馬之上の獅子舞(明和町馬之上)

2021年10月24日(日) 馬之上の獅子舞(明和町馬之上) (車、徒歩)

知人から情報をいただき、馬之上の獅子舞を拝観し記録するために粟須美神社を訪れた。

獅子舞を体感するのは久しぶり。ワクワクする。

 

かつては他地区からも見学者が訪れるほどの盛大な獅子舞だったが、2012年を最後に途絶えた。その後、老人会や地区役員(神楽組の経験者)に獅子舞だけ(天狗はなくても)でも残したいとの思いが高まり、数年前より神社と南北にある山の神でヒョリヒョリと呼ばれる簡単な四方祓の獅子舞を役員が舞っている。

粟須美神社の例大祭に合わせ、獅子舞を実施するようになった。(かつては2月10日の寒い時期、雨でも雪でも関係なかった。)

とのことだ。

まずは、私が体感した現状を記す。

 

9時半頃に粟須美神社を訪れると

粟須美神社(明和町馬之上)

粟須美神社(明和町馬之上)

 

祭典の準備は終えられていた。

祭典の準備を終えた粟須美神社(明和町馬之上)

祭典の準備を終えた粟須美神社(明和町馬之上)

 

祭典の次第はこちら。

祭典の次第、粟須美神社(明和町馬之上)

祭典の次第、粟須美神社(明和町馬之上)

 

神社の脇に駐められた軽トラックの荷台には

馬之上の獅子頭(雌)、粟須美神社(明和町馬之上)

馬之上の獅子頭(雌)、粟須美神社(明和町馬之上)

 

獅子頭が待機していた。この獅子頭は雌である。

馬之上の獅子頭(雌)、粟須美神社(明和町馬之上)

馬之上の獅子頭(雌)、粟須美神社(明和町馬之上)

 

定刻の10時になると10数名の拝観者が見守るなか祭典が斎行された。

例大祭、粟須美神社(明和町馬之上)

例大祭、粟須美神社(明和町馬之上)

 

例大祭、粟須美神社(明和町馬之上)

例大祭、粟須美神社(明和町馬之上)

 

祭典が終了すると、境内での獅子舞。

獅子舞の奉納、粟須美神社(明和町馬之上)

獅子舞の奉納、粟須美神社(明和町馬之上)

 

獅子舞の奉納、粟須美神社(明和町馬之上)

獅子舞の奉納、粟須美神社(明和町馬之上)

 

神社を後にすると神社の東方向にある南端の山神へ移動した。

粟須美神社から南端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

粟須美神社から南端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

 

粟須美神社から南端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

粟須美神社から南端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

 

粟須美神社から南端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

粟須美神社から南端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

 

まずはこちらの山神にてヒョリヒョリ。

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

続いては、向かいの山神にてもヒョリヒョリ。

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

拝礼を終えると

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

南端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

続いては、北端の山神へ移動。(粟須美神社から御糸道を北方向へ)

南端の山神から北端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

南端の山神から北端の山神へ移動する獅子頭(明和町馬之上)

 

先の記事でも紹介した馬之上バス停のところ。

明和町民バス 馬之上バス停付近

明和町民バス 馬之上バス停付近

 

こちらでは、

北端の山神(明和町馬之上)

北端の山神(明和町馬之上)

 

拝礼の後に

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

ヒョリヒョリ。

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

北端の山神での獅子舞(明和町馬之上)

 

獅子舞が終わると、手締めは無く終了となった。


 

この後、馬之上生活改善センターにて、明和町役場による老人会や地区役員の方へのヒアリングが実施された。

馬之上生活改善センター(明和町馬之上)

馬之上生活改善センター(明和町馬之上)

 

センターの一室には獅子舞道具一式を納めた長持が保管されている。

獅子舞道具一式を納めた長持(馬之上生活改善センター)

獅子舞道具一式を納めた長持(馬之上生活改善センター)

 

そこには現在では出番が無い天狗面が隠れていた。

天狗面(馬之上生活改善センター)

天狗面(馬之上生活改善センター)

 

長持に年代が記されているとの情報があったため、長持は広間へ運び出された。

獅子舞道具一式を納めた長持(馬之上生活改善センター)

獅子舞道具一式を納めた長持(馬之上生活改善センター)

 

長持から獅子舞道具一式を取り出すと

長持から出された獅子舞道具一式(馬之上生活改善センター)

長持から出された獅子舞道具一式(馬之上生活改善センター)

 

かつては獅子が使った御幣や鈴。さらには刀や太鼓など。

長持から出された獅子舞道具一式(馬之上生活改善センター)

長持から出された獅子舞道具一式(馬之上生活改善センター)

 

長持は祭壇にも変化する。

太鼓と長持の上に祭壇を組みたてる部材(馬之上生活改善センター)

太鼓と長持の上に祭壇を組みたてる部材(馬之上生活改善センター)

 

こちらは、雄の獅子頭。雌よりは大ぶりで重く、口が壊れているため使われていない。

馬之上の獅子頭(雄)(馬之上生活改善センター)

馬之上の獅子頭(雄)(馬之上生活改善センター)

 

さきほど長持の中にいた天狗面。

天狗面(馬之上生活改善センター)

天狗面(馬之上生活改善センター)

 

長持の内側底部には情報通りに墨書が残されていた。「天保十四」、馬之上の獅子舞の歴史が確認された瞬間だった。

長持の内側底部にあった墨書(馬之上生活改善センター)

長持の内側底部にあった墨書(馬之上生活改善センター)

 

三重県がまとめた資料および今回のヒアリングによると、かつては次のような次第だったようだ。

悪霊退散・家内安全・五穀豊穣のための行事で、15歳〜30歳の長男が獅子舞を担当する神楽組を構成した。1月8日から円明寺で練習し、2月10日が本番。潔斎を終えた神楽組は夜明け前に円明寺に集まると衣装を付け、獅子頭や天狗面、太鼓などを載せた屋台を準備した。粟須美神社で舞い始めるとカドマワシ(門舞わし:地区全戸を巡る)にでた。最後に円明寺へ戻るとオクリジシ(送り獅子:山の神へ出かける獅子を送り出す舞)が舞われた。他地区からも見学者が多くカドマワシよりも大いに賑やかになった。盛大な時は露天が並んだ。円明寺を後にすると、天狗は寺の前の辻と南北にある山の神の辻でタケキリ(竹切り:語弊の付けられた竹を刀で切る)を行った。境界での悪魔祓いである。最後、神楽組と見学者による手締めとなり獅子舞を終えた。

 

現在はほそぼそとでもなんとか継続されている。

少子化のため若者がいなくなり神楽組を構成できなくなり、2012年を最後に獅子舞は途絶えた。一時期、町の主催で同好会を作って盛り上がったが後継者はいない。今は老人会を中心に維持している。

 

印象的だったのは次の一言。

練習の時に五目めしを腹いっぱい食べさせてもらえたのが嬉しかった。

 

久しぶりに懐かしい音を響かせる太鼓達。

太鼓演奏の再現(馬之上生活改善センター)

太鼓演奏の再現(馬之上生活改善センター)

 

明和町行政チャンネルのクルーにより取材を受ける皆さんは

獅子舞だけでも続けたい。できれば天狗も登場させたい。

と。

明和町行政チャンネルのクルーによる取材(馬之上生活改善センター)

明和町行政チャンネルのクルーによる取材(馬之上生活改善センター)

 

少子化の影響で神楽組を構成することができずに中断した獅子舞だったが、すべての獅子舞を復活できずとも、自分たちでできることを地道に進める古老のおかげて馬之上には今も獅子舞が残されている。

 

台詞が決められた芝居仕立ての舞の記録が、VHSテープに残されていた。

過去の記録映像

過去の記録映像

 

今回のインタビューについては明和町行政チャンネルで放送された後、アーカイブ化されるそうだ。また、VHSテープもデジタル化されてアーカイブ化されるかもしれない。

詳細な内容については、明和町役場によるアーカイブに期待したい。

 


【追記】

ネットで調べると馬之上の獅子舞の映像がみつかった。

ひとつは、三重県のアーカイブ。

 

そして、もう一つは三重県の獅子舞を悉皆調査した故 服部勝行さんによる映像だった。

明和町馬之上 馬之上の獅子舞 門舞 | YouTube 三重県 神楽獅子舞チャンネル

【参考】

 

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