神宮カケチカラ発祥地および佐々夫江行宮跡

2018年08月25日(土) 神宮カケチカラ発祥地および佐々夫江行宮跡 (車、徒歩)

松阪市から明和町、伊勢市へのぶらぶら にて終盤に訪れたのは神宮カケチカラ発祥地および佐々夫江行宮跡。

松阪市から明和町まで、ほぼ県道705号を歩き、途中で右へ曲がると笹笛橋東交差点を目指した。笹笛橋東交差点をまっすぐ進み、笹笛川を渡ると左手に神宮カケチカラ発祥地がある。振り返ってのパチリ。

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

 

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

 

入口付近に設置されている説明板によると

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

 

カケチカラ発祥の地
Birthplace of Kakechikara offering

カケチカラ(懸税 かけちから)とは、伊勢神宮で10月に行われる神嘗祭(かんなめさい)と11月に行われる新嘗祭(にいなめさい)において、稲穂を束ねたものを両正宮の内玉垣と各別宮の瑞垣に奉り、初穂の実りを感謝するものとされています。平安時代の延暦23年(804)に書かれた『皇太神宮儀式帳』にも懸税を御垣にかけると書かれており、その起源の古さがわかります。
『倭姫命世記』による伝承では、倭姫命が佐々夫江の行宮におられたとき、行宮前の葦原の中で1羽の真鶴が鳴いており、その近くに寄ってみると葦原の中に1本の稲が生えていました。その稲は、根元の部分は1本ですが、先端には八百の穂がついており、真鶴はその稲穂をくわえて持ち上げ、神に捧げるかのような格好をしました。倭姫命は、それを大税(おおちから)として天照大神のご神前に納められたとされ、これがカケチカラの発祥となったということです。
ここ発祥の地には、昭和50年8月に建てられた石碑があり、その伝承が刻まれています。伝承の舞台となった佐々夫江の行宮は、ここから東に約100mのところにあり、こちらも現在石碑が建てられています。この周囲は秋になると一面に稲田が広がり、伝承を想わせるような景観が広がります。
お問合せ:明和町
日本遺産活用推進協議会(事務局;明和町斎宮跡・文化観光課)

 

また、これらのホームページにも興味深い内容が紹介されている。

【伊勢神宮の神嘗祭】

【その他 興味深いサイト】

 

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

神宮カケチカラ発祥地(多気郡明和町行部)

 

神宮カケチカラ発祥地を後にすると先ほどの笹笛橋東交差点まで戻ると右へ曲がった。すると右方向に広がる田んぼの中に石碑が建てられている場所が望める。

佐々夫江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

佐々夫江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

 

進行方向にはこんな大きな案内板があるのでそれに従うと

「佐々夫江行宮跡→」の案内板

「佐々夫江行宮跡→」の案内板

 

田んぼ道の脇にこんな[佐々牟江行宮跡]の標石が見られる。

佐々牟江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

佐々牟江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

 

さらに進むと説明板があり、田んぼの中には佐々牟江行宮跡がある。

佐々夫江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

佐々夫江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

 

(最近は無闇に農地に足を踏み入れられないので)遠望してパチリ。

佐々夫江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

佐々夫江行宮跡(多気郡明和町山大淀)

 

知人に確認したところ、この場所は(ドロドロにならないように)足元さえ注意すれば石碑に近づいても大丈夫だろうとのことだった。このシーズンは遠望し、草が枯れる冬にでも再訪しよう。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です