2020年05月23日(土) お伊勢さん125社まいり(田丸・外城田めぐり) (車、徒歩)
Facebookで「7日間ブックカバーチャレンジ」 を投稿していて、6日目には「神宮摂末社巡拝」猿田彦神社講本部を紹介した。
この本を紹介していたら無性に「お伊勢さん125社まいりを・・・」との思いが湧き上がってきた。午後から棒原神社(皇大神宮 摂社)を訪れる予定だったので玉城町役場に車と駐めて次の神社を巡ることにした。
玉城町役場 → 田丸神社 → 坂手国生神社(皇摂) → 棒原神社(皇摂) → 御船神社(皇摂)、牟弥乃神社(皇末)を同座 → 朽羅神社(皇摂) → 蚊野神社(皇摂)、蚊野御前神社(同)を同座→ 玉城町役場
※ 皇:皇大神宮、摂:摂社
玉城町役場から歩き始めると村山龍平記念館の前から左方向へ通り抜けようとすると
旧田丸城三の丸奥書院の前が整備され、スッキリとしていた。
田丸神社方向へ向かう途中で、右側をチラリ。
こちらは田丸神社付近。
久しぶりにお参り。
以前、新型コロナウィルス退散を祈願する獅子舞が奉納されたことを記事で目にしたが、拝観したかった。と考えながら伊勢本街道を歩いていると松阪との分岐点に同流する。
松阪道を歩きたいと思いつつも、実現には至っていない。(近いうちに・・・)
この分岐からは棒原神社まで伊勢本街道(初瀬街道)を歩く。
ここからは坂手国生神社までの風景等を楽しんだ。
常夜燈のある交差点を曲がると右手に竹林の間からちらちらと牛尾崎池を見ながらたどり着くのが
坂手国生神社である。こちらは私が大好きな神社。
坂手国生神社を後にすると路傍の風景を楽しむ。
しばらくすると棒原神社の社叢が遠望できる。
伊勢本街道(初瀬街道)の道標に従うと街道は棒原神社の北側を進む。
棒原神社の北西角で伊勢本街道を離れると社叢を左方向へ巻く。
民家の間に続く狭い路地を進む(このルートを歩いたのは初めてのこと)と
棒原神社の正面(南側)にたどり着いた。
正殿には足場が組み上げられる状態となっていた。(詳細については別の記事で紹介する)
お参りを終えてからのパチリ。棒原神社の階段の途中からは蚊野神社(皇大神宮 摂社)の社叢が遠望できる。
しかし、まずは御船神社へ向かうため前川踏切でJR参宮線を横断するとしばらくは線路に沿って歩く。
住所が玉城町から多気町へ変わるとこちらの地名板で遠望した
御船神社(皇大神宮 摂社)にお参り。
次に訪れるのは朽羅神社(皇大神宮 摂社)。直線で行ければかなり近いのだが・・・。
御船神社を後にすると
外城田川に沿ってこちらの橋まで歩いた。途中で雨がパラパラ。強雨にも対応できるように上だけレインウェアを着るとザックにレインカバーを掛けた。(雨の時は外から濡れるか、内から濡れるか、いずれにしても濡れてしまうのでどちらでもいいような・・・)
ついに朽羅神社が近づいてきた。
こちらにも「禁殺生」石が建てられている。
本日にお参りした坂手国生神社、棒原神社、御船神社、朽羅神社、蚊野神社には全てに「禁殺生」石が建てられている。
【参考】 「禁殺生」石を訪ねてのお伊勢さん125社まいり 2018年11月18日
朽羅神社にお参りしたところ普段とは異なる状況を見かけた。(その内容については別の記事で紹介する。)
朽羅神社を後にすると本日最後に訪れる蚊野神社へ。
途中で振り返ってパチリ。
直線距離は短いのに区画整理された田んぼの間を進むとここまで戻らなくてはいけない。
この橋からは先に訪れた御船神社を遠望できる。
御船神社を背にしてこちらを進むと
この近くから
裏道を通って
蚊野神社へ。
石の門柱に挟まれたような石階を進むと
薄暗くなった参道を進む。
苔むした雰囲気が変わらない蚊野神社、蚊野御前神社にお参り。
蚊野神社を後にすると後はスタート地点である玉城町役場へもどるだけ。
蚊野神社の近くで山神に挨拶してから
スマホのナビを開くと田んぼ道を勧めてくれたのでその指示に従った。この田んぼ道は直線で2km弱。
田んぼ道を離れると田丸橋へ向かったがその途中でパチリ。
また、寄り道も。こちらは田丸橋の上流側に架かる橋、サニーロードを車で走っているといつも気になる橋だったので今日は立ち寄ってみた。
鉄パイプで作られた欄干が魅力的だ。いまは農道のようだが、かつてはどのように使われていたのか?
名前のわからない橋を後にするとサニーロードを横断してこちらへ。
ここからは玉城町役場までブラブラ。
予定を30分ほど超過し、午後4時40分にゴールである玉城町役場まで戻ってきた。
スタートは午後0時40分だったのでピッタリ4時間の散策だった。