2018年09月16日(日) 浜中悠樹写真展「UTSUROI」-うつろい-(伊勢和紙ギャラリー) (徒歩)
9月16日より伊勢和紙ギャラリー(大豐和紙工業株式会社 内)にて次の写真展が開始された。
「UTSUROI」浜中悠樹写真展 YUKI HAMANAKA PHOTO EXHIBITION
樹々が表現する幾何学的な形容の中に見られる「力強さ」「可憐さ」「儚さ」。
季節を通して廻る命の「美しさ」の中に潜む侘び寂びの精神に通じる光景。
そんな、時間の”うつろい”の中で垣間見た光景において、余白の美学を意識
した構図で切り撮った作品を展示します。会期 ◎ 2018年9月16日(日) ~ 30日(日) ◎ 9:30 ~ 16:30 ◎ 9月24日(月)は休館
浜中悠樹は9月16日(日)・23日(日)・30日(日)に会場にてお待ちしています。会場 ◎ 伊勢和紙ギャラリー
( 伊勢和紙 IseWashi より引用 )
伊勢図書館での古文書勉強会を終えたのが午後3時半を過ぎていた。駄目もとで大豐和紙工業株式会社を訪れると
入口にある伊勢和紙館の案内板に貼られたポスターに目が惹かれた。入口は開いている。しかもポスターの下部には9:30〜16:30と記されていた。それなら30分以上は観覧できる。迷うことなく足を踏み入れると
敷地の奥にある伊勢和紙ギャラリーへ向かった。するとこの辺りでカメラを手にした男性とすれ違った。軽く会釈を交わすと私はギャラリーの引き戸をガラガラ・・と開けていた。
「こんにちは」と声をかけると中北社長が迎えてくださり「浜中さんとお会いしました?」。この時に先程の男性が写真展の主役である「浜中悠樹」さんであることを知った。
浜中さんにお会いできたのは伊勢和紙ギャラリーでの観覧を終え、ほかにも数点が展示されている伊勢和紙館を訪れた時だった。入館が遅くすでに閉館時刻が迫っていたが、しばしお話を伺った。
ここでは、浜中さんから伺ったお話を交えながら記録としてまとめた。
伊勢和紙ギャラリーの玄関へ入ったところへ話を戻そう。
受付の際、スツールに腰掛けながら記帳を済ませた。おもむろに腰を上げると目の前にはこの作品。
私の第一印象は『標本』みたいだ!だった。写真でもなく、絵画でもなく、本物が閉じ込めらた印象を受けたのだろう。浜中さんによると、通常このように額装しており、額は既製品、版画等でもよく使われる手法であるとのことだった。
また、二枚の異なる写真を組合わせることにより新たな世界が生じている。廊下の正面上部も2枚組だった。
さらにギャラリーへの階段下にはいままで見たことが無い額装の写真が展示されていた。こちらは表具師さんとのコラボレーションであり、左右を合わせると完全に閉じることができるように設計されている。新しい展示方法がここにも紹介されていた。
階段を上ろうとすると非常なる違和感を感じた。今までの展示ならば踊り場には窓を隠すように(いや、窓からの光を有効活用するように)掛け軸型の作品が和紙二枚重ね、三枚重ねにて展示されていた。
今回の展示では窓そのものが姿を表していた。この窓を目にするのは初めてかも知れない。
作品とは別にこんな衝撃を受けていたため、踊り場の作品は虚ろな感覚で観ていたかも。階段をさらに上るとやはり階段下の特殊な額装が気になる。
階段を上ると二階から改めて踊り場と階段壁面の作品を眺めた。
サブギャラリーとメインギャラリーの間には今回の写真展の概説が記されている。
ここに記されているように
浜中さんは週末写真家であり曇リ空の日にしか撮影しない。晴天では指向性がある強い光により陰影が強調される。一般的な写真撮影ではこのような光が好まれると思われるが、浜中さんは全く逆の人だった。その理由は浮世絵のように日本独自の美意識から生まれた平面性を表現したかったから。曇り空では光が乱反射し指向性を失い環境光となる。そのため、被写体には陰影が少なくなりそれ自体が強調される。
さらに、被写体は京都の樹木である。京都の樹木は神社仏閣や公園だけでなく街路でさえも丁寧に剪定されている。剪定の目的は美しく魅せるためではなく、樹々が健やかに生長できることを重視している。つまり樹々の間に十分な空間を保ち日光が当たるように、枝と枝がぶつかって折れたりしないように・・・、自然と人との共存共栄から生まれた美しさである。これは日常の挨拶でも季節のうつろいが話題となる京都の文化そのものである。
このように週末の曇り空を求めると撮影できる日数は限られる、さらに芽吹きや開花など自然のうつろいを撮ることができる日数はさらに限定される。まさに一期一会の作品群である。
メインギャラリーへ足を踏み入れると
そこには印象的な縦の線が並べられ、一部が横方向さらには・・・。線の向きを予測できるものもあるが、多くはその向きを予測できないものが多い。
浜中さんによると先(軸)を意識して重視しているとのことだった。余白の美と相まり、この意識が作品のアイデンティティとなっているのだろう。
紹介が遅くなったが、伊勢和紙ギャラリーでは作品や展示空間などの撮影や自由だ。
メインギャラリーからサブギャラリーへ移動すると
そこはまさに博物館のような標本展示の場となっていた。(これは私の感覚的ものだが)
白いキャンバスに描かれたような作品はまさに樹木自身を意識させてくれる。背景の白さは曇り空の効果であり、背景除去などの画像処理は行なっていないそうだ。なんとも不思議な世界である。
今回の展示のなかで、私のお気に入りとなったのはこちらの作品だ。
伊勢和紙ギャラリーでの観覧を終えると伊勢和紙館へ移動した。伊勢和紙館の壁面にも数点が展示され、その中の2点は表装された小ぶりの作品が洋額に収められていた。これらは和風と洋風がやけにマッチしていた。
曇り空のキャンバスに剪定され精錬された樹木が描かれた作品群、それは曇り空を愛おしみ一期一会を大切にする浜中さんならではのものである。
最後に私なりに考えた。一般的に樹木はフラクタル(図形の部分と全体が自己相似になっている)図形であると考えられている。つまり原型(基本となる形)が細部へ細部へと相似的に再現されている。成長し枝葉が茂れば茂るほどその自己相似は複雑化する。京都の剪定とはこの複雑さを取り除くことにより相似性の原型を現出させることに他ならないのではないだろうか。つまり剪定が本質を明らかにする。その本質とは浜中さんが言われている「力強さ」「可憐さ」「儚さ」なのだろう。さらに、曇り空のキャンバスが本質を浮かび上がらせる効果を高める。
このようにすべてが意図的。浜中さんの作品は自然美の本質を明らかにした人工美の極みに思えてならない。
さらに、帰宅後に気づいたことは、浜中さんの名が「悠樹」であること。「樹」は言うまでもなく文字通り樹木を表す。さらに「悠」には (1) 時間的・空間的に、どこまでも続くさま、(2) 気分がゆったりしているさま などの意味がある。これらの作品群は撮られるべくして撮られたものなのだろう。
ぜひとも伊勢和紙ギャラリーを訪れて、自然の美、余白の美を感じて観ては!
素晴らしいです。
【浜中悠樹さんのサイト】
なお、私が伊勢和紙ギャラリーにて体感した過去の記録はこちら。
【伊勢和紙ギャラリーにて以前に体感した企画展ほか】
- 青野恭典写真展 風のことづて(伊勢和紙ギャラリー) 2018年05月19日
- The Land and the People ペルナッカ スダカラン作品展(伊勢和紙ギャラリー)#2 2018年03月31日
- The Land and the People ペルナッカ スダカラン作品展ほか(伊勢和紙ギャラリー) 2018年03月10日
- 伊勢和紙による 三輪 薫 写真展「こころの和いろ」@伊勢和紙ギャラリー 2017年09月18日
- 高潤生 個展「平安是福」印風画・かな篆刻・書(伊勢和紙ギャラリー) 2017年05月27日
- 参宮ブランド擬革紙の会による『擬革紙の復興 和紙にあそぶ』(伊勢和紙ギャラリー) 2017年01月29日
- 第五回 伊勢和紙プリントの会作品展とギャラリートーク(伊勢和紙ギャラリー) 2016年10月08日
- 金森正巳作品展再訪、大豊和紙工業の三輪神社参拝 2016年05月28日
- 涸沢・上高地 伊勢和紙に描く 金森正巳作品展(伊勢和紙ギャラリー) 2016年05月21日
- 伊勢和紙による三輪薫「仏蘭西・巴里」とフォトワークショップ「風」写真展(伊勢和紙ギャラリー) 2016年02月27日
- 高潤生 個展「養怡(ようい)- なごむ心を養う -」(伊勢和紙ギャラリー) 2015年06月13日
- 有田善男写真展 一孔之彩(伊勢和紙ギャラリー) 2015年04月18日
- 戸川覚写真展「阿仁根子」(伊勢和紙ギャラリー) 2015年03月14日
- 「やさしさ」 伊勢和紙による写真と書の展示 (写真:久保圭一、書:久保丈二)の回想 2014年08月10日
- 伊勢和紙による 篠原 龍 写真展「霊場熊野」(伊勢和紙ギャラリー) 2014年05月17日
- 『四重奏 艸・想・爽・創』 四人展(伊勢和紙ギャラリー) 2014年03月29日
- 伊勢和紙館、伊勢和紙ギャラリー(大豊和紙工業) 2011年10月29日
など・・・