2020年01月03日(金) 年始のご近所神社まいり(伊勢市御薗町・大湊町・神社港・下野町・馬瀬町) (徒歩)
穏やかな年始である。午後からは【キタヰの妻】と「ご近所神社まいり」のため、御薗町から大湊町、神社港、下野町、馬瀬町を巡ると御薗町へ戻ってきた。
【二木神社(伊勢市御薗町小林)】
二木神社の社号標の文字は青色だったが年々色が薄れているように感じる。
【御役所稲荷社、二木神社(伊勢市御薗町小林)】
二木神社の境内にまつられている御役所稲荷社にもおまいり。
【参考】
- いつも気になる二木神社の御役所稲荷社(伊勢市御薗町小林) 2019年02月16日
二木神社を後にすると道標に従って大みなとへ向かった。
宮川と大湊川の合流点付近へ近づくと御幸道路から撤去された石灯籠は未だにこの場所に放置されていた。いつまでこの場所を占拠しているのか?
【参考】
- 今も御幸道路に残されている石灯籠 2018年08月04日
大湊川と宮川の合流点を眺めるとかつてこの場所に架けられていたであろう御祓橋(大湊橋)を想像してしまう。
【参考】
- 志宝屋神社(豊受大神宮 末社)前の寿し桶と第二湊橋付近の大塩屋跡を思いて(伊勢市大湊) 2019年04月07日
【志宝屋神社(豊受大神宮 末社)】大湊町
かつてこの辺りには大塩屋御薗と呼ばれる塩田が広がっていたことを想像しながら
志宝屋神社を訪れた。
音的には「志宝屋」=「しおや」=「塩屋」で、かつては塩屋社、塩屋明神と呼ばれていた。
【参考】
舟形の手水石が印象的だ。(後ほど、御食神社でも要チェック)
鳥の鳴き声もなく静かで糞害もない志宝屋神社。
志宝屋神社を出て右方向へ進むと電柱には[明神支14]の電柱番号札が掲げられていた。
【明神】とは塩屋明神に由来するのだろうか?
また、第二湊橋を渡る際に気になった鳥の群れを眺めるために大湊川の堤防道路へ上がると
鳥たちは飛び立ったが、
残された排水ひ管に
またもや【明神】の名前を見つけた。
湊橋で大湊川を渡ると
徳田 バス停の脇から三重県宮川流域下水道宮川浄化センターの隣にある公園を通り抜けた。
その途中の電柱にはなぜか[第二大湊橋支5]。先ほど渡ったのは湊橋だったが・・?
公園から水路沿いに歩いてたどり着いたのがこちら。以前から置かれている船型のようなものが印象的だ。
その側には塩田開墾(耕地整理)碑が建ち
この辺りも塩田が広がっていたことを物語っている。広大な塩田地帯だったのだろう。
続いては勢田川の左岸を遡ると
神社港に入った。
神社 海の駅 船のりば付近を後にすると町並へと入り
【御食神社(豊受大神宮 摂社)】神社港
御食神社へ向かった。
こちらの鳥居をくぐると
特別に設置されている二重の御垣は傷みがひどく所々が新しい板で張り替えられていた。固定には和釘ではなく木ねじが使用され、神宮により設置された御垣ではないことが明らかだ。
こちらは摂社でありながら玉垣の外側を地元で作った御垣が囲っていると聞く。通常は外側の御門は開かれていないが、この時期には開かれている。
そのために、他の摂社・末社と同様に玉垣前にてお参りできる。
内側から外の御門を出ると視線の先には
舟形の手水石が据えられている。志宝屋神社のものより大振りだ。
こちらは辰の井。今年は1月2日が「きのえたつ」で初辰の日であり、この日には辰の井から汲まれた水は氏子らに配られたことだろう。
【参考】
- 初辰の辰の井(御食神社) 2012年01月08日
御食神社を後にすると
【日和神社(伊勢市下野町)】
下野町まで移動して日和神社に立ち寄った。
少し離れたところからのパチリ。
馬瀬町には馬瀬神社があるが本日は立ち寄れなかった。住宅街を突き抜ける農業用水路(断面が半円形の古〜いベンチフリューム)が印象的だ。
住宅街を後にすると目指すは河原神社。
【河原神社(豊受大神宮 摂社)】御薗町新開
河原神社では小振りな手水石も気になるが、
こちらの石も気になる。かつては御敷地の中心に据えられていた石である。どうなるのか?
【参考】
- あの石は戻ってこないの?、河原神社(豊受大神宮 摂社) 2018年08月18日
最後には河原神社と同じくらいにご近所である御薗神社へ。
【御薗神社(伊勢市御薗町王中島)】
新年の雰囲気はこちらにも
そして
こちらにも。
お参りを終えると
境内の奥へと進んだ。
こちらにてもお参り。
御薗神社を出る頃には、夕暮れが迫っていた。
【大水神社(伊勢市御薗町王中島)】
御薗神社が最後だと思っていたが、その隣に小さな大水神社がまつられている。こちらが最後のお参りとなった。
ご近所でも長い巡りとなってしまった。