2019年01月02日(水) 「初詣とは?」を考えながらお正月の表情を訪ねて、お伊勢さん125社ほか巡拝 #2 (徒歩)
昨日に続き本日も「初詣とは?」を考えながらお正月の表情を訪ねてお伊勢さん125社ほかを巡拝した。
本日は箱根駅伝(往路)の号砲を聞いてから箱根でのゴールまでに帰宅できる予定で自宅周辺を・・・。
【御薗神社(伊勢市御薗町王中島)】
まずは産土社である御薗神社にお参り。
年末年始のみ使用される手水所にて心身を清めると
榊、しめ縄が掛けられた鳥居をくぐり拝殿へ。
続いては、限られた人しか訪れないだろう境内地の奥にても。
先の鳥居をくぐり返すと御薗神社を後にした。
【船江上社(伊勢市船江)】
続いて訪れたのは船江神社。
祭典看板は次の通りで、昨日には歳旦祭が斎行された。
船江上社の拝殿へ進むと
その前には
修祓に使用されたと思われる多数の切紙が舞い落ちていた。
【吉王稲荷神社(伊勢市船江)】
さらに船江上社の隣に鎮座する吉王稲荷神社では
拝殿に御神燈が掲げられていた。
【河原淵神社(豊受大神宮 摂社)】
しかし、船江上社の境内地に隣接し同じ社叢に鎮座する河原淵神社は
特別な変化はなく、平静を保っていた。
【萬福稲荷大明神(伊勢市河崎)】
八間道路を船江上社から伊勢市駅方向へ進むと河崎交差点に到着。
ここには萬福稲荷大明神がまつられている。
その短い参道には普段は見ることのない幟が立てられ
小祠の前には鏡餅が供えられていた。
【吉家稲荷神社(伊勢市河崎)】
続いては古文書の会でお世話になっている河邊七種神社を訪れると、まずは同じ境内地に鎮座する吉家稲荷神社へ。
お参りを終えると
神風により御幌が吹き上げられた。(歓迎されたようだ。)
【河邊七種神社(伊勢市河崎)】
続いては昨年もお世話になった河邊七種神社にお礼。(神社へのお参りではいつも無心な私でもこちらでは・・・)
河邊七種神社を後にすると
北新橋で勢田川を右岸へ渡った。
【久志本社(伊勢市神久)】
特養老人ホーム双寿園の脇を通り抜けてたどり着いたのがこちら、久志本社。
忌竹にしめ縄が張られた場所を確認してから
参道へ進むと
久しぶりに
久志本社にお参り。
【甘露花壽稲荷神社、秋葉神社(伊勢市神久)】
また、久志本社の隣にはこちらの社があり
甘露花壽稲荷神社、秋葉神社がまつられている。
左の御扉は甘露花壽稲荷神社、右側が秋葉神社、そして中央の大きな御扉は久志本社の仮殿である。
仮殿は常設され、しかも他の神社と殿舎を共有しているとは興味深い。
久志本社を後にするとここから社叢が望める神田社を目指した。
その途中で振り返って久志本社の社叢もパチリ。
【神田社(伊勢市神久)】
神田社へは裏の参道から社叢へ入った。参道の入口付近、右側には赤い小祠が見える。
豪快な石切跡が残る手水石を過ぎると
参道を背にして南面するお稲荷さん。(社号は不明だが)しめ縄が掛けられていた。
神田社は賑やかで多くに参拝者が集まっていると思ったら、本日(1月2日)は年に二回の例祭日だった。修祓を執り行っていた神職に見覚えがあった。その方は田丸神社の見並宮司だった。
田丸神社では昨日に歳旦祭が斎行されていた。
【参考】
- 「初詣とは?」を考えながらお正月の表情を訪ねて、お伊勢さん125社ほか巡拝 2019年01月01日
また、見並宮司はこの近辺でも他神社の宮司を兼務されているので忙しく大変なことだろう。
【参考】
- 遷座祭 栄通神社(伊勢市通町) 2015年02月21日
- 御神遷 川原大祓・遷座祭、牟山中臣神社(伊勢市田尻町) 2016年12月10日
続々と集まる氏子衆。
賑わいを再確認すると
私は開扉が開始される前にこの場を後にした。
【二見街道沿いの庚申祠(伊勢市神久)】
神田社を後にすると久志本社の前から続く二見街道へ出た。そこには庚申祠があり
その中にはこのような青面金剛像がまつられていた。
【神久ポンプ場隣のお稲荷さん?(伊勢市神久)】
二見街道から離れて勢田川に近い路地を進むと水路が交差する場所の左手に鳥居が望めた。
ここは神久ポンプ場(勢田川)の隣。多数の鳥居をくぐり抜けると
その先には小祠がまつられている。祠の前には狐と思われ神使たち。こちらもお稲荷さんだろうか?
社号が不明なので、誰かに尋ねようにも誰にも会わない。必要な情報は必要な時にやってくるだろう。まずは存在の再確認のみで済ませておいた。
勢田川の河口から2.8km付近にある神久ポンプ場を後にすると右岸堤防道路を下流方向へ。
【勝廣稲荷大明神(伊勢市黒瀬町)】
川の駅 二軒茶屋にて遠望するのは橘神社の社叢である。この付近も昼休みウォーキングにて馴染み深い場所だ。
橘神社の境内地には勝廣稲荷大明神が隣接してため、まずはこちらの鳥居をくぐると
勝廣稲荷大明神にお参りした。
こちらの賽銭箱には油揚げではなく、お餅が供えられていた。
【橘神社(伊勢市黒瀬町)】
続いて、橘神社へ。しめ縄を首輪にする狛犬に迎えられると
鳥居には竹に取り付けられたしめ縄が掛けられている。
先日、昼休みウォーキングで確認した山之神にも餅が供えられていた。(しかし、橘神社には何も供えられていなかった。)
【牟山中臣神社(伊勢市田尻町)】
続いては勢田大橋にて勢田川を左岸へと渡り返した。その際に右岸下流側に鎮座する牟山中臣神社の社叢を遠望。
牟山中臣神社では
木製の鳥居に多数のしめ縄が掛けられていた。豪快だ。
手水所には控えめに。
御垣の御門には鏡餅が供えられていた。
【栄通神社(伊勢市通町)】
続いてはまたまた、勢田川橋にて勢田川を右岸へと渡り返した。(本日は勢田川の両岸を行ったり来たり)
国道23号である勢田川橋を過ぎると左側にある階段を下った。目の前には月待塔(石)があり、しめ縄が掛けられていた。
こちらは栄通神社、先ほど訪れた牟山中臣神社とともに見並宮司が兼務する社だ。
日の丸が掲げられた鳥居をくぐり、参道を進むと左手にはしめ飾り置き場が仮設されていた。
本殿へ向かうと御垣の御門は開かれていた。本殿を拝してのお参り。
【山之神社(伊勢市通町)】
栄通神社から隣の山之神社へ。
鳥居および小祠の前にもしめ縄が掛けられていた。
【一色神社(伊勢市一色町)】
通町から一色町へ入るとくねくねとした狭い道を・・・
いきなり開けた場所へたどり着くと、そこが一色神社。
鳥居に掛けられた大注連縄に驚きながら
お参りした。(大注連縄については別の記事で紹介)
【昌久寺(伊勢市一色町)】
一色神社を後にすると山門に張られた幕に惹き寄せられるように昌久寺の参道を歩いていた。
こちらの山門と本堂は常磐町の御師、橋村肥前大夫邸から移築されたもので、当時の雰囲気を今に伝えている数少ないもののようだ。
【参考】
【玉尾稲荷大明神(伊勢市一色町)】
昌久寺を後にすると一色町公民館の前に路地へ入り
玉尾稲荷大明神にお参り。
【御食神社(豊受大神宮 摂社)】
一色大橋にてさらに勢田川を渡り返すと、橋の上から望めるのは御食神社の社叢だ。
御食神社を訪れると鳥居には
榊が結ばれていた。
本日は普段とは異なる場所にてお参りできた。(その理由については別の記事で紹介)
【八幡神(伊勢市神社港)】
御食神社を出ると近くにある神社港公民館へ移動した。この広場には
八幡神がまつられている小祠がある。
その前にはこのようは掲示。
【豊玉稲荷大明神(伊勢市神社港)】
続いてはその隣に鎮座する豊玉稲荷大明神にもお参り。
【日和神社(伊勢市下野町)】
神社港から下野町へ入ると日和神社へ。
剪定無用の紙片をチラリと見ながら参道を進むと
右側の拝殿へ、日和神社の本殿では変化を見ることはできなかったが、
参道の正面にまつられている八幡宮にはこちらのしめ飾りが掛けられていた。
細い路地をを抜けて日和神社から馬瀬神社へ。
【馬瀬神社(伊勢市馬瀬町)】
馬瀬神社では鳥居に
多数のしめ縄が巻き付けられていた。
御垣の御門前には鏡餅。
【馬瀬町の庚申さん(伊勢市馬瀬町)】
馬瀬神社を後にすると大湊へ向かうために湊橋へと通じる県道を歩いた。その途中にはコンクリート製の祠があり
隣に立てられた説明板がこちら。これによれば高さ60cmの舟形光背の石像があるはずだが
多数のしめ縄でその姿が覆い隠されていた。
【志宝屋神社(豊受大神宮 末社)】
この場所は大湊川に架かる湊橋の手前にある徳田バス停、これから訪れる志宝屋神社の社叢が望める。
志宝屋神社を訪れると
玉垣の前には
くちばしで突かれたような痕を残したみかんが転がっていた。お供えされていたものを鳥が突いて転がしたのだろうか?
志宝屋神社では興味深い変化を見つけたがこれは別の記事にて紹介しよう。
【河原神社(豊受大神宮 摂社)、毛理神社(同末社)を同座】
志宝屋神社を後にすると大湊川に架かる2つめの橋、第二湊橋にて大湊川を渡り返した。
残るは自宅近くの河原神社のみ。その社叢へと続くこの道を・・・
河原神社を訪れると
まずはお参り。
しかし、お賽銭が供えられている以外、特に変化は無かった。
こちらの石が古殿地へ戻されていることを期待したのだが・・・。
以上で本日の巡拝は終了。
結局、「初詣とは?」の答えを見つけることはできなかった。
今後は、常に「初詣」の意識ですべての神社にお参りしよう。