2019年10月20日(日) JR紀勢本線 栃原駅から濁川橋を渡って丹生山神宮寺へ (車、JR、徒歩)
仁王門修復並びに回廊再建落慶記念法会を拝観するために多気郡多気町丹生にある丹生山神宮寺を訪れた。
この記念すベき日、以前から実施したいと思っていた和歌山別街道歩きを実行に移すことにした。
いつもなら車で一時間もあれば丹生へ到着する。しかし、丹生から和歌山別街道を歩くとすると公共交通機関を利用して丹生へ向かわねば・・・
最寄り駅はJR紀勢本線の佐奈駅かもしくは栃原駅だ。佐奈駅は帰り道の和歌山別街道でその前を通過するし栃原からは松阪へと通じる道があると聞いたことがあったので、丹生へは栃原駅を利用することとし栃原駅から丹生山神宮寺まで次のルートを歩くことにした。
神宮寺では朝の9時から落慶法会が開始される予定だったので、伊勢市駅6時29分発のJR参宮線亀山行に乗車すると
多気駅で、7時5分発のJR紀勢本線新宮行に乗り換えた。
そして、栃原駅に到着したのが7時25分頃だった。
早速、栃原駅を後にすると
まずは駅近くにある川添神社へ向かった。
川添神社では奇祭とされる五身懸[ごみかけ]祭が有名で何度か体感したことがある。
【参考】
- 五身懸祭 – 神酒・弓射・万歳楽神事、苗松行事ほか(川添神社) 2013年02月17日
こんな記憶を思い出しなからの参拝。
境内の西側(これから歩く道の脇)には御神木の大杉が立っている。
見上げることができないほどだ。
川添神社にてお参りを終えると社務所前にある十字路へ戻った。ここには次の道標がある。
道標の右方向への案内
助屋井戸・大師道へ
に従うと
社務所の脇で、まずは次のNTT電柱番号板を確認した。
さらに、さきほどお参りした御神木を右手に見ながら過ぎるとその先では川添神社の舞台が望めた。
さらに先へ進むとこんな通行規制が・・・。(私は十分に通行できるが。)
坂道を下り始めると左手に
助屋井戸が現れた。
説明板には次のように記されている。
助屋井戸
熊野街道を松阪から来て市間広から死人くずしを経て坂を上がると、川添神社の裏側に出た。この道端にはうどん等の食事が出来る茶店があった。茶店には湧き水が湧き出る井戸があり、旅人はここで美味しい水を口にして一息ついた。この井戸を人は助屋井戸といい、江戸末期頃から伊勢参詣や熊野参詣の旅人、宮川の月の浦渡し場へ荷物を運ぶ人達で茶屋は繁盛したという。
助屋井戸からさらに坂道を下ると国道42号へと通じる分岐があるが、ここは道なりに左方向へ。
NTT電柱番号板[駅前幹19]を確認してからさらに坂を下ると道路は左右に湾曲する。
3度目だっただろうか、通行規制看板が現れるとその先が
濁川橋である。
昨日の雨で増水した濁川を眺めながら橋を渡ると左手に濁川橋りょうが望めた。
舗装路は橋の先で左方向へ折り返す。道なりに進むと
濁川橋りょうをくぐった。
川の中に立つ橋脚は流れの抵抗を抑えるために断面は楕円形であるが、陸に立つ橋脚は施工費用を抑えるためだろう、その断面は矩形となっている。
濁川橋りょうをくぐり抜け、線路の反対側へ出ると坂の上で振り返った。遠くには獅子ヶ岳の風車が望めた。
先を急ぎ、メガソーラーの脇を道なりに進むと
NTT電柱番号板[炭化引込5]を見つけた。[炭化]とは何だろう?
疑問を解決できないまま、国道を横断した。
さらに道なりに進むと紀勢自動車道 交差位置 紀勢勢和多気-01のトンネルをくぐると
右方向へ行けばコケコッコー共和国だが、ここはまっすぐに・・・。
とにかく道なりに進むのだが、ここでは右側に旧道が少しだけ残されていた。
振り返るとここでも獅子ヶ岳の風車が望めた。
さらに進むと右方向にこんなものが転がっていた。「何?」
残り時間も気になり始めたので寄り道はこれくらいにして、真面目に(?)歩くことにした。
NTT電柱番号板[丹生幹74 右31]を過ぎると
丁字路に突き当たる。ここは国道42号のおきん茶屋付近から続く茅原丹生線(車で丹生を訪れれる時に利用する道)である。ここを左折すれば後はただ歩くのみ。
NTT電柱番号板[丹生幹74 右31]を過ぎ・・・
車の感覚で歩くと思ったより距離がある。
こんな光景に励まされながら
やっとこの場所にたどり着いた。丹生山神宮寺はもうすぐだ。
そして、丹生山神宮寺に到着したのは午前8時47分。なんとか間に合った。