2018年12月15日(土) 特別展 画僧 月僊 GESSEN@名古屋市博物館 (電車、徒歩)
名古屋市博物館では本日より特別展 画僧 月僊《げっせん》が開始された。
【参考】
私が知る月僊は卓越した画力により伊勢の寂照寺の再興に貢献するとともに、参宮街道の整備など社会貢献にも尽力した人物であることのみだ。
小学生の頃には寂照寺前の古市街道(参宮街道)が通学路であったが、10年ほど前まで歴史や過去に全く興味がなかった私には寂照寺も月僊もほとんど無縁であった。しかし、お伊勢さん125社を巡るようになると歴史や伝統に興味を持ち始め、寂照寺にも何度か訪れた。それでも月僊についてはほとんど無知に等しい。
【参考】 自宅から古市街道を通って宇治神社まで 2016年09月25日
この度、ちょうど特別展の初日に名古屋を訪れる機会を得たため、
【参考】
「これ幸い」と名古屋市博物館へ足を運んだ。
地下鉄で塩釜口駅から桜山駅へ移動するとこちらの出口で地上へ出た。
すると地上に出るや否や目の前には鳥居が屹立している。
こちらは秋葉神社(八事神社でも見かけた)、夕刻には火祭が斎行されるようでその準備が進められていた。
秋葉神社を後にして名古屋市博物館へ向かう途中、同行者が白い器に惹かれて・・・。
しかし、その先は寄り道する場所は無く、こちらの入口へたどり着いた。
正面ではなく脇からのアプローチだったが
この経路には「特別展 画僧 月僊 GESSEN」の見どころを示す掲示が多数並んでいた。
これらを眺めながらテンションが徐々に・・・
なかにはこんな掲示に惑わされながら。
ようやく案内掲示を見終え館内へ入ると入口正面にある企画展会場へ進んだ。
受付で「ドニチエコきっぷ」を見せると100円の割引となる。
企画展の会場は撮影禁止だったので写真はナシ。
興味深かったのは次の2点
出品番号25 仁王図 月僊筆 個人蔵
出品番号29 十六羅漢図 月僊筆 三重県立美術館蔵
さらには、出品番号69 画帖および91 蜻蛉蟷螂図に描かれた蜻蛉と蟷螂の羽根の描き方の相違も面白かった。
なお、知識が無い私は、出品番号33 布薩本尊に記された「拝寫」の文字を見て「これは写しですか?」と学芸員の方に質問してしまった。するとこれは「拝して写した。つまり仏様なので拝して描いたということです。」と丁寧な説明が返ってきた。
また、出品番号68 群仙観月図奥襖では説明にあった「床貼付」の意味がわからず説明を受けた。満月が描かれている位置を知ると書く襖に描かれた人物の視線の意味が理解した。(なぜに先に理解できなかったのか・・・)
最後に、第5章にて展示されている出品番号 115 仏涅槃図 月僊筆 三重・寂照寺蔵、 図録の説明には
現在は寂照寺所蔵であるが、寛政九年(1797)寂照寺伽藍再建の間に仮寓した清雲院のために描き残した作品と伝えれられている。本来、寂照寺には明治十四年(1881)に消失したものと、三井家に二本が存在したと言われている。
とある。
清雲院とは、先週に河邊七種神社社務所で開催された古文書の会で、読み解いた文書に登場した寺院である。何とも不思議な縁を感じる。
【参考】
現在、伊勢市神社港にある清雲院には次の説明板があるので
(9)東照山清雲院(とうちょうざんせいうんいん)(於奈津(なおつ)でら)
徳川家康の側室於奈津の方が家康公の没後、公の菩提を弔わんと、寛永7年(1630)の夏に山田吹上松原に建立した寺である。
寛文の大火(寛文10年(1670))で類焼し、尾上妙見町(おべみょうけんまち)に再建。再び焼失。明治6年再建されたが廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の厄(やく)にて廃寺された。
先々代住職大盛海順(おおもりかいじゅん)師の奔走の労報い大正4年、清雲院は中興(ちゅうこう)された。
家康公と於奈津の像が安置されている。
この仏涅槃図に関係した清雲院はこちらだろう。今は跡になっている。
【参考】 伊勢の高台へのアップダウンをぶらぶら 2017年08月27日
不思議な気分で名古屋市博物館を後にすると太陽はかなり傾いていた。
同行者と一息いれると伊勢へ戻った。