2019年03月30日(土) 国史跡旧豊宮崎文庫の明と暗、放置されている道標や板碑型墓石(泣) (車、徒歩)
オヤネザクラを愛でるために国史跡旧豊宮崎文庫を訪れた。
満開となっていたオヤネザクラで国史跡旧豊宮崎文庫の「明」を体感したが、帰り際に車へ戻るとこんな光景を目の当たりにしてしまった。
なんと、国史跡旧豊宮崎文庫の敷地の片隅には、立派な道標が転がされていた。
その一面には、
北 萬延元 庚申 年十二月吉日
とある。萬延は3月18日に始まり一年足らずで終わったそうで、元年は1860年。
この面は読めなかったが、
もう一面には
すぐ 二見浦 五十八丁
南 道
左 神社大湊
この道標はどこに建てられていたものか。
こちらは
左 小林・・・
さらに
河崎の環濠遺跡
また、別の場所には
多数の板碑型墓石が横たえられていた。
これらの石像遺物は誰に見られることもなく、国史跡旧豊宮崎文庫の片隅に放置されている。ここはかつて伊勢市立郷土資料館があった場所で未だに再興できていない。
【参考】
- 【閉館】伊勢市立郷土資料館 2011年05月22日
- 「さあ、伊勢市が重い腰を上げる時が来た!」、旧御師 丸岡宗大夫邸(伊勢市宮町)の特別一般公開 2016年06月12日
このよう歴史の証人である石像遺物が放置された状況を目にしてしまうと残念でならない。やはり伊勢市の文化行政は(泣)の状況にある。
「ガンバレ、フンバレ、伊勢市!」
【参考】
- 「伊勢市立郷土資料館」再開の意向は喜ばしくもあり不安でもあり・・・ 2018年01月17日