2019年11日09日(土) 古文書の会(2019.11.09)@河邊七種神社社務所 (車、徒歩)
先日、「ふすまの解体ショー」が実施され、その際に見つかった古文書で河崎をめぐりミステリーまち歩きの起点となった「河崎 川の駅」。ミステリーまち歩きでは、古文書の会でまとめた河崎の絵図面が活用されたのでそのことを思い出しながら・・・
【参考】 2019年10月27日
- 第一部 ふすまの解体ショー:河崎ふすま解体団による「ふすまの解体ショー&そこから出た古文書によるミステリーまち歩き」
- 第二部 まち歩き:河崎ふすま解体団による「ふすまの解体ショー&そこから出た古文書によるミステリーまち歩き」
寄り道をしていたので河邊七種神社にたどり着いたのは開始時刻に近くなっていたが、
お参りしてから社務所へ。
本日の課題は「明治三庚午年十一月 河邊神社 御造替諸事扣帳 河嵜町控所」ではなく、こちらにある畑ヶ町絵圖面だった。かなり欠損している部分があるが、河崎の絵圖面シリーズとしては重要で、道については想定できそうだ。
また、こちらの配付資料では、前回に読んだ「明治三庚午年十一月 河邊神社 御造替諸事扣帳 河嵜町控所」一部の翻刻(清書)と要約がまとめられていた。(これは世話役をお願いしている松本眞一さんによるもの)
畑ヶ町絵圖面のコピーは読みづらい部分が多かったため、講師の千枝さんと松本さんのお二人が別の場所に保管されている原本を取りに行ったがなかなか戻ってこない。20分以上は経過しただろうか・・・。
そして、しばらくすると晴れやかな表情で二人が戻ってきた。畑ヶ町絵圖面の原本は見つからなかったようが、別の絵図面を広げ始めた。
その絵図面には「北側」と記されていた。
お二人が注目したのはこの部分。
山田羽書の研究者であるお二人にとっては大発見だった。千枝さん曰く
168坪もある広い敷地、野村潜とある場所は、戦前からわからなかった山田羽書取締役頭取の野村太次兵衛家に違いない。さらに、調べる
(周りの我々はその重大さをどこまで理解できたか・・・)
この絵図には土地の持主と借地人が記されているので、他の絵図面とどうように当時の河崎を知ることができる。いずれはこの絵図を読むことになるだろう。
本日は、畑ヶ町絵圖面を読み終えると古文書の会は終了となった。
私は帰り道だったので、復習のための絵圖面に示されていたかつての畑ヶ町を確認した。
絵圖面に[門]と書かれた場所へ向かうと
足元は八ツ町堀(環濠)でこの先の交差点が、かつて[門]のあった場所。
今日は畑ヶ町と呼ばれた地区の周囲を歩いてみた。[門]から[木戸]へ向かうと
[木戸]のところで東(勢田川の)方向へ進む。左側は船江領だった。
かつてのイメージを垣間見る。
絵圖面と路地を比較しながら
こちらは築地公園。
明日にもう一度この場所を歩くことにして、帰途についた。
【参考】 私が参加した記録
- 2019年10月12日および13日 休会(台風19号の接近による)
- 古文書の会(2019.09.08)@河邊七種神社社務所 2019年09月08日
- 2019年09月07日 欠席
- 古文書の会(2019.08.11)@河邊七種神社社務所 2019年08月11日
- 古文書の会(2019.08.10)@河邊七種神社社務所 2019年08月10日
- 2019年07月 休会
- 古文書の会(2019.06.08)@河邊七種神社社務所 2019年06月08日
- 古文書の会(2019.05.12)@河邊七種神社社務所 2019年05月12日
- 古文書の会(2019.05.11)@河邊七種神社社務所 2019年05月11日
- 2019年04月 休会
- 2019年03月 休会
- 2019年02月10日 欠席
- 古文書の会(2019.02.09)@河邊七種神社社務所 2019年02月09日
- 古文書の会(2019.01.13)@河邊七種神社社務所 2019年01月13日
( リンク数が増大したため、詳細については 2019年01月12日の記事を参照 )
- 古文書の会(2019.01.12)@河邊七種神社社務所 2019年01月12日