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美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

2018年06月09日(土) 美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館 (車、徒歩)

美杉町多気地区の石造物を調査した結果の報告会があると聞き

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

 

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

 

会場である美杉ふるさと資料館を訪れた。

美杉ふるさと資料館(津市美杉町上多気)

美杉ふるさと資料館(津市美杉町上多気)

 

周辺の散策を終え「ふるさと資料館」へ戻ってくると、私が車を駐めた時にはまだまだ余裕があった駐車場がすでに満車になっていた。

美杉ふるさと資料館駐車場(津市美杉町上多気)

美杉ふるさと資料館駐車場(津市美杉町上多気)

 

会場の研修室はかなり盛況な状態。どうやら地元説明会の色合いが強かったようで参加者は興味深そうに、また楽しそうだった。

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

 

本報告会は調査を担当した「津市石造物調査会」によるもので、当会の会長によるあいさつに続きテーマを絞った次の内容が報告された。(詳細は報告書を読んでいただくとし、ここではかなりの荒っぽい要約を記す)

  • 津市美杉町多気地区の石造物について(竹田憲治さん)

調査は平成25年から30年、多気の三地区(丹生俣、上多気、下多気)に残されている約640基の石造物が対象となった。これらは昭和20年以前を対象とした悉皆調査で、一部戦死者の供養塔についてはそれ以降のものも含まれる。古いものは15世紀末、北畠氏が多気に居を構えた時期のものであった。

もしも調査に漏れている石造物があれば連絡して欲しい。追加調査の後、別の報告書等に追記していく。

今後は八幡地区の調査となり、一部はすでに開始されている。

 

  • 中世に遡る石造物(山路裕樹さん)

石造物の定義と分類法(基準は形態または用途・目的)および資料性について説明した後、今回の調査で注目すべき石造物を紹介した。

石の素材により調達された場所が想定され、刻まれた戒名からその人の身分を知り、さらには多気の地名が古く(文明18年、1486)より存在していたことが明らかになったことなどを示した。

「身近な場所に忘れられたように佇む石造物には、祖先のさまざまな思いが込められています。予備知識を深めて接すると、寡黙な石造物がいろんなことを語ってくれます。もっと石造物にご注目を!」

  • 伊勢本街道往来の記録と石造物(会長 吉村利男さん)

室町時代の往来記録や江戸時代の旅行案内記から多気に関する記述を紹介した。(ここで紹介された宗長日記は岩波文庫として発行され、伊勢参宮細見大全は三重県立図書館のデジタルライブラリーで読める。)

【参考】 伊勢参宮細見大全(三重県立図書館のデジタルライブラリー)

また、江戸時代の著名人紀行文等については本居宣長【菅笠日記】、松浦武四郎【浪合日誌】、松宮周節【紅梅軒国遊記 参】を紹介し、紅梅軒国遊記に記された記述と北畠神社に残されている石造物が一致することも示した・・・。

 

  • 丹生俣地区の山の神信仰(木野本和之さん)

山の神の定義、農村部と山間部での相異、さらにはかつて早稲田大学日本民俗研究会が丹生俣の「山の神」を調査した報告書から「山の神」の性格、「山の神」の日、存在件数(23箇所)を紹介した。

今回の調査では27箇所(さらに可能性のあるものを含めると30箇所)が見つかっている。消失したもの、忘れられたものを含めればもっと多くなる。特徴的なのは上多気、下多気の2地区では合わせても4箇所なのに、残りは全て丹生俣でまつられている。この数の違いは興味深い。また、「山神」と刻されたものは一箇所のみでほかは全ては銘文のない自然石だった。先端が尖ったもの、小さな祠に納められているものが多い。また集落と山の境界(神の聖なる場と人々の生活の場との結界)に位置するものが多い。

山の神信仰の原点は、山に住まう偉大なるものを崇敬し、自然の恵みに感謝する共同体単位での信仰である。

 

  • 西向院の西国三十三所観音石仏(西脇智広さん)

霊場の起こり、さらには今回紹介する西向院の西国三十三所観音石仏のような「写し霊場」について説明し、先行研究で明らかにされている第一期から第四期までの「霊場ブーム」を紹介した。

西向院の「写し霊場」は第二期(廃仏毀釈後の明治大正期)「霊場ブーム」に作られたものであること、特徴を説明した。

 

このような報告があり、すべて興味深いないようだった。なお全般に渡り主張されていたのは次のことだった。(こちらは山路裕樹さんの最後の一枚)

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

美杉町多気地区で実施した石造物調査成果の報告会@美杉ふるさと資料館

 

調査するのは外部の人たちなので石造物を守ることはできない。現場にある石造物はその場に住む地元の方々がその重要性に気づき、守り伝えるしかない。

このことは石造物だけではなく、民俗、文化、古文書、その他さまざまなモノに及ぶだろう。

 

報告を聞いていたら、さらに詳細を知りたくなり報告書を買い求めてしまった。

津市美杉町石造物悉皆調査事業報告書1 美杉の石造物ー多気地区編ー(津市教育委員会)

津市美杉町石造物悉皆調査事業報告書1 美杉の石造物ー多気地区編ー(津市教育委員会)

 

美杉ふるさと資料館を後にすると比津峠を越えて八知に出た。その途中で見かけた石灯籠(常夜燈)をパチリ。

帰途に比津峠を越えて見つけた石灯籠(津市美杉町八知)

帰途に比津峠を越えて見つけた石灯籠(津市美杉町八知)

 

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