
Nikon D200で2007年に撮影したポプラはRAWで保存してあり、今でも思い通りに現像しプリントすることができました。
また、こちらで開催した涸沢の展示以降、伊勢和紙の虜となってしまった。
【参考】
- 涸沢・上高地 伊勢和紙に描く 金森正巳作品展(伊勢和紙ギャラリー) 2016年05月21日
今回、サブギャラリーで詳細しているように和紙選びは奥が深く、比較できるように同一の写真を各種の和紙に印刷して並べた。それは紙の質による表現の変化を感じてもらうためである。斜め30〜35度で観るとよくわかっていただける。
【中北社長】
神宮に神札用の和紙を納めるために誠実に紙をすいてきた。神札の文字も手書き、活版印刷、オフセット印刷、プリントと時代と共に手法が変化するなか、紙の仕上げを変化させてきた。この過程で印刷できる紙ができあがった。
インクジェットプリンタが登場した頃からこのように写真を印刷できるようになってきた。
銀座松屋での受講した写真講座 New York Institute of Photography で講師の美輪薫さんとであった。三輪さんに和紙を見せたところ「こんな薄い紙でどうする」との指摘を受け、プリントに適した厚めの和紙の開発を勧められ今に至る。
【参考】
- 伊勢和紙による三輪薫「仏蘭西・巴里」とフォトワークショップ「風」写真展(伊勢和紙ギャラリー) 2016年02月27日
- 伊勢和紙による 三輪 薫 写真展「こころの和いろ」@伊勢和紙ギャラリー 2017年09月18日
自身で目にした色、PCのモニター上での色、印刷の色はそれぞれ異なるが、自分の色があればそれを再現することはさほど難しいことではない。なかなか自分の色を持っている人は少ないので、思った色で印刷できるように環境、ツールでフォローできるように様々な実験を重ねてプリントメソッドを確立し、サポートできる体制を整えている。
【ペルナッカ スダカラン さん】
最後にペルナッカ スダカラン さんが語ったのは
細かい説明は不用、つまり言葉ではなく写真を観て感じて欲しい。個々に自由なイメージを持って欲しい!
ペルナッカ スダカラン さんは、今年の10月に三重県立美術館で個展を計画しているそうだ。楽しみ!
ペルナッカ スダカラン さんの写真にはご自身の優しさが滲み出ているように思えた。今回は拝観者が多数でじっくりと拝観できなかったので、改めて訪れよう!
ぜひとも 伊勢和紙ギャラリーへ!
【参考】 過去に拝観した伊勢和紙ギャラリーでの展示