2019年05月26日(日) 国道42号から見かけた朱の鳥居を目指して(多気郡大台町栃原) (車、徒歩)
先週に国道42号を車で走っていた時、右手に鮮やかに遠望された朱の鳥居。あれは川添神社付近から新田交差点へ向かう途中、今までは気に無らなかった(見えなかった)のに、なぜかこの時はとても印象的だった。
本日はお伊勢さん125社の各所を巡り多岐原神社(度会郡大紀町三瀬川)へも訪れたので、その帰途にて気になっていた鳥居を目指すことにした。
初めて訪れるのなら歩くのが一番だ。JR紀勢本線 栃原駅前の駐車スペースに車を駐めると鳥居の方を目指して歩き始めた。
線路を越えないといけないので、線路に近いこちらの道を・・・
しばらく進むと先ほどの道は左へとカーブしていた。カーブを曲がり始めた辺りでおばちゃんと挨拶を交わすとあの鳥居について尋ねてみた。すると「こちらの小道を進んで踏切を渡る」ルートを教えていただき、「この鳥居は最近建てられた。」「お稲荷さんの名前は?である。(地元の方にとっては固有名詞を知らなくても「お稲荷さん」の呼称で十分だ。)」ことが明らかになった。
その女性に御礼を述べるとこの道を進んだ。ほどなく現れた
栃原第二踏切で線路を渡ると
鳥居が立つ方へと・・・。
踏切の近くでこん標識を見つけた。「バンブーバスター事業」
左手にはJR紀勢本線の線路、その向こうには国道42号に架かる歩道橋が望めた。
近くに電柱にはNTT「茶屋幹 12」の札が掲げられている。
しばらくすると斜面に広がる茶畑の先に朱の鳥居が現れた。
道なりに進むと朱の常夜燈を見つけた。火袋には「平成二十七年三月吉日」と記されていた。
こちらの斜面に続く参道を進むとその途中で地名が多気郡大台町新田から栃原に変わるようだ。
一心に坂道を進むと待ちに待った例の朱の鳥居にたどり着く。
鳥居からの風景はこちら。
鳥居に掲げられた扁額には「稲荷山」「秋葉山」の山号が記されていた。
また、鳥居の柱には「茶浦区」
「平成三十年三月吉日建立」とあった。はやりあの女性が言っていたように最近(一年ほど前)に建てられたもののようだ。だから、私も気が付かなかったのだろう。
鳥居をくぐり、左方向の参道を進むと次の鳥居が現れる。
その鳥居の手前には庚申堂がまつられていた。
堂の隣にはこの石碑。
堂内には庚申さん。
庚申堂の鳥居をくぐると階段が現れた。
どんどん高度を上げると
最後の鳥居が近づいてきた。
最後の階段を上ると鳥居の先には
コンクリート製の頑丈は殿舎が建っていた。
山頂に立つ木にはこちらの山頂標が掛けられていた。「稲荷山 100m 松阪ノ猪」
お参りを終えると山頂からの眺望を楽しんだ。
常夜燈が立つ参道の入口まで戻ると来た道とは反対方向へ・・・その途中再び見上げて例の朱の鳥居をパチリ。
立っている場所は「nijiiroの駐車場」だった。
道なりに進むと見慣れた場所へたどり着いた。(ここだったのか)
そこには「熊野古道・バカ曲り」の案内があり、当時を思い出した。
【参考】
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(栃原から下楠まで) 2013年05月25日
道標を背にすると
旅館 岡島屋があり、
その向いには一度は訪れてみたいと思っている「nijiiro」。
OPEN日時はかなり限定的だった。(土曜日の11:00〜18:00)
この後、JR紀勢本線の新田踏切を渡った際、以前から気になっていた茶屋一願地蔵の案内柱を見つけたのでそちらにも寄り道した。その内容は別の記事で紹介する。
茶屋一願地蔵から戻ると国道42号へ出た。新田交差点から川添神社方向へ戻ると
ここでは左手に朱の鳥居を遠望できた。
ズームにてもパチリ。
一週間気になっていた朱の鳥居の存在を確認し、気分もスッキリするとこの寄り道も終わりを迎えた。栃原郵便局の脇から小道へ入ると栃原駅まで戻った。
以上で (大台町栃原の散策)を終え、お伊勢さん125社まいりへと戻った。