海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて@海の博物館

2020年01月12日(日) 海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて@海の博物館 (車、徒歩)

海の博物館では海女学講座Ⅱの第5回目として「海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(前志摩市歴史民俗資料館館長 﨑川由美子)」が開催された。デジタル・アーカイブに興味がある私はかなり前に気づき予定を入れたつもりだったがすっかり忘れていたようだ。いつもお世話になっている飯田良樹さんから前日にメールが届き思い出すことができた。(またまたお世話になってしまった。)

さらに、講師の﨑川由美子さんには、志摩市歴史民俗資料館へ移転する前の磯部郷土資料館にて的矢の方位石を撮影するために重いガラスケースを取り外すのを手伝っていただいたり、志摩市歴史民俗資料館時代にも突飛な質問にも真摯に調査していただいたりとお世話になっている。

【参考】

 

定刻となり講座が開始されると、まずは三重大学文学部 教授 塚本明さんが

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

「前座としてお話させていただきます。」と今回の報告に先立ち、海の博物館と三重大学の関係性やここで取り組んでいる海女関係アーカイブDB構築事業の目的等が語られた。

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

その概要は次の通り

三重大学では教育研究成果を地域創生などに役立たせるため、県全体を教育研究フィールドと捉えて4つの地域拠点サテライト(北勢・伊賀・伊勢志摩・東紀州)を運営している。伊勢志摩サテライトの研究拠点のひとつが、2018年3月 海の博物館に設立された海女研究センターでありギャラリー棟の2階にある。
海女研究センターでは「海女」を切り口に伊勢志摩サテライトの主な取り組み事項を掘り下げながら教育研究活動、学際的研究、情報発信、国際交流などを展開している。なかでも「海女」を活動の基軸と位置付けた拠点であるだけに「世界随一の海女関係アーカイブDB構築」が重要な研究テーマとなっている。
海女研究センターのあるギャラリー棟の地下には当博物館の資料室があり多数の資料が収蔵されている。博物館の資料室には大学や公共図書館には無いもの(博物館が独自に作成した資料や図録、報告書など)が多いがリスト化されることは少ない。つまり目録がない状態にある。このような理由から収蔵資料のリスト作りも重要な研究成果となる。
また、本や資料だけでなく鳥羽志摩の全域を包括的に撮り集めた写真の生フィルムは実に10万コマ(推定)を超える。ネガは退色やカビの危険、ポジについてはスライド映写機が2004年に製造中止となりスライドを見ることすらできなくなる日も近い。

このような状態では多く残された有用な資料も活用することができなため、海女文化のデータベース化を進めている。本や文献のリスト作成に始まり、フィルムをデジタル化するとともに「いつの」「どこの」「何」などのキャプションを付ける。今年度は現在までに21,000コマ分のデジタル化を終えた。年度内に計30,000コマを目標に作業中である。さらに3,000件についてはキャプションを付けてデータベース化された。この作業を﨑川由美子さんが担当している。

これらのデータが蓄積されれば研究だけでなく民俗や観光などにも役立てることができる。
現在、海女関係アーカイブの活用として海の博物館ギャラーでは「海女AMA〜昭和の海女の記録」鳥羽市立海の博物館・三重大学海女研究センター共催写真展が本日より開催されている。(2020年1月12日〜3月31日)
良い写真がたくさんあるため写真の選択に苦心した。現在とは異なる(変わってしまった)昔の写真をできるだけ鳥羽・志摩の全般に渡って選択した。
さらに、鳥羽市国崎町公民館では海の博物館が所蔵する昭和40年代以降の国崎の写真を集めた「海辺の毎日」国崎の暮らし写真展が開催される。(2020年2月11日〜17日)ここでは学生と共にワークショップが実施される。

海女関係アーカイプ事業は開始当初、「大学としてやるべきなのか?」など大学内から批判の声も多かったが、不安を持ちつつも「社会全体の文化財」のデジタル化の重要性を主張し続けてきた。活動を続ける中で予想以上の意義があったことに気づいた。
すでに昭和が「歴史」となった。ここ数十年で海女漁には漁法や道具、装備が変化し、海女漁村の景観や祭礼行事なども大きく変化している。写真には文字資料とは異なる力があり変化を詳細に記録することができる。聞き取りや文字資料では曖昧な場合でも写真の細部に含まれる豊富な情報から史実が判明できることがある。

最後に「海女AMA〜昭和の海女の記録」に展示されている写真の注目点が紹介されたが後述する。

 

以上で 塚本さんの解説が終了すると、﨑川由美子さんによる講演が開始された。

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

まずは、海の博物館の開館に向け常設展示を作るために集中的に(昭和60年代〜平成4年の間)撮影された写真(画像)に番号とキャプションを付けた目録を作成したことが紹介された。

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

目録化された対象はNo.3119〜4645で志摩市、鳥羽市、南伊勢町のまつりに関する写真だった。しばらくするとこちらのデータベースにも反映されるのだろう。

【参考】

 

その後、本日の講演内容として次のスライドが表示された。

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

最初は「まつりの中の祈り」と題し船越および石鏡、菅島、和具のまつりが紹介された。なかでも次の点が興味深い。

各所のまつりでは祈りや海への感謝・畏敬の思いが込められている。

船越のまつりの取材では、トトツリアイに参加する若者(男性)に女性が襦袢を貸すことが出会いの場でもあったとの昔ばなしを聞けたなど生の声を聞く必要があることを強く感じた。

時系列に比較すると、まつりの規模(トトツリアイの場所が2ヶ所から1ヶ所に減少・・)や参加人数の変化など・・・

まつりはそれぞれに意味をもって続けられているがさまざまな点で変化せざるを得なくなっている。

また、船越神社の越年行事「新しき・ととつりあい」については写真だけでなくビデオでも紹介された。年明けを一秒までを合わせるために神社内にTV番組(おそらく「ゆく年くる年」)の音声を流していることは画像では想像できない。これは動画の良さである。

 

など、さまざまに紹介されたがまつりは時代と共にさまざまな点で変化している。

このようなまつりの変化をまとめると次のようになる。

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

生活と意識は大幅に変化し、担い手は減少しトウヤが廃止されるなど、旧来のまつりの形態が保てなくなっている。それは時代の要請でもあるのだろうが、そのような状況でもうまく継承されているまつりの一例がこちら。

それは波切のわらじ祭りである。これが2番めの話題「まつりの継承」である。

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

昨年に調査したところ

わらじ作りから神事は始まり女性はわらじを作るブルーシートに乗ってはいけない。そんなわらじ作りの場に若い二人がいた。彼らは市の職員で年休を取得して参加していた。他の参加者は漁師や自営業者である。どうやらゆるーい強制で成り立っているようだが、作業自体は楽しい雰囲気で進められた。昔は「飯、食べにけーへんか?」と誘われて個人宅へ向かうとわらじが完成するまでお預けだった。

参加者は20代から80代で中心は40代、ゆるーい強制も感じられるが概ね主体的な参加が支えている。

 

そして講演の最後は、次の通りまとめられた。

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

海女学講座Ⅱ 海女漁村の祭礼−海女アーカイブ事業中間報告を兼ねて(海の博物館)

 

  • まつりの継承は伝統と文化の継承であり、地域の絆を深める。
  • デジタル化された画像と共に、基となるフィルムやスライド、調査記録が残されており、また更にこれらの画像から新たに調査が進むことがある。今では撮影できない貴重な資料群。
  • 将来は今整理している海の博物館所蔵の資料と志摩市が持つ資料を一元化して、広く発信(していただけららいいな)

 

以上で講演会は終了となった。

 

講演会の後、本日より展示が開始されたギャラリーへ。

ギャラリー(海の博物館)

ギャラリー(海の博物館)

 

海女AMA 昭和の海女の記録、ギャラリー(海の博物館)

海女AMA 昭和の海女の記録、ギャラリー(海の博物館)

 

ここでは、塚本明さんが紹介していた展示写真の注目点を列挙しておこう。どの写真のことであるのかを探しながら観るのも面白い。

  • 1968年頃からウェットスーツが流行していたが、いまだに白い海女着を身につけている。
  • 1974年、安乗では素足だ。
  • 男の股引や孫の体操着が再利用されている。
  • 海女小屋が大漁旗などの再利用で作られている。(屋根がない小屋もあった。)
  • 子供が見送る写真の船は十数人の乗合船だが、滑車が設置されている。
  • 船頭だけでなく海女も棹を使っている。
  • 国崎では海岸でもアワビを計量している。そこには丸に仙のマークが見える。
  • 妊婦の姿も見える。
  • タンポには巨大な収穫袋が取り付けられている。
  • テングサを揉む丁寧な作業は質の向上につながっている。
  • 男海士の指に刺さったウニのトゲを取る海女、二人の姿から想像・・・

また、写真に写っている道具(モカケやドンザ)などを海の博物館で探すのも面白い。

 

なお、私にとって最も興味深かったものは、冬の作業着であるドンザを着た坂手島の海女が着けていた前掛けだった。その前掛けには「井爪商店 伊勢市河崎町」と記されていた。河崎の井爪商店はかつては伊勢春慶の大店であった岡村長四郎邸であり、現在はその姿を残したまま「cafe わっく」となっている。

【参考】

 

この前掛けはそんな河崎からどのような経路で坂手島へとたどり着いたのだろうか? 一枚の写真からさまざまな想像が掻き立てられる。


 

今回、講演会を聴講し、ギャラリーでの写真展を体感し、次のことを再確認した。

記録として残すことはとても重要なことだが、それらをいかに活用できるのか?

活用されなければ死蔵となってしまうので、活用までを配慮したアーカイブ化の重要性を常に意識すべし。

 

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