2021年02月20日(土) 福井文右衛門 代官のおかげで掘られた水路は、なぜに今も神服織機殿神社の社域を流れる? (車、徒歩)
神服織機殿神社にてお参りを終えると
いつもなら速やかに伊勢へ戻るのだが、今日は陽気が良く社叢の周囲を散策しようと・・・
以前にも紹介したように特別な水路が神服織機殿神社の社域を通り抜けている。
その詳細については次の記事に譲ることとし
【参考】
- 神服織機殿神社(皇大神宮所管社)の社叢へ流れ込む水路 2016年05月01日
- ぶらりで見つけた福井文右衛門 代官 自尽の地(松阪市保津町) 2018年05月04日
- 神服織機殿神社を流れる水路(福井水路)を追いかけ福井文右衛門 代官に思いを馳せる 2018年05月13日
ここでは水路の現状を確認した。
参道入口の鳥居に向かって右方向へ社叢に沿って進むとこちらにたどり着く。次の写真が、福井文右衛門 代官が命をかけ村民のために村民に掘らせた水路(福井水路)の現状である。
この水路はこの先(左方向)で神服織機殿神社の社叢へ入ると
社叢の東側の縁を流れている。(社叢の中へと続く獣道のような穴から覗くと水路を確認できるから)
社叢に沿った道路はこちらで福井氏流水記功碑へたどり着く。
【参考】 記功碑についてはこちら。
- 福井文右衛門を偲んで咲く、神服織機殿神社(皇大神宮 所管社) 2020年04月04日
福井水路は、記功碑の奥、
この部分で神服織機殿神社の社叢から流れ出る。
福井文右衛門 代官が命をかけてまで神服織機殿神社の社域に水路を掘らせたのであれば、現在確認できるような社叢の縁に沿って掘らせたのではないだろう。以前に水路の近くで出会った男性は
社叢の境界が松阪市と明和町の境界で、圃場整備されるまではこの辺りでも田んぼの間に林が点在していた。機殿さんの敷地はもっと広かった。
と語ってくれた。
水路が掘られた頃は現在の社叢よりもさらに東側に広がっていて、その後に水路に沿って社域が縮小されたと考えられる。水路は社叢の縁を流れているのだがら、社域が縮小された際に水路の内側まで社域を縮小する選択肢はなかったのだろうか?
水路の維持管理を考えれば、社域外にあった方が良さそうなものである。
これらの経緯はいかに?
何を調べればわかるのだろうか? そんなことを考えながら遠回りして社叢を遠望してから
改めて福井氏流水記功碑を・・・