2019年09月28日(土) 住宅街で見つけた多数の墓石(伊勢市宮後3丁目) (徒歩)
曇りがちな空を気にしながらも伊勢和紙ギャラリー(大豐和紙工業株式会社 内)へ歩いて向かった。
なるべく歩いたことがない道を歩こうと進むとこんな場所にたどり着いた。それは違う方向からは眺めたことのある新一之木公園だった。公園の銘板を左に見ながらその先へ。
新しい車道で分断されたこの道をさらに進めばそれは見たことがある風景だった。
歩いたことのある道でも
観点が異なればまた面白い。最近はとても気になっている電柱のこちら。NTTの識別標には「鶴辺」の文字が見えた。
左右の電柱を見にしながらゆっくりと先へ進むと道の前方は湾曲し、左手には畑、そしてその奥には
なんと、多数の墓石が建ち並んでいた。
多数の民家が建ち並ぶ住宅街の一画にこんな場所があるとは・・・。しかも多数の板碑も見られる。
読み取れそうな墓石を探すと、こちらには「河井範康」「河井範孝」の名が刻されていた。
「河井範康」および「河井範孝」をネットで調べると次の情報を得た。これは秋田耕司さんがまとめられた貴重な資料であり、両名は御師であることが記されていた。
【参考】
- 「御師」大研究中間報告(PDF)|秋田耕司さん
ちなみに、秋田耕司さんについては、こちらで詳しく紹介されている。
【参考】
- 伊勢居人〜伊勢で暮らすディープな人たち〜NO.05 秋田 耕司 |三重県に暮らす・旅するWEBマガジン-OTONAMIE(オトナミエ)
また、その他の墓石には「度會」と刻されたものもちらほら。
この墓所を後にして狭い路地を進むと見覚えのある場所にたどり着いた。ここは例の場所。
ここまで歩いたルートは逆方向には何度か歩いたのに、向きと意識と興味の違いで見えるものも異なってくることを実感した。
同じ場所を何度訪れても発見は尽きないだろう。
そのためには、自分自身の変化が求められている。
「河井範康」「河井範孝」の貴重な情報をアップして頂きありがとうございました。
私は神奈川県在住の河井道男と申しまして、河井範康は曾祖父にあたり河井範孝は範康の父にあたります。私の母が8年前に亡くなり、伊勢にある祖先の墓石を知る親戚も死に絶え、誰のお墓があるのか分からなくなっておりました。その後、管理料を支払っている牧戸区の墓地に親戚を代表して墓参りを調査を兼ねて訪れました。しかし、当然あると思っていた墓は曾祖母菊枝と道(範康の娘)二基しか見当たりませんでした。それ以来、数年に渡り河井家祖先の墓群を探していましたが、ある大学資料室から伊勢市宮後3丁目にあることを教えて頂きました。グーグルマップで上空から確認することもできました。ここのサイトの写真を見ますと8年前よりかなり周りは綺麗に整備されていて、綺麗になってます。以前は倒れている墓石も確認されました。現在は中村河井家が遺跡を管理していると聞いています。私達は渡会河井家の末裔だそうです。このサイト、情報を河井家親戚にも伝えたいと思います。もう見ることがないと思っていました貴重な情報をありがとうございました。コロナが落ち着きましたら訪ねてみたいと思っております。
尚、勝手なお願いですが、他にも遺跡の写真がありましたらアップして頂きたく切に思います。
河井道男さん
ご連絡ありがとうございます。
伊勢市内をぶらぶらと、歩いたことがない路地を探していたところ見かけました。
建て込んだ住宅街の一画に墓石が立ち並び、ただならぬ場所だとは感じましたが、詳細がわからずにいました。
こちらの画像が多少なりともお役に立ててありがたいです。
新型コロナウィルスが収束しましたら、ぜひともご来勢ください。