2019年09月16日(祝・月) 伊賀街道歩き(津市美里町三郷〜津市西丸之内) (車、近鉄、バス、徒歩)
写真好学研究所の仲間がVOLVOXにて(写真ではなく)絵画の二人展を開催している(た)ので訪れようと計画した。ところが、VOLVOLXの開館時刻が11時。午前の時間が中途半端になるため妙案を思いついた。
それは、同じく写真好学研究所の仲間が出展したグループ作品展を観覧した時と同じパターンである。
【参考】
- 「IWATA 6人展」@岩田商店 gallery(いなべ市北勢町阿下喜) 2019年05月03日
巡見道と濃州道の二部構成
第一部: 巡見道(西藤原駅〜濃州道との合流点[いなべ市藤原町山口]) 第二部: 濃州道(巡見道との合流点[いなべ市藤原町山口]〜阿下喜駅)
つまり、芸術鑑賞前の街道歩きである。VOLVOXに近くて、未だに歩いていない街道を考えるとそれは伊賀街道だった。
【参考】
- 伊賀街道 | みえの歴史街道
次のPDFの該当部分を携帯した。
- 伊賀街道 | みえの歴史街道マップ (PDF 約9.7MB)
伊賀街道は、長野峠を越えて伊勢国と伊賀国をつなぐルートで約50kmの距離がある。本日中にすべてを歩くことはできないため、近鉄 津新町駅から歩いて行ける距離までをピストンしようと考えたが、先のPDFのP.12に掲載されている「新開橋(長野川)」に目を奪われてしまった。その橋は、写真好学研究所の定例会が開催される古民家Hibicoreの近くだった。その近くには栗原バス停があった。
国道163号を走る路線バスの時刻表を調べると津新町駅前を8時43分発の平木行きがあった。これなら9時半頃から伊賀街道を歩き始めることができる。 計画が決まった。
予定通り、津新町駅前を8時43分発の平木行きに乗車するとクルマで走り慣れた道を社窓から眺めるひととなった。
津新町駅で乗車した時は二人、途中でひとりが降車したため、しばらくは大型バス独占状態の運行となり、ついに栗原バス停に到着した。ここでバスを見送るとバスのひとから歩くひとへ・・・。
古民家Hibicoreの隣にあるGallery0369では昨日で写真展を終えていたので、立ち寄ることもなく背にすると
右手に以前に訪れた弁天さんの屋根の頭を覗きながら・・・
さらに先へ進むと
待望の新開橋へたどり着いた。この橋を見たいがためにここに来たとも言えるのだから。しばし、この周辺をうろうろしていた。(地元の方にしてみれば完全なる不審者だったことだろう。)
ここからは、先に紹介した みえの歴史街道マップ のプリントを手にして歩き始めた。
※ なお、写真のキャブションで[4 長野川に架かる新開橋(伊賀街道 (5)三郷)]パターンである場合は「(5)三郷」ページにある4番の写真に該当する意味である。
新開橋を後にすると[三郷]。
さらに進むと訪れたことのある供養塔、御神燈にたどり着く。
【参考】
- 古民家Hibicore周辺ぶらり(津市美里町三郷) 2018年04月21日
ここで国道163号へ戻ると
次の交差点を過ぎて
津市水道局の引入口を通過。シールで消された文字を想像するが思い浮かばず?
振り返るといつも気になっていた建物をパチリ。クルマで走っているとなかなか止まることができないので初めてのことだ。
緩やかな坂を進むとこの先は以前から歩きたいと思っていた場所。
国道を離れると旧道へ進んだ。
「風祭護摩」とはなんだろう? 歩く人もいないので、疑問を解決できずに・・・
しばらくすると
御神燈と万度石に到着した。
畑仕事に出かけるおじいちゃんに話を聞く。いまでも地元の方々により草刈り等、手入れされているそうだ。(しかし、風祭護摩のことを聞くのを忘れていた。)
その後も旧道の雰囲気を楽しみながら進む。
すると、土蔵の先に
別の御神燈と万度石。
水路の眩しさを感じながら進むと
左手には国道脇へと移設された延命地蔵が遠望できた。
ズームにてパチリ。(そこまでお参りに行かず、こちらで遙拝)
来た道を振り返ってから広域農道グリーンロードを横断すると
先ほどにバスで通過した東足坂バス停を通り過ぎた。
この建物の前で右折して国道を離れると
右手には、丸高コンクリート工業の工場が広がっている。
こちらの交差点を左方向へ取るとしばらくは道なりに進む。
クランクをカクカクと。
ここは[中之郷]。
さらに旧道の風情を楽しみながら。
左手に西方寺を過ぎると
道なりの先に小祠を見つける。これは御神燈の台石に建てられたもののようだ。そして、その中には
津島神社の神札が供えられていた。
津島さんを後にして道なりに進むと、旧道は下之郷バス停付近で国道と接する。
しかし、国道に合流するのではなく、再び国道を離れる。(下の写真では右から来て、中央の小道へ。左側が国道163号)
さらに、先程と同様に国道と接することを繰り返す。
旧道を実感できるくねくね道にワクワクしながら進むとその先には
道標が建っている。右方向は草むらとなり、道を見つけることはできなかったのでこの先のアスファルト舗装路へ向かった。
こちらは、その先の交差点にある神社の鳥居。国道をクルマで走っていていつも気になっていたものだが、この神社は閉鎖されていた。由緒には弘法大師云々とあるが・・・
先ほどの交差点から国道を背にして歩くとこちらの石柱にたどり着く。伊勢山田までの距離は11里19町とある。
この石柱が立つ交差点を左へ進む。
八壺川なる川に架かる茶屋橋を過ぎるとほどなく
こちらの道標と常夜燈にたどり着く。のどかな雰囲気とは裏腹に強風が吹き荒れていた。
刈り取られずに残されていた稲が強風に吹かれる姿を眺めながら、自らも吹き飛ばされないように国道へ向かった。
国道へ合流すると
ここは吹上バス停付近だ。
バス停の向かい側に「外山城跡」の説明板を見つけた。
その案内板に誘われて坂道を進んだが、城跡であることを確認できるものを見つけることはできなかった。
外山城跡から国道へ戻ると歩道の無い吹上坂を進んだ。
道路標識から湿潤であることが想像できる。
スピードを上げて坂道を進んで来るクルマに注意しながら吹上坂を下った。
坂を下る途中で右手に人工池のような風景を見つけたので国道をそれて坂道を進むとそこにはこんな風景が広がっている。なぜかここは穏やかだった。
国道へ戻り少し進むと、左手に津市水道資料館が遠望できる。一度は訪れたいと思っているがなかなか・・・。(本日もあそこまで寄り道する気力はなかった。いつになるやら・・・。)
(そういえば、以前に火災が報じられていたことを思い出した。)そんな記憶を辿ってると自転車の女性が颯爽と坂を下っていった。
私はこちらで国道を離れると旧道へ。土道を予想していたが、アスファルト舗装されているのには驚いた。
国道と離れる距離は短いので程なく
国道へ戻ってくる。
こんな感じで国道を歩いたり、離れたりの繰り返しだ。
久保町集会所に意識を奪われたため、右側の旧道に気づかずにいた。
久保町集会所に残された常夜燈をパチリ。こちらには以前に訪れたことがある。
片田久保町集会所からほどなく、旧道が国道と合流する場所がある。
ここには「観慶寺 約三丁、光善寺 約六丁・・・」と刻された道標が建てられている。
道標の先での二又。右へ進み、さらに左へ。
左側[× 行き止まり]の標識があるが、地図上では左方向なので・・・。
するとこの場所で国道へ戻っていた。(ところが、この場所は私有地[駐車スペース?]のようで通っていいのか微妙な場所だ。今回は徒歩で勝手に通過させていただいたが・・・)
国道へ戻ると旧 旅籠が道路を挟んで今も建ち、
その先には立派な土蔵も見られる。(本日、パスでも眺めたものだ。)
片田バス停の先で国道を離れて右へ折れるとくねくね(ただし、こちらは伊賀街道ではなく寄り道)、
その先には常夜燈が見える。
常夜燈に近づいてパチリ。見上げるほどにかなりの高さである。
常夜燈を過ぎてさらに進むと
こちらは道標地蔵だった。さらに、
その傍らには今や用をなしていない道標が横たわていた。
寄り道から国道163号へ戻ると、今度はこちらで左方向へ。
こちらは伊賀街道である。
民家の間をすり抜けるように進むと
こんな掲示を発見。「大道作り」とは何だろう?(この件についても尋ねる人がいない・・・。)
ほどなく、こちらの社号標に到着した。「八乳合神社」、実はいつも古民家Hibicoreへ向かう途中で訪れたいと思いつつも通り過ごしてしまっていた神社だった。やはり、時はいつかやってくるのだ。その時を待つことも重要なのだろう。
鳥居をくぐり石段を進むと手水石の先にはさらに
鳥居と石段が待っていた。この石段は私を試しているのか? 空腹を感じながらも石段を踏みしめながら上った。
何とも心地よい空間だろう。空が抜けている。
お参りを終えると石段で稼いだ高さを楽しんだ。
社窓の風景を確認してから最後の石段を下ると
左手に山の神を見つけた。
TVで見たことがある木の枝が供えられていた。山の神は女性と言われるので
こちらは明らかに男性。
しかし、こちらは・・・・? この意図も疑問だ。またまた疑問が増えてしまった。
疑問だらけで頭をモヤモヤしながらも、口にはパンを押し込んでモグモグ状態で国道を横断した。片田郵便局前交差点で国道と交差する道が伊賀街道である。
最近は見慣れない光景をパチリ。
ここは[田中]。
道なりに、さらには水路に沿って進むと
再び、いや何度たびだろうか、国道へ合流した。
しばらく歩いていると見覚えのある緑色のFitが追い抜いていった。クルマの番号を確認すると、あれは古民家Hibicoreの主である松原さんだった。(ギャラリーで開催していた写真展が昨日で終了していたので勝手に不在だと思っていたが、顔を出しておけば良かったのにと後悔)
しかし、街道歩きはまだまだ続く。志袋団地バス停を過ぎ、
忠盛塚バス停を過ぎると
こちらで国道を離れる。右方向の細い道へ。
電柱は[三軒町]。
予想以上に長い道を進むと
伊勢自動車道付近にたどり着く。高架をくぐり、国道163号と中勢バイパスをつなぐ道路を横断した。
さらに旧道を歩くと
[五軒町]に。
こちらの交差点には
「新四国八十八ヶ所・・」の石柱が残されている。
国道へ戻ると道路の向こう側にはバス停の残された一台の自転車。
ここは五軒町バス停。
道路向かい側の電柱には[分部]とある。
西部市民センター前バス停を過ぎ、
殿村北交差点を右折する。
手にしたマップによると櫛形バス停の先が
「さんし」と呼ばれる場所のようだ。
マップの説明書きは次の通り。
堤防が一段低くなっているところ。城下を洪水から守るため造られたもので、大水の時はここを切って岩田川に水を流した。
中勢バイパスをくぐり、堤防道路の下をさらに進むと
ここも[櫛形]。
堤防道路の
信号機を見上げるがバス停より背が低い。
伊賀街道(旧道)が南河路バイパスと合流する辺りで
堤防へ上ると安濃川を眺めた。
国道沿いの神納南バス停からは
国道を離れて左方向へ。
名残の大木を経ると
延命地蔵尊に
お参り。
マップに従ってさらに進むと土蔵跡のような場所を通過。しようと思ったが堤防への小道から男性が下って来たので、私は上ると
そこにはこんな風景が広がっていた。これから向かうVOLVOXの方向を・・・
伊賀街道歩きも終盤、
谷川士清旧宅を通過(本日は観覧せずに)
この場所で左を見やると
ここは慈眼院観音寺。この雰囲気に誘われると門をくぐった。
境内には子安地蔵尊、琴平大権現、他にも多数の祠がまつられている。
街道へ戻ると一筋先に鳥居が遠望できた。しかし、今の私にはあそこまでが遠い。(道草虫も疼かない)
あとは只管にゴールを目指すのみ。
近鉄とJRが並走する踏切を
渡ればすぐそこがゴールだ。しかし、正面のビルの前にある自動販売機に誘いこまれた私。思わず100円になっていたデカビタCを購入すると一気飲みしてしまった。
落ち着きを取り戻すと左へ
[中新町]
次は右へ。この路地の先がゴールだ。
そしてこちらが本日のゴール地点。
電柱では[緑町]だ。
ここまでお世話になったマップがこちら。
予定では3時間ほどだったが、結局は9時半から14時半まで5時間を要した。
暑い日だった。風の強い日だった。いつもながら寄り道が多かった。
この後は、VOLVOXへ向かった。