2018年06月11日(月) 京都市内の「桝屋町」巡り (近鉄、徒歩)
前回の京都訪問の後、京都には多数の桝屋町(ますやちょう)が存在することを知った。
【参考】
- 私的にはぜひとも実現したい京都市内の桝屋町(ますやちょう)巡りツアー 2017年09月20日
ぜひとも全ての桝屋町を巡りたいと思っていたところ京都を訪れる機会を得た。午前中はフリーだったので京都駅から目的地であるハートピア京都までを3時間ほどで巡れるルートを考えた。このルートには升屋町を加えた8箇所(次の地図の(B)〜(I))の「ますやちょう」が含まれている。
なお、今回の巡りでは多くの目的をもって臨んだ。
- 京都市内の桝屋町を体感する。
- 頭では知っていた条里制(正確には条坊制らしい)を体感する。※2
- 国内でも使用できるオフライン地図ソフト MAPS.ME の機能、性能を検証する。※3
- 時代遅れとなったNexus7(2012)-32Gの現時点での可用性を検証する。※4
【参考】
- (※2) 条里制は地方の土地区分法、条坊制は都の区画配置法
- (※3) MAPS.ME — オフライン地図とナビゲーション | Google Play
- (※4) Nexus 7 (2012)がAndroid 7.1.2で快適なブックリーダーに! 2017年10月24日
- (※4) ほぼ文鎮化された「nexus 7 (2012) wifiモデル」の復活! 2016年01月01日
まず、オフライン地図を使用するためにGoogleマップにて上記のマイマップを作成しそのデータをMAPS.MEにインポーとした。さらにMAPS.MEには京都府の地図データをダウンロードしておいた。(さらに念のため各桝屋町周辺部を拡大し印刷した数枚の紙片も)
今回、参加する(した)講習会は午後1時からなので、3時間ほどの余裕を持って京都駅に到着した。さあ、桝屋町巡りのスタートだ。
【京都駅】
京都駅を出発した時点から
写真を撮りまくりながら歩いていたらかなりスローペースとなってしまったので、この辺りでその行動を改めた。「写真を撮りまくるのは桝屋町だけに!」と。
渉成園を背にして高倉通を進むと
ここまで歩いてしまった。升屋町の地名を探しながら歩いたが見つからない。
高市大明神にお参りしてから「おみくじ」板を眺めているとその左端に
消えかかった「枡屋町」の文字を見つけた。
さらに先へ進むと右手には高倉会館、高倉幼稚園があり、近くに停まっていたタクシーの運転手さんに尋ねるとここは富屋町だとのこと。
行き過ぎてしまったと判断した。建物の壁面などを注意深く観察しながら来た道を戻るとやっとここに升屋町の証しを見つけた。
建物の二階部分のここ。この上なき感動! それが桝屋町ではなく、升屋町であったとしても。しかも京都の地名は面白い。条坊制を如実に表しているようだ。(そう言えば、先ほどのタクシー運転手さんは「下って・・・」と言っていた。「上る」「下る」が日常なのだろう。京都人は方向感覚に優れているのだろう。)
高倉通を五条通まで進むと歩道橋を渡ろうと思ったが、目の前に信号が青に変わったため横断歩道を渡ってしまった。(惜しいことをした。)
マップの順路に従い、C地点の桝屋町を目指す。MAPS.MEはGoogleマップに比べれば情報量が少ないが事前にルートを仕込んでおけばオフライン地図としては十分に機能する。GPSの感度が良くないのはNexus7(2012)の性能のせいだろう。最初はGPSの方向が定まらないで不安であったが、しばらくすると落ち着いてきたのか、私が慣れてきたのかあまり問題は感じなくなった。
このような雰囲気の松原通を西から東へ。
有限会社天野広業印房の前で松原通から御幸町通を上った。
近くに地名板を見つけるとここは桝屋町ではなく、石不動町だった。
さらに先へ進むと左の建物に
桝屋町を見つけた。
ここにも桝屋町の文字。今でも生きた地名として使用されているのだ。
さらにここにも。
パン屋さん(汎洛)にたどり着きここで思い出した。この通りこそが私に桝屋町の存在を気づかせてくれた場所だったことを。(冒頭のリンク参照) ここからは一本西側の麸屋町通へ移動し
桝屋町の存在を気づかせてくれたパン屋さん(汎洛)(京都市下京区)
上ると右手に京都市学校歴史博物館。
左手に・・・
さらに上ると
アーケードが近づいてきた。その先は
四条通だった。
四条通を横断し、さらに進むと
Dの桝屋町に辿り着いた。
この地名板は内装工事中の建物の柱に取り付けられたもの。今後もこの場所から離れないでいて欲しい。さらに上ると
錦小路と交差した。
錦小路にいた男性さんに尋ねると「(錦)小路の南側までが桝屋町だった」と。(ここで過去形だったのは気になったが、問い詰めることはせずに流してしまった。)
錦小路を後にすると右手に国登録有形文化財である革島医院の前を過ぎ
左手にある生祥児童公園内を斜めに進んだ。(これもマップの指示通り)
六角通を西へ進むと
この変則的な交差点から高倉通を上った。(次の写真では上方向から来て左方向へ進んだ。)
たどり着いたのは京都文化博物館 別館が建つ交差点。ここを右折すると
その角はファミリーマート 京都三条高倉店。
桝屋町の気配を見つけら得ないままと通り過ぎてしまうのか? 古い建物を注意深く眺めながら(絶対的に不審者と思われていただろう。)進むとその甲斐があって
分銅屋足袋の壁面に
ほとんど文字が見えなくなった地名板を見つけた。「おお、微かに見えるは桝屋町!」
E地点の桝屋町もクリアし、先へ進むと雰囲気のある建物が次から次へと現れる。その中からパチリ、パチリ・・
この場所にたどり着くと左方向と直進方向の二方向にアーケードがかかっている。ナビによればここは左の寺町へ。
アーケードを抜けるとその先は御池通で、こちらを横断すると京都市役所を右手に見ながら寺町通を進んだ。
寺町通は二条通と出会った辺りで右折すると
次の交差点で二条通から新烏丸通へ入った。
さらに上るとこんな建物の脇を進んだ。
さらに上ると丸太町通に出た。右方向には河原町丸太町交差点。交差点の北側が桝屋町ではずだが歩き回ってもその地名を示すものを見つけることができなかった。
裏通りを歩いていると銭湯を見つけた。「桜湯」
いくら探しても見つからなかったのでF地点での桝屋町探しは諦め、あるはずの桝屋町方向を遠望するとこの場を後にした。
河原町丸太町交差点から丸太町通を西へ進むとこんな地名板を見つけた。その先は
京都地方裁判所がある交差点。G地点の桝屋町はこの辺りだった。
富小路通を下ると
入ってすぐ近くに立つ「京都市広報板」にて
桝屋町の名を見つけた。ここがF地点の桝屋町だ。
通りすぎてから振り返ってのパチリ。
ここからは竹屋町通を西へ進んだ。すると本日の目的地であるハートピア京都の脇にたどり着いた。
ここからまだ2箇所を巡るため、ハートピア京都を背にすると竹屋町通をさらに西へ進んだ。
するとここにも銭湯「井筒湯」を発見。煙突が可愛い。
ここから釜座通を上ると
こちらいきなり桝屋町を見つけた。
興味深いのは「中京区釜座通竹屋町上る桝屋町」
とその先でも見つけた桝屋町の
「中京区釜座通丸太町下る(桝屋町)」 ブロックが異なると「上る」と「下る」に変化するのか。京都の地名は面白い。ただし、常用するとなると大変そうだ。
ここはまだ、桝屋町(釜座通丸太町下る、釜座通竹屋町上る)と二種類であるが、先ほど通過した分銅屋足袋のあるE.桝屋町は、桝屋町(柳馬場通三条上る、柳馬場通三条下る、堺町通三条上る、堺町通三条下る、高倉通三条上る、高倉通三条下る、三条通柳馬場西入、三条通堺町西入、三条通堺町東入、三条通高倉東入)と10通りもあり、かなり複雑だ。
雨と風が・・・ 本日最後の桝屋町を目指して堀川丸太町交差点から
北方向へ。
椹木町団地を過ぎると
この辺りがI地点の桝屋町だろうか。しかしこの地名を示すものを見つけることはできずにタイムリミットとばった。(帰宅後に調べたところ、地図的にはこの付近が桝屋町だった。)
途中でサンドイッチを買い求めると歩きながらパクツイてハートピア京都へ急いだ。
何とか開始10分前には本日の目的地へ到着することができた。
これにて、京都市内の「桝屋町」巡りは終了となった。なお今回の目的に対する結果は
- 京都市内の桝屋町について体感はできたが次回はじっくりと巡りたい。
- 歩くことで距離感がわかり、地名を知ればさらに条坊制に興味が湧いた。
- オフライン地図ソフト MAPS.MEは今回のような使い方では十分に機能した。
- Nexus7(2012)-32GはOSをアップしてから可用度が高まった。今でも十分に使える。
「桝屋町」完訪はいつになるだろう。