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志摩国一の宮 磯部まいり」を読みたくて借りた本「志摩のはしりかね 岩田準一著」

2018年12月02日(日) 「志摩国一の宮 磯部まいり」を読みたくて借りた本「志摩のはしりかね 岩田準一著」

11月10日に企画展「絵図と道中記でたどる志摩への旅展」が開催されれている志摩市歴史民俗資料館を訪れた。ところが疑問点を残したままだったため、昨日に再訪した。

 

【参考】

 

館長である崎川由美子さんのおかげで、疑問点が明らかになるとともに新たな情報を得た。

それは撮影禁止の展示に使用されている「磯部まゐ里 天保5年(1834)5月19日 帰路鳥羽巡り 同往三人(神宮文庫所蔵)」の訳本があることを。

その内容は岩田準一が著した「志摩のはしりかね」の附載として

志摩のはしりかね 岩田準一著

志摩のはしりかね 岩田準一著

 

「鳥羽町五人組名前帳」や「志州鳥羽藩禄高控」などと共に掲載されていた。

志摩国一の宮 磯部まいり(志摩のはしりかね 岩田準一著)

志摩国一の宮 磯部まいり(志摩のはしりかね 岩田準一著)

 

伊勢図書館で借りると読み始めた。

天保五年(1834)の記録だが磁石(コンパス)を使用して方位を確認している記述に驚いた。

磁石を出して見るに当家は西向にて向かう・・・

 

また、矼の文字が頻出することは当時の道と川との関係を物語っている。
本書でのルビは「とびこえ」となっているが「飛び石」のことだろう。

ここで川幅や水量を推測することはできないが、飛び石で越えられる川が多かったことだ。

 

今となっては往路(伊勢から磯部)へのルートを後追いすることはほとんどできないが、甑岩や鼎石大明神跡などには訪れることができるようなので今後が楽しみだ。

なお帰路、青峯山を越えての鳥羽巡りは今でも辿ることができる。私もそのルートについてはかなりの部分を同様に踏んでいたようだ。

矼を渡り山田の村にいれば岐路多く左へ沓掛道あり、右へ的矢道あり。

 

・・・青の峯の坂路(嶺まで十八丁)にかかる

(※ 現在の道標では十七丁となっている。)

など・・・

【参考】

 

この紀行文ではさまざまな点が仔細に表現されているので、もっと読み込まないと・・・

 

また、今まで手にしたことがなかった「志摩のはしりかね」の本篇も読んでみよう!

 

 

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