2018年10月21日(日) 「玉城の魅力を再発見! 玉城・田丸城下まち歩き」ツアー (車、徒歩)
このツアーでは、まちかど博物館「工房もりもと」や玄甲舎を訪れるとのこと、とても興味があった。
まちかど博物館「工房もりもと」は狭田国生神社(皇大神宮 摂社)の近くにあり、お参りの際にその前を通ってはいたものの、個人宅のようなので訪れることをためらっていた。
また、玄甲舎は田丸城主久野丹波守の家老で畿内の茶人三傑の一人とうたわれた金森得水が設計・建築した御自身の別邸(茶室)である。玉城町はこの貴重な建物を修復して活用することを進めている。
(この文章はパンフレットより抜粋し加筆したが、「畿内の茶人三傑」の残るふたりとは誰だろう? 調べたが分からず。)
現在、建物の修復は完了したが庭の整備などが続けられ一般公開は限定的となっている。(現時点では毎週木曜日、清掃と風通しのために玄光舎が開けられるため、玉城町教育委員会に事前連絡すればこの日に限り見学できるそうだ。)このような限定公開のなか、日曜日に見学できる機会はまたとないチャンスだ。
特に、修復前に玄光舎を見学したことがあったので修復後の姿を早く観たい・・・。
【参考】
- 金森得水 別邸(茶室)「玄甲舎」本格的な修復前の一般公開(度会郡玉城町佐田) 2017年04月29日
ただし、この日は午後から伊勢古文書同好会の勉強会への参加を予定していたためツアーへの参加は断念せざるをえない・・・
ツアー参戦を諦めていたところ、知人であり本ツアーを主催する株式会社 旅行屋の御村一真さんから「午前中だけでも参加OKですよ。」とお誘いいただいた。それなら玉城ツアーも古文書もどちらもOK、しかも「工房もりもと」と「玄甲舎」は午前に巡るスケジュールとなっていた。(完璧だ!)二つ返事でツアー参加を表明した。
当日の集合は、玉城町役場駐車場、8時45分。目覚めてからワクワクしていた私は集合時刻の30分前に現地到着した。まだ誰も集まっていなかったので田丸神社へのお参りを済ませた。
田丸神社でしばし佇んでいたため駐車場へ戻った時は、すでに8時45分となっていた。
私が到着すると程なく「玉城の魅力を再発見! 玉城・田丸城下まち歩き」ツアーが開始された。
本日に巡るルートはパンフレットのものと一部が変更されていたが、「工房もりもと」と「玄甲舎」は予定通り。(午前中だけ参加の私は青文字の部分だけ、ただしツアーと別れてから先回りして田丸城跡だけには訪れた。)
玉城町役場 -> 大手門跡前 -> 熊野道標 -> (伊勢本街道) -> 内宮摂社 狭田国生神社 -> まちかど博物館「伊勢根付&陶芸/工房もりもと」 -> (JR参宮線 勝田踏切) -> 町指定文化財「玄甲舎」 -> 昼食(ゆずり葉の弁当) -> 続日本100名城「田丸城跡」「村山龍平記念館」「奥書院」 -> 玉城町役場
【大手門跡付近】
【田丸勘定所跡】
この説明板はあまり意識したことがないので、ツアー参加も重要だ。
【赤門久野屋敷跡】
【ミヱマン醤油醸造元 合資会社西村商店】
【街道の分岐点】
この場所を訪れるともう5年以上も前になるが、熊野古道伊勢路を歩いたことを思い出す。
【参考】
街道の分岐からは伊勢本街道(熊野古道伊勢路)を伊勢方向へ進んだ。
【磁石橋付近】
この先には
以前「田丸磁石橋跡」の説明板が立っていた。
そして橋自体はこんな状態だった。
今は立派な欄干が付けられた橋になっていて、その写真を撮ろうと思った瞬間、私の視界に一台のワンボックスカーが現れた。その中には辛櫃とおぼしきモノと神職の姿・・・、その車には神宮司廳の文字を見た。
神嘗祭の巡回だったのだろうか?
一瞬の出来事であったがツアーの一行は先へと進んでいたため、新しい磁石橋を撮ることを忘れて後を追った。
ここは伊勢本街道とJR田丸駅との分岐であり、「武者隠し」の石柱がある。
この先で、瓦の形状と時代についての説明を受け、
武者隠しの現場を確認しながら
狭田国生神社に到着した。
【狭田国生神社(皇大神宮 摂社)】
美しく掃き清められた参道を進むと
全員でお参り。
狭田国生神社を後にすると目と鼻の先にあるまちかど博物館「工房もりもと」を訪れた。
【まちかど博物館「工房もりもと」】
入口には「まちかど博物館」の看板とともに「伊勢根付 & 陶芸 工房もりもと」の看板が掲げられている。
【参考】
こちらは上のリンクでも説明されているように根付職人である森本節治さんが館長を務めるまちかど博物館である。しかし、ご自宅の玄関を入るとこのように・・・
根付だけでなく、多数の陶器や古家具が展示されている。
なんと趣のある空間だろう。実は妻の榮子さんは陶芸家で萌榮窯を主宰しているそうだ。
玄関の展示スペースを抜けてこちらの居室へお招きいただくとテーブルの上には多数の根付が所狭しと並べられていた。
各根付に添えられた桐の箱にはそれぞれの銘が記されている。
ただ美しく、精緻に作るだけでなく、それぞれがひとひねりの逸品である。
また、節治さんの作品とともに榮子さんの作品も拝見した。
手にとりながら作品を堪能させていただき、素晴らしい時空を楽しんだ。
玄関のギャラリーへ戻るとさらに迷い(本物、それとも)の空間に・・・
そんな迷いを振り払うように改めて根付の作品群を眺めてから工房もりもとを後にした。(すべてが本物だ!)
我々は、「いつでも寄ってください!」との優しいお言葉に送られて玄甲舎へ向かった。私達の姿が見えなくなるまで見送ってくださったお二人に感謝! (再訪したい場所だ。なんであんなに訪問をためらっていたのだろう。)
JR参宮線 勝田踏切を渡ろうとするといきなり踏切の警報機が鳴り出した。
これは快速みえ? 通過。(勝田踏切を渡ってから振り向いてのパチリ。)
勝田踏切の近くにはこの説明板がある。こちらで説明を聞いていたが
その近くに立っているこの木が気になった。この幹は一回転しているではないか。この形状はどのように作り出されたのだろう?誰かの作品?
【町指定文化財「玄甲舎」】
教育委員会の方が説明のために待ってくれているとのことなので、先を急ぐと
自己紹介(玉城町教育委員会 平生さん)と概要説明(・・・玄甲舎はJR参宮線に隣接しているが、線路部分も玄光舎の敷地であり当時の国鉄に貸し敷地を半減させたとのこと。それが玉城町の発展に貢献している。など)
の後に、玄甲舎の中へ・・・
私は、先に紹介した修復前の様子と自分なりに比較しながら拝観した。
玄甲舎の拝観を終えると午前のツアーは終了となったため、昼食へと向かう一行と別れた。
私自身の午後の部(伊勢図書館で実施される伊勢古文書同好会の勉強会)までは移動を考えても1時間以上の余裕があったため、玉城ツアーで午後に巡る田丸城跡を先取りすることにした。
玄甲舎を後にするといつも不思議に思うJR参宮線 田丸駅南側(南口ではない)のロータリーを通り過ぎた。なぜ不思議かって? 駅からの出口が無いのにロータリーが存在している。無人駅なのだから出入口を作るだけで済みそうなものだが・・・
線路沿いを進み田丸踏切で田丸城跡を遠望すると踏切を渡った。
外堀に沿って搦手道を目指すと
久しぶりの田丸城跡へと足を踏み入れた。
立派な石垣を眺めながら駆け上がると
本丸跡にたどり着いた。
やはり昼食はこちら。
天守跡に駆け上るといつものようにおにぎりにパクついた。天気がいいし、おかかのおにぎりは美味い!
しばらく天守跡からの眺望を楽しんだ後、北之丸跡へ移動すると城山稲荷神社を訪れた。
前回訪れた時には拝殿が妙な状態になっていたが、
【参考】 久しぶりに訪れた城山稲荷神社(田丸城 北の丸跡) 2017年05月28日
本日は平静を取り戻していた。
そう言えば、昨日も城山稲荷神社にお参りした。あれは津城跡に鎮座する城山稲荷神社だったが・・・。
- 二八稲荷神社を求めて高山神社の境内社 城山稲荷神社へ(津市丸之内) 2018年10月20日
城山稲荷神社を境内社とする高山神社では、続・日本百名城に選ばれた津城跡のスタンプを求めひとりの男性が社務所を訪れていた。田丸城跡も続・日本百名城に選ばれ、両城跡には共に城山稲荷神社がまつられ、しかも私は続けてお参りするとは何とも不思議なことだ。
半日だけの参加ながら内容の濃い「玉城の魅力を再発見! 玉城・田丸城下まち歩き」ツアーに大満足し、玉城町を後にした。