2019年02月02日(土) 熊野那智大社、青岸渡寺、飛瀧神社・那智御瀧めぐり(東牟婁郡那智勝浦町那智山) (車、徒歩)
本日はお綱かけ神事を体感するために【キタヰの妻】と花の窟(熊野市有馬町)を訪れたので、その流れで熊野那智大社・那智山青岸渡寺・那智御瀧まで足を伸ばすことにした。これで熊野三山のすべてにお参りできたことになる。
【参考】
- 熊野古道伊勢路#6(熊野速玉大社) 2013年07月20日
- 熊野本宮大社および祓殿王子社跡 2014年10月19日
熊野那智大社周辺には駐車場が点在するようだが、やはり那智山へは歩いてお参りしたいので大門坂を経由して参詣することにした。そのルートは次の通り。
大門坂駐車場 →(大門坂) → 大門跡 → 熊野那智大社 → 青岸渡寺 → 飛瀧神社・那智御瀧 → → (大門坂) → 大門坂駐車場
お綱かけ神事の体感を終えて花の窟(熊野市有馬町)を後にすると約1時間でこちらに到着。
【大門坂駐車場】
正午過ぎに大門坂駐車場を出発すると案内板に従い
県道46号から大門坂へと続く熊野古道を進んだ。
見事な石垣を眺めながら先へ進むと
分岐にはこんな案内板が立てられていた。
先の石階へ進むと
階段を上って左側には大阪屋旅館跡の立札がある。南方熊楠が滞在していたそうだ。
その向かい側は新宮藩の関所跡。
さらにその近くには関所の遺構が残されている。
さらに石階の先の鳥居をくぐると
振ヶ瀬川に架かる振ヶ瀬橋にたどり着く。この橋が那智の聖域と俗域の境界となる場所のようだ。
振ヶ瀬橋を渡って聖域へ足を踏み入れた。近くに祈り石との説明がある鏡石がある。
その隣には大門坂茶屋があり、こちらでは平安衣装を借りることができるそうだ。
記念写真を撮ることもなく
【大門坂】
夫婦杉の間を通り抜けた。ここから大門坂だろうか。
どれだけの人がこの石畳を踏んだのだろうか?
そんなことを考えながら・・・。しばらく進むと右手に大きな石を見つけた。
ここが九十九王子最後の多富気王子跡だった。
なお、多富気王子の脇には庚申さんがまつられている。
大門坂へ戻るとさらに上を目指した。
ウロの中が黒く煤けた木、何が起きたのだろう?
さらに「告 入山心得」。
視界が開けたと思ったら、まだまだ序の口で大門坂がつづら折れの県道46号と唯一接する場所だった。
そこにはこんな案内板。
【キタヰの妻】はナンバ歩きで登っていた。(翌日は全く疲れもなかったそうだ。ナンバ最高だと)
ここは十一文関跡。
「唐斗石」の標石があったのでパチリ。右側に横たわる「唐斗石」自体を撮り忘れた。
この石畳に敷かれている石は大きさも異なれば石の種類も異なる?
平坦な場所はなく、とにかく登る、登る。
そして、視線の先が明るくなったころ
ついに大門坂の頂上へたどり着いた。
【大門跡】
坂を登り切るとその前には空間が広がる。(夫婦杉からここまで約20分)
この場所が大門坂の名前の由来となった大門跡とのこと。
「右巡礼道」の道標に従い
さらにこの→にも従う。
先の階段までの途中にこんな石が敷かれている。
ここには次の説明板が立てられていた。
旧史跡清明橋の石材(路面上)
第六十五代花山天皇(正暦三年、990年頃)が那智山大滝の山中で千日御参籠苦行の際。お供した安倍晴明(陰陽家)がこの近くに庵をむすび、庵を、清明堂、庵に近い橋を清明橋と呼んでいた。
昭和45年9月熊野交通株式会社が駐車所を設けたため地形が変わり橋材をここに移したものである。
古い橋は、長さ3間、巾9尺、擬宝珠つきの橋であったが、この石材の橋は、江戸時代の仮橋であった。前方、「右巡礼道」の道標から、左上に上る道は、御幸道であったという。
昭和45年9月吉日
那智山区
那智勝浦町教育委員会
熊野交通株式会社
先の階段を進むとその右側には雨水の階段も準備されている。
階段を進むと車道へ合流する。県道46号を走れば車でここまでも来れるようだ。
こちらが「那智大社・青岸渡寺」への参道入口。
道標にもあるように「那智山参道」である。
参道である階段を進むとシャッターに扇祭(那智の火祭り)が描かれていた。
大門坂駐車場から大門坂を登りさらに高度を稼いだ成果がここにあった。駐車場は遥かに下方だろう。
参道の階段をさらに進むとここにも「告 入山心得」。
木像はリアリティがある。
【熊野那智大社】
ついに熊野那智大社の鳥居へ到着した。(夫婦杉からここまで約35分)
鳥居の先の手水舎で手水を受けると
この柄杓がかなり重かった。
さらに参道を進むと最後の石階を登った。
鳥居をくぐり抜けると視線の左側には二枚の的が用意されていた。これらの的は節分祭での弓による祓いのためのものだった。
的を背にして拝殿方向を眺めると熊野那智大社の拝殿には簀屋根が掛けられていた。拝殿は改修されていた。神社で初めて護摩木を奉納すると工事中の拝殿にてお参り。
拝殿の左側にある御縣彦社では八咫烏がまつられている。
こちらの光景を目に焼き付けた後、この階段は下らずに
こんな風景を眺めながら拝殿の裏へと向かった。
こちらの門の先には青岸渡寺が隣接している。
【青岸渡寺】
青岸渡寺にもお参りしてから那智御瀧も目指す。
青岸渡寺付近から三重塔と那智御瀧を遠望した後
熊野古道 大雲取越えの入口を確認した。いつかは熊野三山を歩いて巡りたいものだ。
案内に従って那智大滝(御瀧)方向へ進むと
青岸渡寺の三重塔が近づいて来たので三重塔と那智御瀧をパチリ。
三重塔を後にすると坂道を下った。すると道路と直交する階段が現れた。
左方向へ石階を下るとこの広場に至る。ここは那智御瀧の遙拝所のようで
残された礎石は往古の建物を想像させてくれる。
遙拝所を後にさらに石段を下った。
こちらの石段を下れば往時を訪ねた気分になった。
しかしそんな気分もこちらの看板で一気に現実に引き戻された。
このまま那智御瀧まで下るものだと思っていたが
一度こんな場所にたどり着いた。ここには商店街があり、那智の滝前(熊野交通)のバス停がある。
ヘアピンカーブの先には鳥居が望めたので、その方向へ近づくと
【飛瀧神社・那智御瀧】
こちらが那智御瀧を御神体とする飛瀧神社(熊野那智大社 別宮)の参道入口だった。
鳥居をくぐると右側通行の参道(石階)を下った。
そして待望の那智御瀧にてお参り。
以前、TVで張り替えの神事を観たことがある御瀧の注連縄を眺めた。
以上で本日の2つめの目的も達成できた。
後は大門坂駐車場まで戻るのみ。飛瀧神社の参道を戻ると
ここからどのルートを採るべきか悩んだが、距離が長い県道を歩くよりも大門坂を下った方が早いだろうとの結論となり
道路の半分が崩落して工事中の
県道46号を大門坂駐車場ではなく、大門跡の方へ向かった。
その途中で、こんな門に出くわした。
振り返ると那智御瀧が小さくなり、今でも見送ってくれていた。
行きに通った場所まで戻るとここからは
あの大門坂を一気に下った。
大門坂茶屋付近まで下ると石畳の様相の違いが・・・。
後は大門駐車場まで2〜3分。余裕が出てきたのだろう、こんな写真を撮っていた。
県道46号へ合流すると駐車場まで戻り帰途についた。