勢田川・五十鈴川・朝熊川・一宇田川ほかのぶらぶら

2018年08月18日(土) 勢田川・五十鈴川・朝熊川・一宇田川ほかのぶらぶら (徒歩)

今日はどうしても御塩殿神社と朝熊神社、神宮神田の3箇所をめぐりたかった。すべてを歩いてつなぐために朝8時頃に自宅を出発した。一色大橋で勢田川を渡り、勢田川と五十鈴川の合流点を確認してから五十鈴川を越えた。さらには五十鈴川と朝熊川の合流点から朝熊川を遡り、途中で朝熊川へと合流する一宇田川付近を巡った。そして、最後には五十鈴川へ戻ると周辺をぶらぶらしてから倭姫宮経由で帰宅。

このようにタイトルに示した川々に誘われながらぶらぶらと歩いていたのだった。

まずはご近所の河原神社(豊受大神宮 摂社)にお参りしてから

河原神社(豊受大神宮 摂社)の社叢

河原神社(豊受大神宮 摂社)の社叢

 

馬瀬のバスのりばを目指した。

BUS STOP 馬瀬 三重交通

BUS STOP 馬瀬 三重交通

 

民家の間に続き折れ曲がる狭い道を進むと馬瀬神社の前へ出る。

馬瀬神社(伊勢市馬瀬町)

馬瀬神社(伊勢市馬瀬町)

 

お参りを終えるといつものルートで日和神社へ移動した。

日和神社(伊勢市下野町)

日和神社(伊勢市下野町)

 

その後、神社港バス停ヘたどり着くとバス停の先には一色大橋が望める。

BUS STOP 神社港 三重交通

BUS STOP 神社港 三重交通

 

しかし、せいては事を仕損じる。まずは左側の道を進むと途中で左手の民家が建ち並ぶ中へ入った。

その先には御食神社が鎮座している。御食神社はお伊勢さん125社であるとともにこの地域の産土神である。

御食神社(豊受大神宮 摂社)

御食神社(豊受大神宮 摂社)

 

また、この近くには神社港公民館があり、その前には

神社港公民館付近(伊勢市神社港)

神社港公民館付近(伊勢市神社港)

 

背の高いさんぐう道標が立っている。

さんぐう道標(伊勢市神社港)

さんぐう道標(伊勢市神社港)

 

お参りを終えてから一色大橋で勢田川を渡ると

一色大橋(勢田川)

一色大橋(勢田川)

 

一色町側には一色渡船場跡を示す石碑が建っている。この裏へ進むと

一色渡船場跡付近(伊勢市一色町)

一色渡船場跡付近(伊勢市一色町)

 

小さな漁港のようなスペースがある。ここは勢田川の下流であるが、堤防道路を歩いて五十鈴川との合流点を目指すと

一色渡船場跡付近(伊勢市一色町)

一色渡船場跡付近(伊勢市一色町)

 

その途中に十貫松跡がある。

十貫松跡(伊勢市一色町)

十貫松跡(伊勢市一色町)

 

十貫松の美談
昔[1450年頃]、ここ向崎岬は松林のある船着場で一本の大きな松が生えていました。
商用を兼ね伊勢参りに来た船道者が両宮を参拝し、取引先で集金したお金十貫文入った巾着をその松の枝にぶら下げて船待ちをしていました。[船が出るぞ]の声でそのまま急いで船に乗り込んでしまいました。
その船道者は、船が走り出しても気付くことなく船旅を続け、しばらくして巾着を忘れたことを思い出しましたが、どうすることも出来ません、仕方なく諦めかけていましたが、翌年も集金に来て、その松の木を見ますと巾着がお金も入ったままで松の枝に油紙で保護されてそのままぶら下がっていました。
それからいつしか誰言うとなく、村人の善行を称えてこの松は「十貫松」と呼ばれるようになりました。
一色に伝わるいい話です。1498年の明応大地震で向崎岬も崩壊し、明治になってその松も消えてしまいましたが、私達の心には今も消えずに語り継がれています。
平成21年1月建立 一色町自治会

 

勢田川と五十鈴川の合流点を過ぎると

勢田川と五十鈴川の合流点

勢田川と五十鈴川の合流点

 

堤防の左手は五十鈴川、右手には

堤防道路を一色渡船場跡から汐合大橋方向へ

堤防道路を一色渡船場跡から汐合大橋方向へ

 

溜池が広がっている。この先では堤防道路の内側にこのような水辺が続く。

堤防道路付近の池(伊勢市一色町)

堤防道路付近の池(伊勢市一色町)

 

五十鈴川戸部神排水樋門付近には鳥居があり、小祠がまつられている。

戸部の神(伊勢市一色町)

戸部の神(伊勢市一色町)

 

こちらは一色神社の末社、戸部の神である。

戸部の神の説明板(伊勢市一色町)

戸部の神の説明板(伊勢市一色町)

 

戸部(とべ)の神(かみ)
戸部の神は一色神社の末社である。
もともとは風水害、地震等で堤の被害が度重なるために、一色神社から稲荷大明神、戸部命、津彦命を鎮守の神(三神)として奉ることとして、1722年(享保7年)に祭ったものである。
近年までその位置は、今よりも少し南の月の輪堤付近にあったが、排水機場の設置にあたり、月の輪堤が除去されたため、現在の位置に移された。
毎年7月の土用に入った最初の「亥」の日に豊作祈願して祭りが行われる。
平成17年5月建立

 

堤防道路をさらに先へ進むと、右手には田んぼの間を流れる用水路を何本も目にすることだろう。真っ直ぐに伸びる水路は壮観である。

堤防道路から望む水田の中の用水路(伊勢市一色町)

堤防道路から望む水田の中の用水路(伊勢市一色町)

 

さらに国道42号へ近づくと右手前方には月の輪状に作られた堤が現れる。

大切戸の月の輪堤(伊勢市一色町)

大切戸の月の輪堤(伊勢市一色町)

 

「大切戸の月の輪堤」説明板(伊勢市一色町)

「大切戸の月の輪堤」説明板(伊勢市一色町)

 

大切戸(おおきれど)の月の輪堤
昔は、鶴松浜新田の東に流れる汐合川(現五十鈴川)から田を守るために、堤には二ヶ所の「圦(いり)」(一色ではユルと言う)があった。
堤も圦も貧弱で風水害、地震等により度々欠壊し、その都度、奉行所へ願い出ては借金して修復した。
一色古文書によれば、1849年(嘉永2年)の修復では、より堅牢なものを造ろうと、大切戸と戸部の二ヶ所に月の輪型の水門が二重になっている仕組みの堤を工夫した。
作るに当たっては、再三専門家の意見を聞き、また奉行所へも工事修正などを申し出て作った労作である。
今残っているのは、この大切戸のもの一ヶ所である。
平成17年5月建立

 

先ほど通り過ぎた「戸部の神」付近にもこちらと同様な月の輪堤が設置されていたようだ。

 

堤防道路から国道42号へ出ると汐合大橋で五十鈴川を渡った。

汐合大橋(五十鈴川)

汐合大橋(五十鈴川)

 

しばらくは国道を歩き、荘1交差点で左へ折れると田んぼの間をウロウロとしながら御塩殿神社を目指した。

国道42号から御塩殿神社(皇大神宮 所管社)へ

国道42号から御塩殿神社(皇大神宮 所管社)へ

 

最終的にこの場所へたどり着くと右へ曲がった。道なりに進めは御塩殿神社にたどり着く。

国道42号から御塩殿神社(皇大神宮 所管社)へ

国道42号から御塩殿神社(皇大神宮 所管社)へ

 

こちらで、御造替の様子を確認してから鳥居を背にしてその前の道を進んだ。

御塩殿神社(皇大神宮 所管社)

御塩殿神社(皇大神宮 所管社)

 

振り返ってパチリ。この後は田んぼ道をくねくねと歩いてから

御塩殿神社(皇大神宮 所管社)を後にして

御塩殿神社(皇大神宮 所管社)を後にして

 

御塩道にたどり着いた。途中でコストパフォーマンスの良い草餅を買い求めると頬張った。

御塩道にて腹ごしらえ(国道42号荘1交差点付近)

御塩道にて腹ごしらえ(国道42号荘1交差点付近)

 

しばらくは御塩道を歩いたが、突き当りで右へは折れずに左へ折れた。目的地からは遠ざかるが、今まで歩いたことのない道を歩きたい虫が疼いた。左方向へ進むと公園となっている山田原公民館にたどり着いた。

山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

 

その一画には若宮八幡宮(?)遙拝所があり、

若宮八幡宮遙拝所、山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

若宮八幡宮遙拝所、山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

 

消防車庫前には多数の庚申塔などが並べ置かれていた。

庚申塔ほか、山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

庚申塔ほか、山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

 

山田原公民館を後にすると密厳寺跡付近からパチリ。ここから溝口方向へ進むのだが

密厳寺跡付近から望む山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

密厳寺跡付近から望む山田原公民館(伊勢市二見町山田原)

 

山田原を少し散策しているとこんな踏切を見つけた。遮断機も何もない。

JR参宮線 山田原第二踏切

JR参宮線 山田原第二踏切

 

先ほどの場所まで戻ると密厳寺跡の敷地に接する道を溝口の方へと歩いた。五峰保育園の前を過ぎるとこの場所へ出た。左の坂を上れば光の街へたどり着く。ここはこの道路を横断して直進した。

JR参宮線を越え光の街へと続く坂道(伊勢市二見溝口)

JR参宮線を越え光の街へと続く坂道(伊勢市二見溝口)

 

さらに進むと前方には背の高いビニルハウスが望めた。見覚えのある光景、あれに見えるは神宮御園だった。

神宮御園方向の遠望(伊勢市二見溝口)

神宮御園方向の遠望(伊勢市二見溝口)

 

神宮御園にたどり着くとその周囲を左へ巻くように進んだ。

神宮御園付近(伊勢市二見溝口)

神宮御園付近(伊勢市二見溝口)

 

その突き当りで五十鈴川へ戻ると川を渡るJR参宮線を眺めた。

五十鈴川を渡るJR参宮線の遠望

五十鈴川を渡るJR参宮線の遠望

 

姫宮稲荷大明神(二見神社)にてお参りを済ませると

姫宮稲荷大明神(二見神社)(伊勢市二見町溝口)

姫宮稲荷大明神(二見神社)(伊勢市二見町溝口)

 

今度は汐合大橋の上流側に架かる汐合橋を渡った。その西詰に立つ道標には「左 内宮」と刻されているため、それに従い左へ折れた。

汐合橋西詰にある「左 内宮」の道標(伊勢市通町)

汐合橋西詰にある「左 内宮」の道標(伊勢市通町)

 

五十鈴川の左岸から離れると道なりに進んだ。「止レ」遭難供養碑兼標識を過ぎるとその先にある踏切は

「止レ」遭難供養碑兼標識(JR参宮線 内宮踏切付近)

「止レ」遭難供養碑兼標識(JR参宮線 内宮踏切付近)

 

「内宮踏切」である。内宮まではかなり遠いがなぜにこの名が付けられたのだろうか?

JR参宮線 内宮踏切

JR参宮線 内宮踏切

 

答えのでない疑問について考えながら加努弥神社(皇大神宮 末社)を目指した。

JR参宮線 内宮踏切〜加努弥神社(伊勢市鹿海町)

JR参宮線 内宮踏切〜加努弥神社(伊勢市鹿海町)

 

丁字路に突き当たると左側の遠くに安土城天主閣を望んだ。それを背にすると、水路に沿って歩いた。

JR参宮線 内宮踏切〜加努弥神社(伊勢市鹿海町)

JR参宮線 内宮踏切〜加努弥神社(伊勢市鹿海町)

 

先程の川辺は石積みだったが、この辺りは木の板と杭で土留されていた。

JR参宮線 内宮踏切〜加努弥神社(伊勢市鹿海町)

JR参宮線 内宮踏切〜加努弥神社(伊勢市鹿海町)

 

車に注意しながら狭い田んぼ道をやり過ごすと加努弥神社(皇大神宮 末社)にたどり着いた。こちらは石神さまなので、御造替や大修繕の対象にはなっていないのだろうか?

加努弥神社(皇大神宮 末社)

加努弥神社(皇大神宮 末社)

 

朝熊神社方向を遠望すると

加努弥神社(皇大神宮 末社)から望む朝熊神社(同摂社)方向

加努弥神社(皇大神宮 末社)から望む朝熊神社(同摂社)方向

 

加努弥神社を後にし、五十鈴川に架かる堀割橋を目指した。

加努弥神社(皇大神宮 末社)の社叢

加努弥神社(皇大神宮 末社)の社叢

 

堀割橋にて五十鈴川を渡ると右岸の堤防道路を下った。

五十鈴川の架かる堀割橋から望む朝熊神社方向

五十鈴川の架かる堀割橋から望む朝熊神社方向

 

その先では、左側から五十鈴川が流れ、右側から朝熊川が流れ着き、その合流点に鏡宮神社が鎮座している。

鏡宮神社(皇大神宮 末社)

鏡宮神社(皇大神宮 末社)

 

こちらは鏡宮神社の参道から左に見える木場(内宮造営貯木場)跡。かつて式年遷宮で使用される御用材を貯め置いた場所だった。

木場(内宮造営貯木場)跡付近、鏡宮神社(皇大神宮 末社)にて

木場(内宮造営貯木場)跡付近、鏡宮神社(皇大神宮 末社)にて

 

鏡宮神社の裏手から朝熊川を眺めるとこちらを後にした。

鏡宮神社(皇大神宮 末社)から望む朝熊川

鏡宮神社(皇大神宮 末社)から望む朝熊川

 

朝熊川に架かる歩道を渡ると

朝熊川に架かり鏡宮神社と朝熊神社をつなぐ歩道橋

朝熊川に架かり鏡宮神社と朝熊神社をつなぐ歩道橋

 

朝熊神社(皇大神宮 摂社)へ移動した。

朝熊神社(皇大神宮 摂社)

朝熊神社(皇大神宮 摂社)

 

朝熊神社(皇大神宮 摂社)は内宮の第一摂社であり、朝熊御前神社と並立してまつられている。

朝熊御前神社および朝熊神社(ともに皇大神宮 摂社)

朝熊御前神社および朝熊神社(ともに皇大神宮 摂社)

 

お参りを終えると先ほどの歩道は渡らずに朝熊川の右岸を進んだ。

朝熊川に架かり鏡宮神社と朝熊神社をつなぐ歩道橋

朝熊川に架かり鏡宮神社と朝熊神社をつなぐ歩道橋

 

途中で左へ下るとトンネルで伊勢二見鳥羽ラインをくぐった。その先では稲刈りが真っ最中だった。

朝熊川右岸から離れ伊勢二見鳥羽ラインのトンネルへ

朝熊川右岸から離れ伊勢二見鳥羽ラインのトンネルへ

 

稲刈り風景を左手に見ながら朝熊川の右岸へ戻るとパチリ。

朝熊川(伊勢市朝熊町)

朝熊川(伊勢市朝熊町)

 

その先で朝熊川から離れて道路を歩くと近畿自然歩道の道標に出会う。この辺りで周囲を確認すると

「←朝熊駅0.5km 御塩浜4.6km→」近畿自然歩道の道標

「←朝熊駅0.5km 御塩浜4.6km→」近畿自然歩道の道標

 

あんな所(一宇田川の右岸)に道標を見つけてしまった。その道標に誘われるように足を進めると

偶々見つけた一宇田川右岸の道標へ(伊勢市朝熊町)

偶々見つけた一宇田川右岸の道標へ(伊勢市朝熊町)

 

こちらが目的の場所だった。

一宇田川右岸の道標ほか(伊勢市朝熊町)

一宇田川右岸の道標ほか(伊勢市朝熊町)

 

この道標には「さんぐうミち」と刻されていた。その左側は「みや」と読めるのだがその下が?

一宇田川右岸の「さんぐうミち」道標(伊勢市朝熊町))

一宇田川右岸の「さんぐうミち」道標(伊勢市朝熊町)

 

いつもならこの先で右に折れるのだが、今日は一宇田川をさらに上流方向へ進むことにした。よくよく考えると一宇田町を歩いたことがなかったから・・・。

一宇田川を遡って(伊勢市一宇田町)

一宇田川を遡って(伊勢市一宇田町)

 

民家の間を奥へ奥へと進むと丸い時計が設置された場所にたどり着いた。ここは人が集まる場所だろうか? 左方向への道を進むとその先にあったのは

臨済宗靜隱庵付近(伊勢市一宇田町)

臨済宗靜隱庵付近(伊勢市一宇田町)

 

臨済宗靜隱庵だった。しかし、入口にはロープが張られ出入りが規制されていた。

臨済宗靜隱庵(伊勢市一宇田町)

臨済宗靜隱庵(伊勢市一宇田町)

 

靜隱庵を後にするとさらに奥へと・・・

さらに奥へと(伊勢市一宇田町)

さらに奥へと(伊勢市一宇田町)

 

道幅はどんどん狭くなっていった。

さらに奥へと(伊勢市一宇田町)

さらに奥へと(伊勢市一宇田町)

 

百日紅の樹の下には祠があり、石仏がまつられていた。さらに奥へと進んだところ「有害ワナ」の注意看板を見つけたので危険を感じて引き返した。

さらに奥へと(伊勢市一宇田町)

さらに奥へと(伊勢市一宇田町)

 

その後、町内をさらに散策していると一宇田川の流れを見つけたので遡ると山之神社を見つけた。

山之神社付近(伊勢市一宇田町)

山之神社付近(伊勢市一宇田町)

 

この山之神社脇の道をさらに奥へ進むとこの道はかつての一宇田岳道へと続いていたのだろうか?(今は途絶えていると聞く)

山之神社付近から奥へ(伊勢市一宇田町)

山之神社付近から奥へ(伊勢市一宇田町)

 

途中で引き返すと

一宇田川と山之神社(伊勢市一宇田町)

一宇田川と山之神社(伊勢市一宇田町)

 

山之神社にお参りした。

山之神社(伊勢市一宇田町)

山之神社(伊勢市一宇田町)

 

山之神社を後にすると高台へと続く舗装路を上り、振り返ってのパチリ。その頂上から下ると

高台から山之神社を振り返って(伊勢市一宇田町)

高台から山之神社を振り返って(伊勢市一宇田町)

 

左手に一宇田町公民館があった。公民館の向かい側にある路地を右方向へ進むと

一宇田町公民館(伊勢市一宇田町)

一宇田町公民館(伊勢市一宇田町)

 

広いスペースが確保されていた。ここは何だろう?

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

 

その片隅には多数の庚申塔などがまつられ、

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

 

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

 

高く盛られた土の上には礎石が並んでいた。何が建っていたのか?

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

庚申塔などが並ぶ広場(伊勢市一宇田町)

 

初めて訪れた一宇田町を後にすると神宮神田を目指した。

一宇田町から神宮神田へ

一宇田町から神宮神田へ

 

矢田橋を過ぎれば・・・

矢田橋付近(伊勢市楠部町)

矢田橋付近(伊勢市楠部町)

 

9月4日に抜穂祭が斎行される神宮神田を眺めてからその近くに鎮座する大土御祖神社(皇大神宮 摂社)ほかにお参り。神宮神田の方を振り返るとパチリ。この後どうするか? 本日は積極的に初めての道を歩いていたので、いまだ訪れたことにない(家田田上宮の候補とされる)櫲樟尾神社舊蹟を目指した。

大土御祖神社(皇大神宮 摂社)ほか付近

大土御祖神社(皇大神宮 摂社)ほか付近

 

周囲に大きな石が積まれた櫲樟尾神社舊蹟を楽しむとその周辺をさらにぶらぶら。

櫲樟尾神社舊蹟を後にして(伊勢市楠部町)

櫲樟尾神社舊蹟を後にして(伊勢市楠部町)

 

五十鈴川の右岸に出てから堤防道路を下流方向へ戻ったところ

五十鈴川を渡る近鉄鳥羽線

五十鈴川を渡る近鉄鳥羽線

 

こんな場所で

小祠を見つけた付近から望む五十鈴川の下流方向(伊勢市楠部町)

小祠を見つけた付近から望む五十鈴川の下流方向(伊勢市楠部町)

 

隠されるようにまつられている小祠を見つけた。

五十鈴川右岸で見つけた小祠(伊勢市楠部町)

五十鈴川右岸で見つけた小祠(伊勢市楠部町)

 

お参りしてから土手を見上げてのパチリ。

五十鈴川右岸で見つけた小祠付近(伊勢市楠部町)

五十鈴川右岸で見つけた小祠付近(伊勢市楠部町)

 

先ほど櫲樟尾神社舊蹟方向を遠望するとそろそろカメラの予備電池も電池切れが近づいた。

五十鈴川右岸からの櫲樟尾神社舊蹟方向の遠望(伊勢市楠部町)

五十鈴川右岸からの櫲樟尾神社舊蹟方向の遠望(伊勢市楠部町)

 

この後は倭姫宮(この時にはバッテリー切れで撮影できず)にお参りしてから帰路についた。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*