2019年04月20月(土) 4月6日に御遷座を終えた赤井神社(伊勢市上野町) (車、徒歩)
次に御遷座を迎える摂社・末社探しのお伊勢さん125社まいり の午後の部で遠回りしてでも訪れようと思っていたのが伊勢市上野町に鎮座する赤井神社だった。
赤井神社は神宮の摂社・末社ではないが、一度訪れたことがあり
【参考】
- 赤井神社(伊勢市上野町) 2015年04月12日
最近に御遷座を終えたとの情報を得たからだった。
周辺に駐車場がないため、横輪川に架かる赤井橋を過ぎた付近に広い道を見つけてその隅に駐車させていただいた。(この後、神社の参道で赤井山麓(案内図)なる地図を入手すると[土、日、祝日には まほろばの里作業所に駐車場協力を頂いております。]の旨が記されていた。)
私はこの付近からなだらかな坂道を進むと
こちらの鳥居をくぐった。鳥居の脇には[沼木っ子の想いを形に 赤井山麓公園整備中 上野奉赤の会・・・]の幟が立てられていた。
鳥居をくぐって坂道を進むと右手にこんなポストがあり、その中には
次の案内図が入っている。一部をいただくと結局はこの案内図を参考に赤井山を巡っていた。
まずは参道を進むと「社殿まで・・・」の案内板と
さらには
人生階段と称し、一段が一年に
そして、最後は[皇寿111]と記されていた。
(皇 = 白・王 = 白・一・土 = 一・白・十・一 = 百・十・一 = 111 ? それとも、白寿の白(99)に王=十・ニ(12)を足して111? いずれにしても皇寿が111であることに違いはない。)
そんなことを考えながら階段を過ぎると赤井神社まで100mに迫っていた。あと一息!
この先を下れば赤井神社のへたどり着くが、左手にある山頂が気になった。
山頂へ寄り道すると
東屋からは
米山新田方向が望めた。
【参考】
- 米山新田(伊勢市円座町) 2013年11月24日
山頂にて爽快は眺望を楽しんでから参道へ戻ると「社殿まで50m」。
ほどなく社号標へたどり着いた。その左方向には新しい拝殿が建っている。
拝殿へ向かうと
4月6日に御遷座を終えていたことを確認した。
通常は賽銭をお供えしない私だが、こちらでは思わず・・・。それが幸いして
こちらの木板に目が行った。参拝の作法のなかには「神前に進み軽くお辞儀をする」と記されていた。
賽銭箱の前で拝礼しようと思っていた私だったが、この言葉に導かれると赤石の上を進み神前にてお参りした。
拝礼を終え、神前から退くと御垣の右側に見惚れてしまった。
屋根が掛けられたその部分には井戸があり、次のようにバケツに竹竿が付けられた道具が備えられていた。
近くに掲示されていた説明書きは次の通り。
幕末から明治初年にかけての史料によると
当時女性の病(特に下の病)が流行霊験の神様井戸として病気平癒の祈願者が各地から訪れこの井戸に入り身を清め治療に専念、お籠堂として現在の社務所で過ごされたと記録あり。※子宝授かる神様として
※安産の神様として
※女性の病(婦人科系)神様として
※家運繁栄の神様として広く県外からも参詣に来られます有りがたい神様です。
※深さは2.0m 水深30cm
※水は切れたこと一度もなく清水が湧いています。
(手水舎の水もこの井戸水を利用)平成29年9月1日(2017年)
上野奉赤の会
宮川流域案内人
眩しいほどい新しくなった殿舎を目に焼き付けると先ほどの(案内図)に従って散策してみた。
拝殿を後にして
この案内板を見つけたので、まずは「ゆずり岩」を目指した。ここから100mほど。
ほどなくたどり着いたのがこちら。
ゆすり岩はまさに磐座の体だった。
この周辺にはこのような岩が多数見られた。
案内図の番号を(12)から(11)方向へ逆行すると
こちらが(13)のポイント。説明通りに上野方面がよく見える。
そこにはこの案内板も掲げられていた。
その後、(11)から(6)への逆行すると参道との分岐点には次の説明板が掛けられていた。
地主さんのご厚意とご協力によりこの散策路が開発されたこと、さらには自然を活かした路なので足元など細心の注意を払って自然を楽しいんでほしい旨が記されている。(有りがたいことだ。)
ここから参道を戻るとすぐ近くに「なで岩」の案内板。
参道から眺めることができるほどに近い場所にある。
現状でもかなり整備されているが、先に確認した「赤井山麓公園整備中」の幟によればさらに整備が進められるのだろう。それを進めている上野奉赤の会および宮川流域案内人の方々の尽力には頭が下がる。
今後の変化を楽しみに、再び訪れたい場所である。
参道の鳥居を後にして坂道を下った。
土、日、祝日であれば まほろばの里作業所の広い駐車場を借りることができるし、現地では様々な情報を得ることができる。ぜひとも現地を訪れてみては!