2018年08月25日(土) 松阪市から明和町、伊勢市へのぶらぶら (車、徒歩)
早朝に神宮神田ほかを巡った後、ゆっくりと朝食をとり録画したTV番組を観ていたらすでに9時を過ぎていた。天気が良いのにどうしよう。その時に脳裏をよぎったのは国道23号を松坂方向へ走っていると右側にちらちらと見える社叢のことだった。伊勢市から松阪市へ続く国道23号の海側には多数の社叢のような杜が見られる。伊勢市内は何度か巡ったことがあるが、松坂市から明和町の範囲は未知の領域だ。松坂駅から海側を歩くとただただ歩くだけで距離がかなり長くなってしまうのでどうしようか? 思案したところ国道23号と国道42号の分岐点である西黒部町1交差点付近から歩くのが適当だとの結論に達した。
【キタヰの妻】に「今日は松坂から歩く」と告げたところ、出発点まで車で送ってもらえることになった。
そして10時頃には未知の場所「辻の内 バス停」の前に立っていたのだった。ここからは社叢を求めながら松阪市、明和町を通り抜け伊勢市まで戻った。
辻の内 バス停を背にすると東方向へ歩を進めた。道幅が狭くなると
直線ではない昔ながらの道を進んだ。
左手に西蓮寺の本堂が現れるとその境内を左へ巻くように・・・
こんな所に道標を見つけた。
右 くろべ ??? 道
左 まつざ? 六けん 道
右くろべ方向へ進むと左手に感応山 西蓮寺の山門が見えたので、その先にてお参り。
感応山 西蓮寺の参道入口付近、道路の向かい側に建てられた石造遺物を眺めてから意非多神社の社叢を目指して直進(下の写真では左側、「この先行き止まり」方向へ)した。
たしかに車両はこのガードレールに阻まれて県道へは出られない。歩行者は自由に・・・。
西黒部小学校北交差点で県道705号を横断すると細い路地へ入った。その先には網屋集会所があり、その広場には正覚寺の小さな御堂とその裏手には
庚申堂が建てられていた。
お参りを終えてから集会所へ出るとこの路地の先に見える意非多神社の社叢を目指した。
意非多神社へ近づくとその社叢の角には山神がまつられている。
意非多神社(松阪市西黒部町)にお参りしてから社叢を遠望した。(意非多神社については別の記事で紹介する。)
意非多神社から県道705号ヘ戻ると坂道の先には
新松名瀬橋がある。この下には櫛田川が流れるがこの辺りは中洲になっていてその中洲に松名瀬神社が鎮座している。また、新松名瀬橋には歩行者や自転車専用の側道橋が併設されている。
そのため、車に注意することも無く気ままに橋を渡ることができた。
新松名瀬橋を渡り終えると堤防道路から下る細〜い道を見つけたので迷うことなく下った。
その先はこの分岐となっている。右ヘ行けば県道へ戻ってしまうので、ここは左へ進んだ。
するとその先は中洲の反対側の堤防道路へ付き当たった。突き当りを右へ折れるとここに見える社叢が松名瀬神社だった。(松名瀬神社については別の記事で紹介する。)
松名瀬神社を後にすると目の前に架かっている松名瀬橋を渡った。この橋にも側道橋が併設されているので
こんな感じでゆったりと櫛田川を感じながら渡った。
渡り終えると松名瀬橋東詰交差点付近で振り返ってのパチリ。
先ほど渡った松名瀬橋 側道橋の向こうには松名瀬神社。
櫛田川を後にすると次は中川(なかのかわ)を目指した。
東黒部郵便局を過ぎてしばらく進むと
こんな看板が目に入った。余りにも可愛い警告板だった。
陽光寺横駐車場 バス停を過ぎるとなぜか右手方向に誘われるように・・・
すると広場に角に石碑が建てられていて、そこには「川村貞次郎君彰功碑」とあった。それは三井物産代表取締役にもなった川村貞次郎さんの功績を讃えるものだった。
路地から県道へ戻ると法蓮寺なるお寺の山門をパチリ。
先へ進むと中の川橋(中川)の西詰にたどり着く。
この橋にも側道橋があるのでその橋を渡ると右へと曲がる県道の先には二十五柱神社の社叢が望めた。まっすぐ進めば良いものを左方向に魅力的な小道を見てしまったので、そちらへ進むと
先ほど前方に見えていた社叢が右手方向に望めた。稲刈りが真っ最中の田んぼ道を進むと二十五柱神社にお参り。(二十五柱神社については別の記事で紹介する。)
二十五柱神社を後にすると県道705号を道なりに進んだ。
この交差点も直進し
家並みの先で右へと大きく曲がる場面。
直進方向、カーブミラーの向こうに石柱がチラリ。気になったので近づくとそこは二十五柱神社に合祀されている式内 服部伊刀麻神社の舊地だった。(式内服部伊刀麻神社舊地についても別の記事で紹介する。)
服部伊刀麻神社舊地を背にすると県道705号の先には国道23号が走っている。【キタヰの妻】に車で送ってもらった際に、神服織機殿神社の社叢を眺めたのはこの辺だろうか? 前方に国道23号をくぐるトンネルがあったので吸い込まれるように・・・
するのその先は予想通り、神服織機殿神社の社叢を遠望することができた。
ちょうどお昼どきだったので、イオン明和店に立ち寄るとおにぎり(2個)と麦茶(2リットル)を買い求めた。
いつものように昼食は歩きながらのおにぎりなので急いで元のルートへ戻った。
右手後方にイオン明和店を遠望しながら進むと
中村集会所、
「井村屋ようかん」の大きな看板を上げた薗田商店、
中村 バス停、
こちらの建物の先で左へ曲がるとしばらく水路の脇を歩いた。
前方左手に社叢が近づいてくると、こちらが畠田神社である。
(畠田神社については別の記事で紹介する。)
ここ畠田神社の社務所に「伊勢神宮カケチカラ会事務所」の看板が掲げられているのを目にし、このあとカケチカラ発祥地を訪れることにした。
畠田神社の社叢を後にすると
県道705号へ戻った。
南藤原 バス停を過ぎると
下御糸橋の手前で
こんな道路標識を見かけた。「自転車道線」とは珍しく、しかもラッキー7だ。この道を歩くのも面白そうだ。
下御糸橋にて祓川を渡ると
橋の下はこんな感じになっていた。
水が流れているのは右岸に近いかなり狭い部分だった。
祓川を渡り、下御絲郵便局の前を通り過ぎた。(絲の字が珍しい)
八木戸交差点の手前にある津波緊急避難所では、その入口にあるボードがなくなっていた。と言うことは避難所が利用されたことを意味している。
八木戸交差点の先はこのように民家の間へと続く道との分岐がある。ここは旧道とも思える細い道でしょ。右方向へ進むと
この広場の隅に
こんな石標を見かけた。
第十三号台風潮位?
旧道を通り抜けようとした際、明和町のキャラクターである「めい姫」をラッピングしたバスが前方を通り過ぎた。
私もバスの後を追うように八木戸橋で笹笛川を渡った。
こちらは下流側だが、神宮カケチカラ発祥地は上流側にあるはず
橋を渡り終えるとまずは道なりに、大堀川新田(西) バス停を通り過ぎ
・・・
大堀川新田(東) バス停、
こちらの避難所でも進入する際に破壊される入口のボードは姿を消していた。
歩き始めてから今までほとんど県道705号を歩いて来たが、この交差点で右折すると県道705号を離れた。
明和町民バス 大淀(申山) バス停を過ぎ、
この交差点を直進し笹笛川を渡れば神宮カケチカラ発祥地。さらに交差点の左前方の田んぼの中が佐々夫江行宮跡である。(神宮カケチカラ発祥地および佐々夫江行宮跡については別の記事で紹介する。)
神宮カケチカラ発祥地を後にすると今までかなり時間をかけ過ぎてしまった。帰宅予定時刻を16時半に設定したが、この時点ですでに14時、グーグルにナビを任せると自宅前2時間半。寄り道を避ければなんとか予定時刻に帰宅できる。
旭酒造株式会社の前を通り過ぎた。(未だ訪れたことがないので一度訪れたかったが、今は私自身が酒を断っているのだった。)
しばらくすると広大な田んぼの片隅に建てられた石標。
そこには八握穂社旧跡と記されている。
山大淀 バス停、
今歩いているのは県道60号だった。
右手に田んぼへと真っ直ぐに伸びる道を遠望しつつ
大淀 バス停、
おかげバス 大淀 バス停。
県道60号 大淀東交差点を通り過ぎた。なお、こちらの交差点脇にある避難所では入口のボードが壊されずに残っていた。
大堀川橋で大堀川を越えると
その先は伊勢市だった。ここは東大淀町。
大堀川橋 バス停の近くでは
こんな光景を目にすることができた。
こちらの交差点で県道60号を離れ、右折すると県道715号へ移った。ここから国道23号までは道なりだ。
最初は国道23号はなるべく利用しないように考えていたが、ナビに近道を問うとこのルートが指示されたので、今日のところは時間を優先してナビに従った。
道なりに田んぼの中を進んでいると松本塚跡を見つけた。
また、この塚跡の近くにはイヌナシが生え
池のなかには弁財天だろうか?
寄り道厳禁と思っていたが、なかなか習慣はすぐには変えられない。やっとのことで国道23号へたどり着いた。この後は国道に沿って側道をひたすら歩き、外城田川、宮川を越えればその先はもう自分の庭のようなもの。
ひたすら国道23号の側道を歩いた。
村松町1交差点
村松町2交差点
村松町3交差点
村松町4交差点
植山町交差点
西豊浜町2交差点
西豊浜町3交差点
こんなところに道標があると思ったら、これはへんば餅宮川店開店を記念して昭和53年3月に建てられたものだった。
こんな雰囲気の場所を通り過ぎると
西豊浜町I.C交差点にたどり着く。
車道が国道へと合流する坂道を通り過ごし、さらに先へ進むと歩道専用の坂道があり国道の歩道へ合流できる。この坂を登らずに直進してしまうと外城田川に突き当たる。
国道の歩道へ進むと外城田川橋で外城田川を渡った。
磯町の距離標を確認し国道から離れる坂を下ると再び上り坂となる。
坂道(こちらは車も通る道)を登ると宮川大橋にたどり着く。
宮川大橋の途中、つまり宮川の上にて御薗町となった。ここからはもう庭のようなものだ。
宇須乃野神社(豊受大神宮 摂社)の社叢を遠望しながら宮川を渡り終えると
宮川の右岸堤防道路を歩いて自宅へ・・・
予定帰宅時刻を過ぎてしまったが、16時35分に帰宅した。