古文書の会(2018.12.08・09)@河邊七種神社社務所

2018年12月08日(土)、09日(日) 古文書の会(2018.12.08・09)@河邊七種神社社務所 (車、徒歩)

河邊七種神社社務所での古文書の会は通例通り、第二週の土曜日、日曜日に実施された。1枚の絵図「川崎北之屋敷繪図」を2日間で読み終えたので記録としてはまとめて掲載した。

 

【2018年12月08日(土)】

今月も古文書の会に参加するため河邊七種神社を訪れた。

河邊七種神社(伊勢市河崎)

河邊七種神社(伊勢市河崎)

 

まずはお参り。

河邊七種神社社務所(伊勢市河崎)

河邊七種神社社務所(伊勢市河崎)

 

私は鳥羽から駆けつけたら何とか開始時刻には間に合った。社務所へ入ると参加者が揃っていた。

河邊七種神社社務所(伊勢市河崎)

河邊七種神社社務所(伊勢市河崎)

 

本日は

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

 

「川崎北之屋敷繪図」を読み始めた。

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

 

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

 

この絵図には各敷地について各辺の長さおよび坪数(面積)、年貢の額、所有者、他には道や門、堀などが記されている。

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

 

興味深い記述がいくつかあり、講師の千枝さんから解説があったのでそれらをまとめておく。

  1. 「年貢羽書」とあるが通常なら「年貢銀」または「年貢米」と記されるところがあえて「羽書」と記されている。これは実物ではなく計算貨幣や名目貨幣として帳簿上の表記として使用しているのだろう。田舎だと羽書の表現はなく都市性が伺える。羽書を早期に実用化した山田(河崎)特有のものかも知れない。
  2. この絵図では見えない線が正確に引かれ、線も文字も縦横が整然と書かれている。この紙をよく見ると硬いヘラ状のもので等間隔に格子の筋が付けられている。これは角筆(かくひつ)と呼ばれるものだ。

 

角筆を意識せずに撮影していたためこの画像でそれらを確認することは難しい。

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

 

そこで画像処理してみるとこんな感じになった。横の筋は何となくわかるだろう。(目で見ればよく分かるのだが・・・)

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.08)@河邊七種神社社務所

 

【2018年12月09日(日)】

続いて翌日も「川崎北之屋敷繪図」を読み進め、なんとか読み終えた。

河邊七種神社にて(伊勢市河崎)

河邊七種神社にて(伊勢市河崎)

 

昨日に確認した格子状の角筆を紹介しようとこの写真を撮ってみたが

古文書の会(2018.12.09)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.09)@河邊七種神社社務所

 

余りうまく表現できていない。何となく格子状に見えるだろうか。

古文書の会(2018.12.09)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.09)@河邊七種神社社務所

 

最後に絵図の裏を見るとこの地域の年貢は清雲院(寺)が取りまとめていたと考えられる。

古文書の会(2018.12.09)@河邊七種神社社務所

古文書の会(2018.12.09)@河邊七種神社社務所

 

清雲院なる寺を調べると「伊勢の民俗」のP.454に次の記述がある。

(11) 神社地区の寺院
浜郷地区の北に位置する勢田川下流域の神社地区には神社港の清雲院と竹ヶ鼻町の善慶寺の二カ寺がある。
清雲院は浄土宗鎮西派に属する。この寺は徳川家康の側室お夏の方の心願によって寛永七年(1630)吹上町に建立されたが、寛文大火で焼失後は妙見町に移った。明治五年再び消失し、堂宇は再建されたものの廃寺同然となっていた。神社町では大正四年に現在地へ堂宇を建て、尾上町の寿巖院に預けられていた清雲院の仏像・什具類を引き取って寺院を興したのである。ちなみに、神社町には江戸末期に地蔵院・善応寺の二カ寺があったが、明治元年に地蔵院は善応寺に合併となり、善応寺もその翌年には廃寺となった。廃仏毀釈の流れが強く以後神社港には寺院は皆無となった。廃寺同様であった清雲院はここに再興されたのである。

 

この記述に従えば、本絵図は清雲院の建立年1630年以降に描かれたことになる。なお、寛文の大火「鉈(なた)屋火事」は寛文10年(1671年)に発生している。この絵図は清雲院がどこにあった時のものだろうか?

 

12月の2日目の最後にはこちら資料が配付された。世話役である松本眞一さんが、前回に読んだ「元大橋 普請金拂方扣帳」の翻刻と解説をまとめてくれた逸品である。古文書勉強のテキストとしてすぐにでも利用できる。

松本眞一さんによる「元大橋 普請金拂方扣帳」のまとめ

松本眞一さんによる「元大橋 普請金拂方扣帳」のまとめ

 

松本眞一さんに感謝。

松本眞一さんによる「元大橋 普請金拂方扣帳」のまとめ

松本眞一さんによる「元大橋 普請金拂方扣帳」のまとめ

 

次回は2019年01月12日(土)および13日(日)、両日とも13:30〜の予定である。

「来るもの拒まず!」

 

【参考】 私が参加した過去の記録

 

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