2018年05月27日(日) 御塩道を歩く前に御塩殿神社までのぶらぶら (徒歩)
伊勢神宮の祭典にて神饌として、または修祓の清めとして使用される御塩(堅塩)は伊勢市二見町にて作られる。まず夏の土用の頃、二見町西にある御塩浜(入浜式塩田)では鹹水(塩分濃度の濃い塩水)が作られる。その鹹水は御塩殿神社にある御塩汲入所へ運び入れられると、隣にある御塩焼所にて荒塩に焼き上げられる(御塩焼き)。その後年二回(10月と3月)、御塩殿神社の隣に建つ御塩殿では四角錐の土器に荒塩を詰めて焼き固めるられる(御塩焼固)。これにて御塩(堅塩)は完成し、決まったルートにて御塩殿神社から外宮まで運ばれる。このルートが御塩道であり、かつては歩いて運んでいたが今は軽トラックにとって代わられている。
この時期になると古を感じながら御塩道を歩きたくなる。今年も梅雨に入る前に歩こうと御塩殿神社へ向かった。今回は御塩に縁のある場所を巡りながら遠回りして・・・。
御塩殿神社までは何度も歩いているので、こちらも参考に・・・
【参考】
- 御塩道を歩くために伊勢市二見町へ向かう 2014年07月20日
- 御塩浜から花房志摩守供養碑を経て堅田神社へ 2016年07月18日
- など
御薗町新開にある河原神社(豊受大神宮摂社)にお参りした後、裏道を駆使して最短コースで国道23号へ出ると勢田川橋にて勢田川を渡った。
勢田川を渡ると左側の階段を下って栄通神社にお参り。
栄通神社の道を五十鈴川方向(左)へ進むと田んぼの中の土手へ出る。その土手を右方向へ進むとこの場所にたどり着く。振り返ってパチリ。
【参考】 中堤とはこんなところ
- 中堤から一色町への散策(伊勢市通町、一色町) 2013年02月23日
中堤を後にすると国道42号と合流する。五十鈴川へ向かって歩道を進み、汐合大橋にて川を渡る。
五十鈴川を渡り左へ折れるとしばらく左岸を歩く。右手に見えるこの場所が御塩浜である。採鹹時期には土手の上からその作業風景を眺めることができる。御塩浜へ(川の)海水を引くために専用に設置されている御塩樋管は要チェックだ。
御塩浜を後にすると西排水機場の近くを通り抜けて
こちらへ出た。こも杜には小さな祠がまつられている。近くで清掃奉仕中の女性グループがいたので、社名を尋ねたが、「知らない」とのことだった。
名前が不要なほどに身近な存在なのかも知れない。
この近くには石造遺物が・・。
さらにもうひとつの社叢をくぐり抜けると
花房志摩守供養碑の入口にたどり着く。この奥へ進むと立派な石碑が立っている。
花房志摩守供養碑を後にしてから、民家の間をくねくねと進むと立派なマキの生垣が続く。マキの上に瓦師の名が記されている瓦を見つけたので眺めていたら、そのお宅からおばあちゃんが出てきて怪しそうな私に・・・。時代を経て瓦がずれると瓦を作った瓦師の名前や屋号が現れることがあることを説明したところ、「こちらにもある?」と母屋へ導かれた。
私が「この瓦はずれていないけどありますね。」
とパチリ。
その後、伊勢市二見生涯学習センターの一画にある観光案内所に立ち寄り「御塩道」に関する新たな資料を探したが特には見つからなかった。一時期は御塩道に関する問い合わも多かったが、今では皆無に近いそうだ。御塩道ツアーを企画してみようか(参加する人いるかな?)
伊勢市二見生涯学習センターを背にしてまっすぐ進むと伊勢市二見総合支所の前にたどり着く。この先は堅田神社(皇大神宮摂社)である。
民家の間を進むとこちらが堅田神社の参道入口となる。
堅田神社は、倭姫命が天照大神をおまつりする場所を求めて二見の浜を訪れた際、佐見都日女が歓迎して堅塩を奉ったところ、倭姫命が堅多社を定めたとされる。このことが二見から御塩を献進するように由であるとされる。このように堅田神社は御塩「堅塩」と大いに関わりがある。
堅田神社を後にすると先日見つけた裏道を歩いた。するとまた新し道を見つけた。こんな所へ出てきてしまった。
赤福の前から左脇へ進む、その後は道なりに・・・
御塩殿神社にたどり着くと
御塩殿神社にお参り。さらにはその隣に建つ御塩殿にて御塩焼固を思い出し、
敷地の裏手へと移動した。左側が御塩焼所で、右側が御塩汲入所である。
御塩焼きなど、様々な光景が思い出される。
御塩殿の前まで戻ると
後は御塩道を進むのみである。