2019年01月19日(土) 思い立ったが吉日、初めて訪れた丸柱(伊賀市丸柱) (車、徒歩)
毎週土日の早朝には録りためたTV録画を早送りでまとめて観ている。「ガイアの夜明け」「プロフェッショナル 仕事の流儀」「ブラタモリ」「日本の祭」「祭人魂」などなど。
今朝、ITVの「伊勢 美し国から 第115回」を観ると、その内容は「伊賀焼の里・丸柱(まるばしら)~大寒(だいかん)の頃~」であった。
伊賀市の丸柱は伊賀焼の窯元が点在する山里です。室町時代から桃山時代に茶陶として発展しましたが、一時衰退、後に藤堂家の後ろ盾を得て日常雑器を中心に甦りました。個性的でどっしりとした風合いが好まれ、作陶を志す陶芸家も数多く住んでいます。伝統産業会館や国の登録有形文化財に指定されている登り窯を有する窯元を訪れ、伊賀焼の魅力に迫ります
【引用】 ITVのホームページより
伊賀市丸柱は伊賀焼の里であり、自宅で使用している「かまどさん」を作っている長谷園も紹介されていた。
【参考】
- 福袋として購入した長谷園の「かまどさん」 2017年01月04日
長谷園では大正館なる建物が休憩スペースとして開放され、そこには伊賀焼のカップでコーヒーが飲める自動販売機があり使ったカップが持ち帰れることも紹介された。
- 「かまどさん」を作っている窯元
- 使ったコーヒーカップを持ち帰れる自動販売機
この2点に魅了されてしまった【キタヰの妻】は「行ってみたい!」と。
本日は予定が入っていなかったため、私は「それなら、行く!」と反応していた。洗濯機が仕事を終えるのを待つと9時半頃に丸柱へ向けて出発となったのであった。
中勢バイパスを経由し関から名阪国道へ入り、壬生野で名阪国道を降りると2時間半ほどで丸柱に到着した。まずは伊賀焼伝統産業会館を訪れた後、丸柱を散策しながら長谷園に立ち寄った。
【伊賀焼伝統産業会館】
伊賀焼伝統産業会館を訪れると
入館料 大人200円×2を支払って2階の展示スペースへ移動した。
【参考】
階段を上ると左端に伊賀焼歴史年表が掲げられていた。
こちらは階段の正面にある特別展示室。
新しいもの、古いものが混在している。
こんな座布団のような台にも惹かれたし、
この花器の断面を見てみたい衝動にかられた。
こちらは江戸時代の盤(古伊賀写)と大火鉢。
部屋の隅に置かれていた壺の表面にも惹かれた。和紙が貼られ、一部には文字が書かれている。
この底もいい。
奥の展示室には材料である土の種類や生産工程(土づくりから成形、乾燥・素焼き、釉薬・絵付、施釉・窯詰め・本焼き)が紹介され、生産工程については昔と現在が比較されている。
興味深いモノをパチリ。
パチリ。こちらの写真の右側は棚板を作る道具だが、左側の道具の役割がわからない。(誰かご存知?)
こちらは伊賀丸柱(向出2号)古窯からの出土品。
カラフル!
石膏型で作られた陶製のガスコンロを見つけるとばんこの里会館で観覧した企画展「萬古焼の粋」を思い出していた。
【参考】
- 沼波弄山翁 生誕三百年 企画展「萬古焼の粋」@ばんこの里会館 2018年11月17日
伊賀焼伝統産業会館での見学を終えると次のマップを手にして丸柱を散策することにした。
【引用】 伊賀焼の里へ | 伊賀焼 – 伊賀焼振興協同組合 より
伊賀焼伝統産業会館を背にして右方向へ進むと
宮田氏館跡を目指したが、どうやら道を間違えたようだ・・・。
寄り道はせずに本日の目的地である長谷園を目指すことにした。先ほどの道へ戻ると更地となっている空き地の隅に「旧丸柱公民館前」のバス停を見つけた。
さらに先へ進むと
この道が国道であることに気づく。
さらに進むと国道はこちらで右方向へ曲がっているが
我々が進む方向は「音羽」の文字が示す方向だった。
道なりに進むと
「県窯業試験場」バス停にたどり着き、
その先にはこちらの道標が立っている。「右 うへのみち」、左側は「弘化五申年二月」(弘化5年は1848年で、2月28日より嘉永となった。)
この面には「右 いし河 満きやま道、左 志がらき 京みち」、その隣は「奉納 四国八十八ヶ所」
道標から「うえのみち」方向へ進むとこの案内板に従った。
道なりに進むと駐車場の先に
伊賀焼の郷 長谷園の倉庫と展示室に挟まれた道路を・・・。
右手にある第一展示室で確認すると建物の外観なら撮影OKとのことだったので、写真を撮りながら伊賀焼の郷 長谷園を巡ってみた。
【参考】
こちらは約200年余の萱葺きの主屋(母や)であるが普段使いの建物なので本日は開放されてはいなかった。(イベント時のみ公開となるようだ)
雪吊に新鮮さを感じながら
萱葺きの屋根を眺めていた。
後で登り窯を見学したが、今はガス窯に取って代わられている。
第二展示室を後にすると
大正館の前から
登り窯へ向かった。
こちらは狛犬。またまた、思い出してしまった陶製の狛犬を。
【参考】
- 陶製の狛犬を求めて訪れた萬古神社(四日市市陶栄町) 2018年11月17日
狛犬に見送られて先へ進むと16連房の登り窯が現れた。撮りきれなかったのでその一部をパチリ。
石垣の前にはこちらの説明板が立っていた。
登り窯、展望台をひと巡りすると大正館まで戻ってきた。
【キタヰの妻】はこちらを訪れることが最大の目的だったようで
その目的を果たせて満足している様子だった。「一息、一息」
以上で、伊賀焼の郷 長谷園を後にすると先ほどの道標まで戻ってきた。
続いては「右 いし河 満きやま道」の方向へ進んだ。ほどなく地蔵堂にたどり着くと
右方向にも煙突が望めた。
地蔵堂にお参りすると
先を急いだ。(昼食もとらずに・・・)
雰囲気を楽しみながら
こちらも窯元のようだ。
さらに進むと
「土楽窯」を過ぎた。
行く先には多数の朱鳥居。
思わず惹き寄せられていた。急な坂道を上った先には
広場の奥に三吉(稲荷)大明神と庚申祠がまつられていた。
三吉(稲荷)大明神にお参り。(扁額には「三吉大明神」と記されていたが、明らかにお稲荷さんだったので(稲荷)を付記しておいた。)
社殿の中には興味深い木札が横たわっていた。そこには次の文字が、「稲荷社安鎭之證書 本宮祠官 松本筑後守」
三吉(稲荷)大明神を後にすると下出橋で丸柱川を越えた。
その先で県道647号に合流した。ここを左へ折れると諏訪神社を目指した。
車道には歩道がなく危険なので、右側の路地を進んだ。
JP丸柱郵便局で県道に合流するとこの先で長谷園からの道(あの道標からの道)が合流していた。
あの道標からの道を左に見ながら、ここでも県道は歩かずに右側の路地を進んだ。
和光山 徳王寺を見かけたので石階を進むと
山門をくぐって
お参り。
帰りは車用の参道を下ると前方に煙突が望めた。さらに
坂を下ると右手に窯が。
県道と交わる辺りで右側にこの看板を見つけた。矢印の先には先ほど遠望した煙突だろう。しかし、諏訪神社の鳥居はこの方向では無かった。煙突には後で訪れることとし
最初はこちらの正面へ進んだ。
数段の石階を上り、鳥居に掛けられた扁額を見上げてから参道を進んだ。
参道の途中からでもあの煙突が望めた。思いが募ってしまう。
手水所(所と記されていたので)にて
心身を清めると
第二の鳥居をくぐった。
その先へ進むと
こちらでお参り。
ここには立派な参籠舎があり、その屋根には煙抜き(越屋根)が付けられている。屋内で火を焚くのだろうか?
参籠舎を背にするとその向かい側には力石がまつられ、その左側には鳥居が建っている。
鳥居をくぐるとこちらには
津島牛頭天王の扁額が掛けられていた。
お参り。
津島牛頭天王社の左側には石段が続き、小祠がある。
その中に種々雑多な・・・。
しかし左側に立て掛けられている木札を見ると、ここは山神社のようだ。
諏訪神社にてお参りを終えると、私は先ほどから気になっていた煙突へと近づいた。
煙突の側には道祖神がまつられ、
建物から煙突へと続く煙道には穴が開き使い物にはならなくなっていた。
こちらの煙突はすでに役目を終えた様子だった。
例の駐車場へのルートを逆行して諏訪神社前へ戻ると、参道を戻っていた【キタヰの妻】と合流した。
ここから諏訪神社を背にして国道422号を進むと
辻堂橋で丸柱川を渡り返した。
ほどなく伊賀焼伝統産業会館へ到着すると丸柱でのプチ散策は終了となった。
次回は丸柱の窯跡や音羽地区へも足を延ばしてみたい。
初めての丸柱訪問は無事終了した。(夢中になり過ぎていて昼食にありついたのは午後4時を過ぎていた。)