2018年08月25日(土) 意非多神社(松阪市西黒部町) (車、徒歩)
松阪市から明和町、伊勢市へのぶらぶら にて最初に訪れたのは松阪市西黒部町に鎮座する意非多神社。網屋集会所から社叢を目指し、その隅にまつられた山神さんにお参りしてから鳥居の前へ至った。
鳥居をくぐるとその正面では[式内意非多神社]と刻された社号標が迎えてくれた。手水舎の前に落ちていた木の枝を敷地の隅に山積みされた枝たちの仲間に入れてあげてから参道を進んだ。
初めて訪れた神社だったので、その由緒も知らず社号標の「式内」の文字のみで由緒のある神社と感じた。
帰宅後に調べたリンクがこちら。
【参考】
- 意非多神社(おひたじんじゃ) | 三重県神社庁教化委員会
参道を進むと
「これはお葉付き銀杏か?」初めて目にした。
さらに参道を進み次の鳥居をくぐると
光り輝く手すりが印象的だった。
初めてのお参り。
お参りを終えて参道を引き返そうとした時、殿舎に向かって右手方向に賽銭箱が見えた。
近づくとこちらには御神木がまつられていた。
その右側に掲げられた説明板には次の内容が記されていた。
御神木由来
和銅年間(今から約1300年前)大板の地に楯築大明神が祀られました。大水害で寛治年間(今から約900年前)此の地に移りました。何時の時か松の種が落ち芽が出、新しい生命が誕生しました。何百年か経ち松の小木は大木に育ちました。信長の侵攻、江戸時代、新田開発、明治維新、日清・日露戦争、支那事変、太平洋戦争、東海地震、十三号台風、伊勢湾台風等西黒部の移り変りを見つめて来た御神木でありました。永い歳月を経た大木は生命尽き自然に帰りました。平成7年遷宮を記念して地中に残る御神木の生命を後世に伝えます。
その後、社務所の前を進むと社務所の右側に鬼瓦が並べて置かれ、それぞれに銘が記されていた。
左側の瓦ではその脇に
天保八丁酉十二月吉日
松坂瓦工 冨嶋九郎兵衛
さらに右側の瓦は正面の右側に刻印のように
勢州
辰吉作
斎宮
社務所前を後にすると最初にくぐった鳥居から出ようとも思ったが裏参道はあるようだったので、
その時に気になったのは常夜燈に刻されたこの印。何を意味しているのだろうか?
その後、裏参道から意非多神社を後にすると振り返ってパチリ。
結局、表の方へ移動してから県道705号へ向かう途中、社叢を眺めた。やっと前回を見ることができた。