2018年08月11日(土) お伊勢さん125社まいり(宮川めぐりほかで久具都比賣神社へ) (徒歩)
再確認したいことがあったため園相神社(皇大神宮 摂社)を訪れようと思っていたが、どうせなら宮川めぐりとして久具都比賣神社(同)まで歩こうか?
以前、近鉄ハイキングの「お伊勢さん125社めぐり(第6回宮川9社)」では、久具都比賣神社の近くにある度会団地前バス停まで(路線ではない)バスで向かい、そこから近鉄宮町駅まで歩いたことはあったが
【参考】
- 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第6回宮川9社) 2011年06月19日
逆ルートを歩くのは初めてとなった。
自宅を出るとまずは伊勢市御薗町高向に鎮座する宇須乃野神社(豊受大神宮 摂社)を目指した。高向地内の細い路地をくねくねと進むと社叢が望める。
大楠による立派な社叢をその正面からパチリ。
こちらには縣神社(豊受大神宮 末社)が同座されている。
宇須乃野神社を後にすると小俣第八号の踏切道にて近鉄線路を越えると
かつては川が流れていたと思われる辺りをウロウロとしながら
伊勢南北幹線道路(県道60号線)へ出た。JR参宮線に架かる伊勢御薗高架橋を渡るとその先は直進、に・・・
県道を越えてさらに南下すると一本西側の路地へ入った。こちらは上社、山田産土八社のひとつである。
その境内地に隣接して鎮座するのがお伊勢さん125社の三社で、参道入口側には打懸神社(豊受大神宮 末社)、
その奥には一重の玉垣内に二宇の正殿が鎮座するこちら。左側が志等美神社で右側が大河内神社(ともに豊受大神宮 摂社)である。いつもは玉垣御門の正面でお参りしているが、今回は知人(神宮探検隊員X)がおすすめするようにそれぞれの正殿前で個別にお参りしてみた。
続いては上社、
さらには境内地の西端に鎮座する上社稲荷大明神にもお参り。この近くにある久留山威勝寺跡(久留山荘)の状況を横目で眺めながら背にすると上社稲荷大明神脇の路地から宮川の堤防へ向かった。民家の間をすり抜けるように・・・
宮川の堤防道路へ出てからは、松井孫右衛門社の参道入口に建つ鳥居をくぐりその参道を進んだ。
浅間堤には松井孫右衛門社がまつられるとともに「掃守社舊蹟」の石標が建てられている。
浅間堤をさらに奥へ進むとこちらに宮川茜稲荷がまつられている。
なお、浅間堤から眺めるこの光景は印象的だ。
浅間堤を後にすると宮川の右岸に沿って堤防道路を歩いた。
この辺りは万所遺跡である。今は埋め戻されその姿を見ることはできない。
【参考】
- 万所(まんじょ)遺跡現地説明会 2010年08月07日
私にとっては頭上に十分な余裕のある水管橋をくぐると
万所遺跡付近から左側を並走している県道22号はここで左方向へ。
しばらく堤防道路を歩くと突き当り手前で堤防道路を離れ、こちらで県道に合流した。この場所からは川原神社(皇大神宮 摂社)の社叢が望める。車に注意しながら社叢を目指して進むと
田んぼ道へ入った・・・
川原神社には久しぶりのお参りである。
【参考】
- 『お伊勢さん125社、カワラ[川原・河原]つながりツアー』 2017年01月02日
お参り。
お参りを終えて社叢を出ると目の前には稲刈りを待つ田んぼが広がっていた。
県道は道幅が狭い割には交通量が多いため川原神社からは田んぼ道を歩くことにした。
先端に御札が取り付けられた竹を横目に見ながら進むと
民家の間をくねくねと・・。
そして、たどり着いたのは佐八町公民館前にある長泉寺。
さらに、鳥居の奥には小祠が二宇。
佐八町公民館を後にするとさらに民家の間をすり抜けると県道へ戻った。宮本神社の脇を過ぎると
伊勢自動車道の高架をくぐり、振り返るってパチリ。
ここはBUS STOP 白木(しらき)。ついに園相神社の社叢にたどり着いた。こちらの石垣は園相神社のものである。
石垣を左に巻くように湾曲する歩道を進むとこちらが参道の入口となる。
第62回神宮式年遷宮における摂社末社の御造替・大修繕のはじまりは園相神社だったが、それを教えてくれたのがこの定の立札だった。その時、素木の状態だった立札はかなり経時を感じさせていた。
【参考】
- 御遷座を終えた園相神社(皇大神宮 摂社、伊勢市津村町) 2015年05月24日
立札に懐かしさを感じながら参道を進むと左手には禁殺生石が立ち、その向かい側には手水石が置かれている。その表面には「天保十一年十二月 」と。
参道を進み
目的とする園相神社にお参り。(目的の詳細については別の記事で紹介する。)
園相神社を後にすると
近くのコンビニで食料と飲み物を調達し、いつものように歩きながらの昼食となった。
船戸橋で横輪川を越えると川の水は透き通っていた。
横輪川を越えるとここからも車を避け、円座町の町並みを歩くことにした。まずはその入口付近に立てられている津島神社神札をパチリ。
沼木バス 栄団地 バスのりば、
さらには円座消防車庫 バスのりば、
そして上条団地 バスのりばを過ぎると
サニー道路へと続く道に出た。その辻にはこちらの御札が・・・
津島神社神札と愛宕権現鎮護札。
サニー道路の近くまでたどり着くと宮川に架かる南伊勢大橋をパチリ。
南伊勢大橋にて宮川を越える途中で下流側を遠望した。
宮川を越えると西詰にて左へ折れ、宮リバー度会パークを目指した。
その途中で、大泉寺。
さらには
旧大野木神社跡。
意味深げな名前である神崎橋を過ぎると
分岐の右手には
河津神社跡ほか。
この付近は神社や神様だらけ。その詳細についてはこちら。
【参考】
- 「度会町地域資源を守る会」が作成した資料を手にして、宮リバー度会パーク周辺の歴史散策 2016年08月14日
暑さも際立ってきたたため、木陰を歩こうと宮リバー度会パーク内の遊歩道へ移動した。
今朝、家を出る時に【キタヰの妻】が手渡してくれた瞬間急冷パックを思い出し、早速試用した。ひと叩きで急冷となったが私の熱さが際立っていたのだろう。その冷たさは瞬く間に・・・。とにかく、細長い筒状に縫ってあるタオルに落としこむと首に巻きつけた。涼しい、涼しく感じる。
元気を取り戻すとお茶の町である度会町らしい水飲み場をパチリ。
さらにはなぜにここに置かれているのか陸上自衛隊のヘリコプター。(触ってみたくなるが立入禁止!)
最後にシンボルツリーをパチリ。
プールを訪れる人が多く近くの駐車場は満車状態で、監視しているおじさんが一言、「熱さで死んでくわ」。(お疲れ様)私はコンビニで凍らせた飲み物も買い求めたので目的地まではこれで持ちそうだ!
内城田大橋へたどり着くと橋を越えれば下久具となり、目的地である久具都比賣神社が鎮座する上久具まではもう一息だ。
一之瀬川が二筋の流れで宮川と合流する様を眺めながら橋を渡った。
宮川を渡り、その先を右へ曲がると
ここが下久具。
このバス停の先で右へ折れると
神宮と内城田神社の遙拝所にて遙拝。この前にある
道標に従うと「右 上久具 田間 當津道」方向へ進んだ。
道なりに進むとこの先で
BUS STOP 山川(やまごう)のある道路に合流する。「山川」の読み方をいつも忘れてしまうので復習・復習、「やまごう」。
そろそろ最終目的地が近づいてきた。
進行方向の左側にはこんな風景が広がっているが、目的地は右側
高電圧線が張り巡らされた田んぼの間を進めばその先にある。
どんどん近づいて来た。
久具都比賣神社(皇大神宮 摂社)の社叢だ。直進はできないため、手前にある畑の石垣を右へ巻くように進むと
やっと参道の入口にたどり着く。社叢の入口には左側に禁殺生石があり、右側には社号標と定の立札。
しかし、社号標の奥には普段は見かけないものが立て掛けられていた。
それは竹の先端に挟み込まれた「内城田神社」の神札だった。その理由は?
久具都比賣神社へは3時間半でたどり着く予定だったが、寄り道を繰返しさらに暑さで歩みが鈍くなったために1時間半も予定超過(午前8時に出発し午後1時に到着)となってしまった。
久具都比賣神社にてお参りを終えると
涼しさを求め
宮川の辺りへ移動した。ここは上久具の渡し跡で平成6年2月に近くの久具都比売橋が竣工するまでは生活の足としてこの渡し船が活躍していたそうだ。
【参考】
- 上久具の渡し場跡(宮川) 2014年01月01日
川面に渡る風で涼みながら往時を想像していた。
そろそろ落ち着いてきたがここまででパワーを使い果たしてしまったので、帰路はバスを利用することにした。
なお、この記事を書いていて宮川の渡し跡めぐりのテーマを思い出した。なかなか実現できないが・・・