2019年11月02日(土) 樋ノ山を目指しての鳥羽ぶらり (車、徒歩)
鳥羽大庄屋かどやにて開催されている泊正徳写真展②「伊勢・鳥羽・志摩百景」を体感するために鳥羽を訪れたので、久しぶりに樋ノ山を目指しぶらりと鳥羽を巡った。
【参考】
- 泊正徳写真展②「伊勢・鳥羽・志摩百景」@鳥羽大庄屋かどや(鳥羽市鳥羽) 2019年11月02日
鳥羽市民の森公園から国道42号をくぐると加茂川越しに赤崎神社(豊受大神宮 末社)の社叢を眺めながら
安楽島橋を渡り
赤崎神社を訪れた。御神杉を授与していただいた時以来だ、久しぶり。
【参考】
- 御神杉を求めての赤崎祭(ゆかた祭り)、赤崎神社(豊受大神宮 末社) 2019年06月22日
お参り。
赤崎神社付近の踏切(近鉄 踏切道 中之郷 第八号)を過ぎると
ここは[藤ノ郷幹5]。
右手には歩行者専用の踏切(近鉄 踏切道 中之郷 第七号)が望めた。
ほどなく鳥羽大庄屋かどやに到着すると、かどやへ入る前に
かどやの向かい側に、その先へと続く小道が気になってしまった。その道を眺めていると
かどやの向かいにある理容店のご主人が現れ、この先には「日渉園」の石碑があること、この場所はかつてはかどやの敷地であり土蔵が建ち、
こちらの石垣の上には茶室があったことを説明してくれた。
さらに土蔵の奥の坂道を進めば方位石があることも。ただし、避難路となっているこの先はマダニの発生が報告されているため立ち入らない方がいいと何度も。その後、昔話などを伺っていると、子供の頃は絶好の遊び場でさまざまな思い出がある・・・。そんな話を聞くと余計に行きたくなるが、今日は樋ノ山にも登る予定だったのでここは我慢の子であった。
土蔵跡等を後にすると鳥羽大庄屋かどやにて泊正徳さんの写真展を楽しんだ。
約2時間の滞在の後、中ノ郷方向へ進むとここは[中ノ郷幹4]。
中之郷獅子宿付近だ。
その先ではこんな状態の土蔵を見かけた。いままで家屋にて隠されていた蔵だろうか?
その後、石造りの蔵の路地へ入ると
蔵の素材を確認しながら
井戸の先にある階段へ進んだ。
階段の途中からは旧鳥羽小学校が望める。今日は旧鳥羽小学校の位置や方向、大きさにより自分自身の位置の変化を感じることができた。旧鳥羽小学校の変化は面白い。
慈眼山 金胎寺にお参りすると
納経所前の階段を下った。
階段の下で左側の路地へ入ると、蔦の絡まる建物の出前にある細い路地を左へ。
(ここから斜面に建てられた民家の間を通り抜けながらの山登り(?)となる。)
樋ノ山へはホテル扇芳閣からのルートが一般的だろうが、私は鳥羽を感じられるこのルートが好きだ。
[清水谷支3 左3]を確認すると
こんな階段を・・・
ここでも旧鳥羽小学校を遠望。
[清水谷支3]
幅の広い階段へ出るとさらに上方へ向かった。
直進方向は荒れた状態となっているので、ここは左方向へ巻く。
旧鳥羽小学校はこんな感じに変化。
民家の敷地の脇を進むと
荒れた場所にたどり着くがまだ道なりに進む。
コンクリート製の薄い階段を上ると
最後の階段にたどり着く。
階段の上は [清水谷支10]であり、
ここからは旧鳥羽小学校が下に見える。
階段を上り終えてから地道を進むと舗装路にたどり着く。ここでホテル扇芳閣からのルートと合流するのだ。
電柱番号板 [清水谷支17]を過ぎ、アスファルト舗装路をさらに進むと
「←350m こんぴらさん」の道標が現れる。
ほどなく讃岐 金刀比羅宮鳥羽分社にたどり着く。
鳥居をくぐり階段を進むと拝殿にてお参り。
拝殿前から右手方向へ進むと次の案内板と
さらにはこちらの道標「樋の山」を見つけることができる。道標が示す山道は金刀比羅宮鳥羽分社の御垣に沿って続いている。
樋ノ山への山道を進むとその途中でパチリ。
パチリ。
軽快に歩いているとバラのトゲがブチブチと足元に刺さった。生地を引っ掻いた程度で事なきをえたが注意が必要だ。
最後に傾斜がきつくなる登りを終えると樋ノ山の山頂にたどり着く。
多少の木々はあるものの海側を遠望できる。眼下には妙慶川とそこに架かる相橋が望めた。これを見たからには相橋からこちらを見上げないと。帰途の際の目標ができたので
小浜方向も眺めてから急いで下山した。
バラに引っ掻かれないルートを選びながら。
金刀比羅宮鳥羽分社へ戻ると、今は開いていない神札授与所にてこちらの授与品(旗)を確認した。ここで重要なのは「金」の文字である。(後ほど現れる。)
金刀比羅宮鳥羽分社の境内地には白龍稲荷神社もまつられているので
その参道を進むと
お参り。耳が欠けた神使と本殿に下げられた鮑の殻が印象的だった。
金刀比羅宮鳥羽分社を後にするとアスファルト舗装路を下り、めだかの学校に立ち寄った。
足湯を期待していたのだが、かつての足湯はこのような状態になっていた。
「足湯はないのか?」と思ったら、ボートを切断した2箇所にお湯が注がれていた。今はこれらが足湯になっているようだ。湯に手を差し入れるとかなりヌルかったので、今日は入らずにこちらを後にした。
下りはホテル扇芳閣へのルートへ進むと電柱番号板は[大里幹11の1 左3]となり
坂道を下りきった付近でこちらの建物の鬼瓦に
「金」を見つけた。この建物は金刀比羅宮鳥羽分社と関係があるのだろうか?
近くにある常安寺にて
お参り。
この丁字路は金刀比羅宮鳥羽分社から1200mにある。
鳥羽駅方向へ進むと、「日和山道」の道標を確認してから賀多神社にお参り。
賀多神社からさらに鳥羽駅方向へ進むと途中で右折。妙慶川に架かる相橋からは、先ほどこちらを眺めた樋ノ山方向を遠望した。「山頂はどこだ? 分身がいれば合図を送れるのだか」
橋の近くに残されている旧親柱を撫でると
大山祗神社への参道を進んだ。
大山祗神社にお参りしてから大漁稲荷大明神へ、本日2社目のお稲荷さん。
大山祗神社を後にすると城山を越えて
こちらへ下った。
三の丸広場前の電柱に[相橋支7]と記されていたのには驚いた。[相橋支]を追いかけたくなる。城跡の裾野を巻いているのだろうか?
しまかぜが目の前を通り過ぎたので、(撮り鉄ではないが)とりあえずパチリ。
三の丸広場から中之郷駅方向へ進むと短いトンネルをくぐる。
中之郷駅の先にある踏切を渡ろうとしたところ、こんなに金具が挿し込まれた石が置かれていた。
ここには船つなぎ石と記されている。理容店のご主人が「線路の向こう側は海だった。」と教えてくれたことを思い出した。
鳥羽湾の夕景を楽しみながらゆったりとした気分で帰途に着いた。