勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

2020年02月15日(土) 勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館 (車、徒歩)

河崎南町公民館では、地元の方々が河崎について深く知る勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」が開催された。先日、河邊七種神社 古文書の会でその情報を得たので、河崎の古文書を調査する一員として、また住民ではないけれども河崎に興味を持つ個人として複眼的な立場で参加した。

 

河崎南町公民館は紬舎がある世古の突き当りにあると聞いていたので、モナリザ付近を進むと高い塀が気になった。

モナリザ付近(伊勢市河崎)

モナリザ付近(伊勢市河崎)

 

最近、どこかで見たような・・・。しばらくすると思いだした。

モナリザ付近(伊勢市河崎)

モナリザ付近(伊勢市河崎)

 

あれは東海道を亀山から日永の追分方向へ歩いた時のこと。その塀の存在を疑問に思ったが、モナリザの敷地の両側に立つものも全く同じような塀だった。建築物の重要さを感じる。

巡見道との分岐〜露心庵跡(東海道)

巡見道との分岐〜露心庵跡(東海道)

 

【参考】 街道歩き、東海道(亀山宿〜日永の追分)1/2 2019年11月30日

 

なぜに今頃になってこんなことに気づいたのだろう。その理由はわからないが、壊されずに残された建築物で地理的に離れた相似性を感じられたことに満足感を覚えながら紬舎のある世古へ進むと

紬舎(つむぎや)の世古(伊勢市河崎)

紬舎(つむぎや)の世古(伊勢市河崎)

 

情報通りに河崎南町公民館が建っていた。

紬舎(つむぎや)の世古(伊勢市河崎)

紬舎(つむぎや)の世古(伊勢市河崎)

 

勉強会は午後1時からと午後7時からの2部制(ともに同じ内容)だったが、私は午後1時の部に参加。

河崎南町公民館(伊勢市河崎)

河崎南町公民館(伊勢市河崎)

 

講師は河邊七種神社 古文書の会でもお世話になっている同朋大学仏教文化研究所 所員 千枝大志さんだった。

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

 

千枝さんは大学時代からの研究テーマが室町・戦国・江戸時代の経済であり、博士論文の集大成は著書「中近世伊勢神宮地域の貨幣と商業組織(岩田書院)」にまとめられた。しかし研究対象は経済のみに限らず、御師、信仰、山田羽書などなど多岐に渡っている。研究の過程で河崎を含む現在の伊勢市(山田、宇治、大湊・・)の(史実に基づいた)歴史にも精通した。

学生時代には経済視点での研究のために河崎に飛び込んだが和具屋に誘われると経済以外についても興味を持ち、河崎の歴史なども調べてからすでに約20年が経過した。千枝さんは20年目にしてやっと地元から(勉強会と言う形で)オファーがあったことに感慨無量な様子だった。

 

そして、今回のテーマは

河崎の歴史と文化 〜今に生きる商人町の500年の歩み〜

である。

 

忙しいなかでまとめられた資料は二十数ページに及んだ。そこには地道に河崎を調べ続け、20年後に初めて受けたオファーへの熱い思いが込められていた。(と思われる)

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

 

昼の部の参加者は8名と少数だったが知りたい意識が高いのだろう。積極的に質問が飛び交った。

 

ここでは勉強会の内容を要約して紹介する。

河崎は町並み(建築物)が注目されるが、ここでは別の視点に立ち史料で追える河崎に焦点をあてる。サブタイトルに掲げた500年とは河崎が町として機能し始めてからの期間であり、これは史料から判断できる根拠のある数字である。今年は501年目となる。

『光明寺古文書』には応永21年(1414)に「河崎□徳太郎」とあり、河崎の住人が確認される。つまり、15世紀の前半には「河崎」という地名が成立していたことになる。ただし、これだけでは町として機能していたことは不明だ。

さらに、『神宮年代記』には「永世十六年十二月十四日、皇大神宮仮殿料材着河崎」とあり、1519年(500年前)には河崎が御用材の取引地であったことが記されている。神宮御用材の取り扱いでは事故は許されない。このことは河崎の町は事故を起こさないことを保証できるほどのインフラが整備され、信用を得ていたことを意味している。つまり、この時にはすでに河崎が商人町として機能していることが判断できるのだ。よって史料から読み取れた「町としての機能」の始まりは1519年となる。

これを持ってサブタイトルは「〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」とした。

一般的に商人町は商家が没落すると途絶えてしまうため500年も続く地域は珍しい。しかも町の営みの歴史を発生から現代まで紐解ける町は稀有である。大阪や堺などでさえ歴史のすべてを紐解くことは難しい。河崎は流通の拠点となっていたため、近郊だけでなく遠方にも広がる多くの取引先や神宮文庫にも多くの史料が残され、それらを相互に補完させることによりひとつの史料だけでは見えないさまざまな実像が明らかになる特別な地域でもある。

 

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

 

さらに、地元の産土社である河邊七種神社から見つかった古絵図や古文書を調べると、当時の通りや世古、環濠、惣門の配置、そこに住む住民の名前などが詳細にわかる。

古地図に示される様子は今とほとんど変化がなく、古地図を頼りに歩くことさえできるほどだ。

 

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

 

【河邊七種神社 古文書の会】 その活動についてはこちら

(なお、河崎全域の古絵図のパネル展示は、8月頃に百五銀行にて予定されている。)

 

その南町絵図面(見つかった古絵図の一部)のパネルの説明になると参加者は

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

 

前のめりとなり「〇〇はどこ?」などの質問が飛び交った。古絵図と現在地を容易に対応付けできる町は稀有である。このことは通りや世古が変化せずに残されていることを物語っている。

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

勉強会「河崎の歴史と文化〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」@河崎南町公民館

 

なお、河崎の中にも多数の古文書や山田羽書、古銭などは残されている。

先日に実施された襖の解体ショーでもしかり、(仕込み無しで)その場で見つかった古文書を頼りに河崎でのミステリーツアーが実施できた。これは発見された古文書と河邊七種神社 古文書の会が作成した河崎の古絵図(翻刻版)があったから実現できた。これも史料の複合による成果だ。

【参考】

 

史料が発掘されれば、河崎については多くの実像がさらに明らかにされることだろう。

 

さらに

最近、経済学部の経済史向けに名古屋大学から出版された教科書では「16世紀に入ると河崎は流通の拠点となり「河崎相場」が立った」ことが紹介されている。このように調査研究が進むと河崎が重要な役割を担っていたことが明らかにされた。伊勢市には宮川、五十鈴川が流れるがそれぞれ浅瀬である、川幅が狭いなどの理由で流通には適さず、川の深さもそこそこで海からの距離が近い勢田川が重宝されたようだ。小田橋まで荷が運ばれた記録もあるが江戸時代には河崎で荷が降ろされた。つまり物流で使える川は勢田川のみだったこと、潮の満ち引きの関係で河崎付近までが船の入れる上限だったことが幸いし、物流の拠点となる商人町 河崎が生み出された。

かつて外宮の神事に仕えた子どもたちの生活の場であった子良館の日記には、神事等の費用を調達するために奉納された物品を売った記録があるが、ここでも交換レート(米 ⇔ 銭・金)は「河崎相場」が使用されている。かつて「山田相場」が存在したものの「河崎相場」に取ってかわられると山田や宇治でも「河崎相場」が使用された。

さらには山田羽書など・・・

 

などなど、適宜に質疑応答を交えながら河崎の歴史の実像が語られた。

しかし「商人町の500年の歩み」を語るには1時間半では短すぎる。今回は史料に基づき、町としての始まりとその理由、また流通の拠点としてなくてはならなかった実像が紹介された。

 

河崎の500年を紐解くため、この勉強会は今後も続けられることだろう。

 

河崎に関し町並みを保存するハード面での議論は聞かれるが、本来はここで紹介されたようにソフト面をもっと理解する必要があるようだ。河崎の歴史を知り各時代のこの地での営みが想像できれば、日常の過ごし方も少しは変わるかもしれない。私は街道歩きが好きで様々な道を歩いているが、自らが踏んだ道をどんな人が「踏んだのだろうか?」と想像するだけでもワクワクする。ましてや自らが住まうこの土地にかつては「〇兵衛」さんが住んでいたことがわかればその思い入れも一入だろう。

主催者に確認したところ、今回の参加者は昼・夜の部を通して15名ほどだったとのことだが、さらに多くの方々に「〜今に生きる商人町の500年の歩み〜」の実像を知ってもらえば、河崎も新たな一歩を踏み出せるかもしれない。河邊七種神社で見つかった古絵図のパネル展示がその契機にでもなれば、古文書の会に参加している私としてもありがたい。地元の方々にも古文書の会に参加していただきたい。

 

また、最近はインバウンドが叫ばれているが海外からの旅行者、ことに欧州からの旅行者はただ単純に観光スポットを巡るだけでなくその地域の歴史や伝統文化についても知りたいと思っていると聞く。河崎だけではなく、伊勢市全体としてもこのことは重要な観点である。

(伊勢)神宮とおかげ横丁におんぶにだっこだった観光行政は少しインバウンドを意識しつつあるようだが、旅行者の要望に応えられるものになっているのだろうか? かつては郷土史料館で展示、保管されていた様々な展示物や史料はいまや死蔵されている。これらに日の目を見せる郷土資料館の復興は急務だし、可能な限りデジタルアーカイブ化して活用を図るべきだ。死蔵された史料には各地域で重宝される重要な情報も隠されているだろう。

新たな郷土資料館で、本勉強会や河邊七種神社 古文書の会での成果が展示・活用されればインバウンドにも貢献できるし、河崎も変化できるだろう。

 

【参考】

 

最後は河崎での勉強会から脱線してしまったが、今後はいかに学び、いかに活用できるのかが問われる。こんなことを再確認した勉強会だった。(次回も参加しよう)

 

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