2018年11月18日(日) 「禁殺生」石を訪ねてのお伊勢さん125社まいり (車、徒歩)
今年もすでに11月、御遷座が進められる特定の摂社・末社を訪れることが多く、お伊勢さん125社すべてを巡ることを忘れていた。玉城町に点在する125社の多くを訪れていなかったため、今日は玉城町を巡ることにした。ただし、出発時刻が遅くなってしまったため、すべての神社を巡ることは難しい。
玉城町および多気町に点在するお伊勢さん125社の摂社・末社の多くには、以前にも紹介したことのある「禁殺生」石が建てられている。
『嬉野史 通史編』付章 第三節 嬉野の石造文化財 の五『「禁殺生」石碑と紀州藩寺社施策』では「禁殺生」石に関する調査結果が報告されており要約するとこんな感じ。
「南紀徳川藩史」によると紀州藩第六代藩主宗直の治世、享保八年(1723)には地元の神社に境内膀示の点検や殺生禁断の指示があり (理由は?)、紀州藩領にある主要な神社に対して「禁殺生」の制札ないし石碑を建てさせる旨の指示があったと思われる。三重県内の紀州藩領においても同様 の寺社施策が行き渡ったのではないか。なお三重県内にある「禁殺生」石の建立年は享保癸卯(1723)、享保甲辰(1724)、享保丙午(1726)の三種類である。
【参考】 「禁殺生」石に導かれて仙宮神社へ(南伊勢町河内) 2014年12月13日
今回は、次のルートで玉城町と多気町の一部を巡った。
玉城町役場→村山龍平記念館 → 田丸神社→ 坂手国生神社(皇大神宮 摂社) → 棒原神社(皇大神宮 摂社) → 御船神社(皇大神宮 摂社)、牟弥乃神社(同末社)を同座 → 朽羅神社(皇大神宮 摂社) → 蚊野神社(皇大神宮 摂社)、蚊野御前神社(同)を同座 → 東外城田神社 → 田乃家神社(皇大神宮 摂社)、田乃家御前神社(同)を同座 → 奈良波良神社(皇大神宮 摂社) → 鴨下神社(皇大神宮 末社) → 田丸城跡 → 玉城町役場
※ 「禁殺生」石が建てられている神社
ここでは巡ったルートに沿って写真を列挙した。
【村山龍平記念館】
【田丸神社】
田丸神社付近で新しい小祠を見つけた。
その中には役行者像がまつられている。
(伊勢本街道[はせ道])
ここからしばらく、棒原神社までは伊勢本街道 [はせ道] を歩いた。
こちらの「羽根」地名板がある交差点から坂手国生神社にピストン。
右手に【牛尾崎池】
【坂手国生神社】
坂手国生神社へのピストンを終えると再び伊勢本街道を進んだ。
(伊勢本街道[はせ道])
この近くで伊勢本街道から離れると棒原神社の正面へと移動した。その途中で
小公園の中に巨大な挽臼を見つけた。直径が60cm余りも。
【棒原神社】
棒原神社の階段からは蚊野神社の社叢が望める。
棒原神社の階段の途中、荒れた横道を通り、ここらへたどり着いた。
JR参宮線方向へ向かうとこんな所に庚申祠を見つけた。
庚申さんを後にするとほどなく線路に出た。
前川踏切の先には蚊野神社の社叢が見えるが、今回巡るルートは御船神社→朽羅神社→蚊野神社の順なので
ここは線路に沿ってまずは外城田駅方向へ進んだ。
外城田駅を通り過ごし道なりに進むとこの場所にたどり着くので、次に向かう御船神社を遠望。
【御船神社、牟弥乃神社】
御船神社では巨大な常夜燈が特徴的だ。
ここからは次に訪れる朽羅神社が望める。この辺りは目に見える範囲にお伊勢さん125社が点在している。
しばらくは蓋を掛けられて暗渠となっている宮川用水に沿って歩いた。露出する水路の青さが新鮮だ。
真念寺付近で宮川用水と離れると
朽羅神社との距離を徐々に詰めていった。
【朽羅神社】
【参考】 朽羅神社の御遷座について
- 御遷座を終えていた朽羅神社(皇大神宮 摂社) 2016年06月11日
朽羅神社を後にする際、今となっては古くなってしまったブログカード(しかし、残量があるため「神宮巡々2」のままで使っている。)とともにこの風景のもとでパチリ。「神宮巡々3」の新しいカードを作らねば。
社叢の周囲の農道を歩いていてパチリ。
御船神社の近くまで戻ると
続いては蚊野神社を目指した。
蚊野神社付近にまつられている山神さまに挨拶したら、切られた竹が散乱していた。「おお、可哀想」
【蚊野神社、蚊野御前神社】
【参考】
- 御遷座(御還座)を終えた蚊野神社(皇大神宮 摂社) 2017年03月18日
なお、境内地はかなり荒れた状態になっていた。台風の影響だろうか。
蚊野神社を後にすると
永寿寺の脇を通り過ぎた。
途中で右手に山神を見つけるとその脇には瓦製の小さな狛犬が控えていた。
【東外城田神社】
東外城田神社にお参りしつつ境内を通り抜けると
田乃家神社へ急いだ。
こちらの橋の先にあるのは田乃家神社の社叢。
橋の上から右方向を眺めるとこの水路の先には本日は訪れなかった津布良神社(皇大神宮 末社)が鎮座している。
ちなみに津布良神社は5月に御遷座を終えている。
【参考】
- 古殿が姿を消し完全に御遷座を終えた津布良神社(皇大神宮 末社) 2018年06月02日
そんな津布良神社を思い出しながら、田乃家神社にたどり着いた。
【田乃家神社、田乃家御前神社】
お参りを終えると先ほど歩いた参道と直交する脇参道を進んだ。こちらを出て左方向へ進むと
境内地の角にこのような境界杭を見つけた。通常は「神宮」と刻されているが、こちらは「田乃家神□」とある。珍しい。
この付近から社叢を背にしてこちらを進んだ。
矢野公民館へたどり着くとこの先を右へ折れた。
知らない道を歩いきたらここで見慣れた風景に戻った。勝田大池方向へ進むと
田宮寺付近も通り過ぎ
勝田大池の北側の交差点にたどり着いた。ここをまっすぐ池の辺りに沿って進むと
さらにこちらの交差点も直進。
坂の凹みの辺りで振り返るとこの場所から緑の空間へ入った。
緑(いや、暗闇)のトンネルを抜けて右へ折れると奈良波良神社の参道入口がある。次の写真は少し離れたところからその正面をパチリ。
【奈良波良神社】
奈良波良神社を後にして暗闇を抜けこの道路へ出る所で道標を見つけた。その内容は別の記事で紹介する。
奈良波良神社を後にすると宮川用水の巨大な配管を目にしてから鴨下神社へ向かった。
【鴨下神社】
参道を進むと
上の方には青い筋が・・・
こちらは「禁殺生」石は存在しないが、青色の羽衣が迎えてくれたのだろうか。
新しい殿舎と青い羽衣。
【参考】
- 古殿が姿を消し御造替完了、鴨下神社(皇大神宮 末社) 2017年09月16日
羽衣に別れを告げると鴨下神社を後にし、勝田の家並みを通り抜けた。
その途中で多数の山神を見かけた。ここにも
ここにも、
そして、ここにも。
目の前には田丸城跡が近づいてきた。
田丸城跡に天守閣を見つけたので、その話題は別の記事にて紹介する。
JR参宮線をくぐり
搦手道から田丸城跡へ登った。
天守閣の正体みたり。
こちらから玉城町役場へ戻ると本日の巡りは終了となった。