2018年03月03日(土) 平成29年度宮川プロジェクト活動報告会&講演会 (車、徒歩)
午後からは次の活動報告会に参加した。
「平成29年度宮川プロジェクト活動報告会&講演会」
日時: 2018年03月03日(土) 13:30〜17:00
場所: 伊勢市労働福祉会館 2階 大会議室
今回は
次のように 4本の活動報告と
第一部 【活動報告】
(1) 宮川流域案内人の会 副会長 中野喜吉氏
「長江流域生物多様性保護活動第三回子ども環境教育サミット」
(2) 多気町勢和地域資源保全・活用協議会 事務局 高橋幸照氏
「多面的機能支払交付金を活用した取組について」
(3) NPO法人 大杉谷自然学校 校長 大西かおり氏
「宮川流域における伝統漁法の継承のための環境教育」
(4) 戸畔(とべ)の会 代表 西村元美氏・谷口満穂氏
「都に続く縁(えにし)の道を歩く」
講演会による二部構成となっていた。
第二部【講演会】
講師 中京大学文学部学芸員 千枝大志氏
演題 「宮川水系下流域の知られざる歴史と文化
〜<史的証拠>に裏付けられた地域振興の新秘訣の探り方〜」
定刻になると
宮川流域ルネッサンス協議会事務局の事務局長による挨拶で開始された。
【 活動報告 (1) 】 「長江流域生物多様性保護活動第三回子ども環境教育サミット」
宮川流域案内人の会 副会長である中野喜吉さんはビデオ映像を交え、まずは宮川流域案内人の個々の活動、親子デイキャンプの意義や実施の様子、さらには海外からの視察団(スペイン、韓国、東ティモール)の受け入れの様子を報告し、
後半では今回の報告タイトルにもあるように中国 四川省の成都で開催された「長江流域生物多様性保護活動第三回子ども環境教育サミット」での講演について報告した。
本サミットでは三重県最大の川である宮川とともに宮川流域案内人の活動を紹介すると共にエコミュージアムの考え方を紹介したそうだ。
中国は経済的に世界第二位へと踊り出たがPM2.5など自然破壊が進み、自然保護への意識が高まり環境教育に力を入れている。そのことが子ども環境教育サミットの開催にも現れているようだ。
中野喜吉さんは報告を終えるにあたり、ここで紹介した中国とは対照的に宮川流域ルネッサンス事業への行政の関わりが低下していることを危惧していた。
【 活動報告 (2) 】 「多面的機能支払交付金を活用した取組について」
続いては
多気町勢和地域資源保全・活用協議会 事務局 の事務局長である高橋幸照さんによる多気町勢和地域での活動報告。
報告タイトルにある多面的機能支払交付金、さらにはその交付金を受けての取組みについてビデオを中心に紹介した。
【多面的機能支払交付金とは】
農業・農村は国土の保全、水源の涵養、自然環境の保全、良好な景観の形成等の多面的機能を有し、国民はその利益は広く享受している。しかしながら近年は農村地域の過疎化、高齢化、混住化等の進行に伴い集落機能が低下し地域の共同活動によって支えられている多面的機能に支障が生じつつある。また、共同活動が困難となり農用地、水路、農道等の地域資源を保全管理する担い手農家の負担が増加することも懸念されている。そのため農業・農村が有する多面的機能の維持・発揮を図るために地域の共同活動を支援し地域資源の適切な保全管理を推進するために交付されるのが多面的機能支払交付金である。 (農林水産省の資料を一部引用、変更)
【参考】 多面的機能支払交付金:農林水産省
多気町勢和地域でも農業・農村の担い手が減少し、生産量が低下するとともに農地が荒れてしまった。すでに個人や集落単位では水路の清掃、ドロ上げなど資源を保全しきれない状況となった。そこで10集落を一つの広域帯として全域の水路や農道の修繕等の保全を担うために水土里サポート隊と称する素人の集団が構成された。広い地域から集められたメンバーは、大工、重機オペレーター、左官屋などの職人を含み人材が豊富な集団となっている。彼らと土地改良の専門家である事務局長が連携することにより資源の保全は実現されている。
しかし、10年、20年先を考えれば保全された資源の活用に加え次世代への教育(心を育てる)が必要となる。以前は草だらけだった小学校近くの農地が水土里サポート隊により学校の畑として再耕され、「おまめさんかなぁプロジェクト」として子どもたちと多数のボランティアにより大豆や米が作られている。
また、保全された資源の活用としては毎年6月に開催されるあじさいまつりでの立梅用水ボートくだりが一例である。ほかにも多数の活動がある。
このように高橋幸照さんからは多面的機能支払交付金を利用した地域資源の保全、活用さらには教育について報告された。(交付金のほとんどは地域資源の保全に携わる人々への日当にあてられ、活用についてはボランティア活動で進められている。)
私は立梅用水には思い入れがあるし、あじさいまつりでボートくだりを楽しませていただいた経験があるため非常に興味深く拝聴した。
【参考】 立梅用水 に関する記録
【 活動報告 (3) 】 「宮川流域における伝統漁法の継承のための環境教育」
続いては
NPO法人 大杉谷自然学校の校長である大西かおりさんによる活動報告。
主幹産業である林業が衰退し仕事がなくなり、それとともに若者もいなくなった。そして、20年前に大杉谷小学校が閉校となった。このような状況で過疎高齢化した地域を環境教育により活性化しようと旧大杉谷小学校を利用して大杉谷自然学校を開校した。あれから18年が過ぎた。
職員は7名で校長以外は全員がIターンである。その他非常勤や地域おこし協力隊さらにボランティアおよび地域協力者など総勢150人弱の体制で、夏だけでなく一年中、年間で約120回の環境教育を仕事として実施し約3,800人が参加している。
自分自身が子どもの頃(約40年前)には鮎が解禁になると同級生の男の子たちはほぼ全員が毎日のように鮎をしゃくりに川へ行っていた。しかし現在は120人の生徒のうち2人しかしゃくりに出かけないそうだ。このようにしゃくりと言う伝統的な漁法は地域から消えようとしている。
また、環境教育で都会の女の子を受け入れた時、その子が「川に触る」と表現したことに驚いた。ただ、環境教育を実施する他の団体の方と話すと「火を見たことがない」「岩を触ったことがない」「土道を歩いたことがない」子が当たり前のようにいる。これほど極端では無いにしても地元の子どもたちですら川で遊ぶ機会は減っている。
消えようとしている伝統漁法(しゃくり)は川の地形や魚の生態を知り尽くした先人の知恵であり、しゃくりの技を身に付けるためには毎日のように川へ行かなければならない。川へ繰り返し行けば自然の力に畏怖を感じられるようになり、日本的自然観が身につく。
また、伝統漁法を調べるとその道具から過去の宮川を推測することも可能である。次の写真にある箱めがねは波除けと呼ばれる部分を噛んで使うが、その跡を見れば昔の宮川は流れが急であったことが推し量れる。今は水力発電のために7割の水が紀伊長島へと落とされているのでその差は歴然だ。このように道具も歴史を語る貴重な資料である。
このような現実を踏まえ伝統漁法(しゃくり)を継承・記録・広報する活動を始め、その成果を次のホームページにまとめている。(詳細はこちらを)
【参考】
このサイトの聞き取り記事で紹介されている松林堅さんの言葉が川との深い関係性を物語っている。
「川は命の次に大事」
大西かおりさんは活動報告を次のように締めくくった。
今は、未来に引き継ぐべきものが伝統漁法にはたくさんある。
伝統漁法を発展させたほど美しく豊かであった宮川とその川と共にあった暮らし
漁具・漁法を教えてくださる方 お話しを聞かせてくださる方 一緒に調査していただける方 大杉谷自然学校までご連絡ください。
【参考】
あれはもう10年前になるだろうか、私は大杉谷自然学校が鳥羽市で開催した「地域チャレンジネットワーク研修会」を受講したことを思いだした。ああ、懐かしい。
【 活動報告 (4) 】 「都に続く縁(えにし)の道を歩く」
活動報告の最後は 戸畔(とべ)の会の 代表 西村元美氏と谷口満穂氏。
三重県度会郡大紀町錦で地域活性化に取り組む3つのグループが協力し、平成24年から『「丹敷戸畔の謎」解明プロジェクト』を立ち上げた。丹敷戸畔とは日本書紀に記された第一代神武東征に登場する熊野荒坂津(丹敷浦=現在の三重県度会郡大紀町錦)の女酋長のことである。平成24年および25年には地元錦の歴史や言い伝え、祭、方言等について調査し、その結果をもとに「一枚紙芝居」を作成し披露した。また、講演会やまち歩きも実施した。
この活動を通じて錦のことにみならず、奈良の都とのつながりやその経路にあたる地域との交流、結びつきの再発見などがあった。このような新たな発見や驚きと出会うことで活動の意欲と意識が一層高まり、”2020年の日本書紀編纂1300年を目標に錦から奈良の都へと繋がる「魚の道」を辿る”取り組みを「都に続く縁の道を歩く〜さあ!まいこましてこかぁ〜」と題して平成25年からの8年計画で実施することになった。
報告者は戸畔(とべ)の会の 代表 西村元美さん。
平成25年に錦を出発すると、毎年少しずつ距離を伸ばし、昨年(2017)は桜井市まで進んだ。今年(2018)は橿原市へ来年(2019)は橿原神宮まで、これで錦から都までの旅路を終える。しかし、さらにはその翌年からは錦から歩いて橿原神宮までリレー形式で魚を運ぶ計画がある。
「都に続く縁の道を歩く〜さあ!まいこましてこかぁ〜」には私も2度参加したことがある。その記録はこちら、
【参考】
・宮川流域案内人とともに『都に続く縁の道を歩く』〜さあ!まいこましてこかぁ〜パート3 2015年11月15日
・『都に続く縁の道を歩く』〜さあ!まいこましてこかぁ〜パート4 2016年11月13日
以上、4団体からの報告を終えると第一部 【活動報告】が終了となった。
【本「宮川流域の遺跡を歩く」の紹介】
第二部の講演会が開始されるまでの休憩時間に、「宮川流域の遺跡を歩く」の著者である田村陽一さんが紹介された。
この本は宮川流域に点在する代表的な遺跡を詳細に紹介している。お読むだけでも興味深いが、この本を手にして現地を訪れればさらに素晴らしい体験ができる。
私はすでに2度、この本を手にして遺跡を訪れてみた。今後も各所を巡ってみたい。
【参考】
・田村陽一さんの著書「宮川流域の遺跡を歩く」に導かれての野後[のじり]城跡(度会郡大紀町) 2017年12月02日
・「宮川流域の遺跡を歩く」を携えて訪れた岩出城跡および岩出城下町跡 2018年02月24日
【講演会】 「宮川水系下流域の知られざる歴史と文化
〜<史的証拠>に裏付けられた地域振興の新秘訣の探り方〜」
今年の講演会の講師は中京大学文学部学芸員である千枝大志さん。
歴史学(日本中近世社会経済史、特に貨幣史・都市史)・博物館学・アーカイブ学を専攻する研究者であり、伊勢市史や三重県史の執筆さらには河崎商人館など各まちかど博物館の展示等にも携わっている。最近は自身の研究成果と経験をもとに実学としての歴史学「歴史応用学」を追求するために古文書や古地図等の史料に基づき歴史的な根拠のあるフィールドワーク(ツアー)を伊勢の地でブラッチェiseパイロット版として何度も実施してきた。また、ブラタモリ伊勢編およびゴリ夢中伊勢編の案内人をつとめ、市民向け講座の講師など活躍の場をさらに広げている。
なお、学生時代から伊勢市河崎との関わりは深く長い、伊勢市の史料にもとづく歴史については誰よりも詳しいと自負できるほどの知識を有し、さまざまな経験を積んでいる。
今回の講演テーマは宮川プロジェクトに対してご自身の専攻とこのような経験をもとに選択されたでものあった。
講演の冒頭では、宮川流域ルネッサンス事業の立ち上げに尽力された今井由美子さんとの関わりが紹介されるなど、本プロジェクトと古くから関係があったことが示された。
講演の最初に示されたパワポはこちら。
伊勢の町は<史的証拠>の豊富な町なのです!
だった。伊勢の町にオカルト話や(史的な)根拠の無い話がまかり通り人心を惑わしている(?)のは我慢できないと。例えば池をイメージした場合、ブラックバスなどの外来種が在来種を駆逐した環境が続けば、外来種の存在が当たり前になる。しかし、歴史を遡ればその池に在来種が存在していた。にもかかわらす現実のみを鵜呑みにしてしまうと在来種の存在など気にも留められなくなる。ブラックバスのみを捉えてしまえば、本来のその池の姿、変遷は無きものにされてしまう。この例が今の伊勢にも当てはまる。本来は史的証拠が存在するにもかかわらず、それには拘らずにオカルト話や日本昔ばなしのような言い伝えのみでやり過ごしてしまっていることが多い。このような状況を文化ブラックバスと名付けた。
今回、ブラタモリ伊勢編の案内人を担当することになったのは全くの偶然で、その出会いを引き合わせてくれたのは山田羽書だった。
山田羽書は日本初の紙幣であるが、これは独自かつ高度な金融・信用構造(金融技術)および高度な紙加工と印刷技術の裏付けがあったからこそ生み出された。このような山田羽書は伊勢型のエコマネーでありその信用構造は伊勢型のクラウドファンディングである。決して子供銀行券やクーポン券ではない。また、山田羽書を作り出し運用した組織は世界史的にみても希有な卓越した自立的組織である。このように伊勢の町は持続的な組織力が特徴であり、20年スパンで過去の歴史を葬りさるものではない。また、山田羽書は伊勢神宮とは直接的には関わりのない独自な町の歴史・文化遺産の代表である。伊勢には山田羽書などの歴史的史料が多数遺されているのでこれらを保存し活用すべきであり、オカルトやスピリチュアリズムなど根拠や証拠のないまちづくりは不毛である。
この後はブラタモリ伊勢編でのメイキング秘話や史料に基づいた分析(宇治山田での地域ごとの富裕者数分布、河崎の問屋配置、御師数の変遷など)、
そして、クイズを交えて古地図を読み解く面白さなどが語られた。(宮川、上(柳)の渡し、下(桜)の渡しの判別方法など)
さらにはブラタモリ伊勢編、ゴリ夢中伊勢編、先にも紹介した歴史応用学の試行であるブラッチェiseパイロット版。これらを踏まえた名古屋での新たな展開・・・
そして、こちらはブラッチェiseパイロット版で蓄えたノウハウを研究の場から実践の場へと引き継いだ「地元ツーリズム」の紹介だった。「地元ツーリズム」は宮川流域案内人でもある御村一真さんが千枝さんの力を借りて仕事として取り組み始めたものだ。
などなど、話題は尽きないほどにつぎつぎと。初めて話を聴くひとは付いて行けない程の内容だったことだろう。
千枝さんの口から出る言葉は手厳しいが、真実を語っていると思う。
伊勢市立郷土資料館が閉館してから伊勢には文化を保存する仕組みが無くなってしまった。
文化ブラックバスを駆逐するためには、史的証拠に基づいた判断が必要になる。そのためには史的証拠の保存が最優先で次にその活用が生まれる。保存なくして活用なし、活用なくして保存なし。
自然や歴史をこれ以上悪くしてはいけない。
千枝さんの主張通りである。史的証拠を積み重ねれば見えていない伊勢の姿を見ることができるだろう。様々な観点で伊勢の魅力を見つけられるはずだ。
ただし伊勢(市)は歴史のある町と言われるが現状では全く歴史を大切にしない町だと言える。博物館や郷土資料館のような収集、保存、活用(調査研究)を役割りとする包括的な施設がない伊勢市には歴史を守る意志など無いと思えてならない。行政もまた市民も神宮頼みだけではない新しい伊勢として、真のはじまりの伊勢の姿を描くことが必要な時なのだろう。
まずは自分にできることから始めよう。
また、ブラッチise パイロット板には私も何度か参加したので、その記録はこちら
【参考】
以上で平成29年度宮川プロジェクト活動報告会&講演会は終了となった。
※ 内容に間違い等がありましたらご指摘ください。