2018年05月13日(日) 神服織機殿神社を流れる水路(福井水路)を追いかけ福井文右衛門 代官に思いを馳せる (車、徒歩)
神服織機殿神社および神麻続機殿神社の両機殿にて神御衣奉織鎮謝祭の拝観を終えると神服織機殿神社へ戻った。それは先日この近辺を歩いている時に知った福井文右衛門 代官へ思いを馳せるためだった。
【参考】
- ぶらりで見つけた福井文右衛門 代官 自尽の地(松阪市保津町) 2018年05月04日
この記録でも紹介したように、福井文右衛門 代官は自身の命と引き換えに神服織機殿神社の北にある出間村へと豊富な水を流すために神域に水路を堀らせた。(この記事では、自尽の地の説明書きにあるように神服織機殿神社の神域に掘られた水路(神域を流れる部分のみ)を福井水路と呼ぶことにした。)
以前に神服織機殿神社へと流れ込む水路を見かけたことはあったが、その後追いかけるに至っていなかった。神服織機殿神社の神域を流れる水路を辿ることはできないが、域外の水路、下流側と上流側を追いかけることにした。
神服織機殿神社の鳥居前へ戻るとここから右(東)方向へ社叢に沿って歩くと
方向は北へと変わる。
右側に交差する水路が確認できる。上側に水路が左方向へと流れている。
この水路については一昨年に次の記事で紹介しているが、その後追いができていなかった。
【参考】
- 神服織機殿神社(皇大神宮所管社)の社叢へ流れ込む水路 2016年05月01日
社叢を背にして水路の上流方向はこんな感じで
今度は逆に水路から社叢を眺めてパチリ。水路はまさに社叢へと消えてしまっている。
生け垣の隙間からその中を覗いてみると
このように豊富な水が流れている。
神域へ入って水路を辿ることはできないので、この場所を後にすると
その流れが神域を出る場所を探すために社叢の境界に沿って進んだ。
途中で木々の間隙からその中を覗き込むと水路が社叢の境界付近を流れていた。ここにも、
そしてここにも。こんなに境界に近い場所なら敢えて神域を掘らずに神域外を掘れば良かったものを・・・。このように考えると当時は現在よりも東側に社叢が広がっていたことが想像できる。
こんなことを考えていたらこの場所に出た。
これは福井氏流水記功碑のようだ。石碑の表面が荒れて文字は読めなかったが、
三重県のホームページにこの石碑に関する解説が掲載されていた。こちら、
【参考】
石碑の奥(神服織機殿神社の北側)にはこのような石垣が続いているが、石碑の近くに
こんな場所があり、木々の間隙を覗くと
その中には水路が流れている。これが先ほど見かけた福井水路の出口付近だった。
この流れは社叢を背にするとこの先へ流れ、途中で右へと折れていた。
その折れた先がこちらで、
ここからさらに北へと流れている。この付近が出間村だったのだろうか? ここでも福井文右衛門 代官に思いを馳せた。
先ほどの福井水路の入口付近までの戻ると、ここから上流側へ辿ることにした。
水路付近から振り返って神服織機殿神社の社叢を遠望することを繰り返すと
社叢がどんどん小さくなっていった。
この場所にたどり着くと水路を渡り右岸の舗装路を歩くことにした。
数十m歩くとここは先日見つけた福井文右衛門 代官 自尽の地の近くだった。
さらに進むと水路は追いかけられなくなった。この先は祓川だろう。
雨もひどくなって来たので、神服織機殿神社へとまっすぐ続く道へ入った。ここは、先日ぶらりと福井文右衛門 代官 自尽の地を見つけた路地の入口付近だ。
福井文右衛門 代官に思いを馳せながら
神服織機殿神社へ戻ると
福井水路が流れる方向を眺めながらまたまた福井文右衛門 代官に思いを馳せた。
神服織機殿神社への思いがさらに深くなった。
(※ 珍しいことに、この記事のタイトルは動詞で終わっている。)