2019年10月20日(日) 街道歩き、和歌山別街道(多気郡多気町丹生〜同 野中)ほか (車、JR、徒歩)
丹生山神宮寺(多気郡多気町丹生)において「仁王門修復並びに回廊再建落慶記念法会」の拝観を終えたので、あとは帰るのみ。丹生(多気郡多気町)から野中(同)までは和歌山別街道を歩き、その先は熊野古道ほかを転々と歩いた。正午過ぎに神宮寺前を出発すると熊野街道と和歌山別街道の分岐点である野中には午後2時50分に到着した。そこから自宅までが予想より時間がかかり、午後6時前に帰宅した頃には真っ暗になっていた。
【参考】
- 和歌山別街道 | みえの歴史街道
なお、今回の街道歩きでは、次のPDFの該当部分を印刷して携帯した。
- 和歌山別街道 | みえの歴史街道マップ (PDF 約5.1MB)
( ※ 写真のキャプションに(和歌山別街道・・)とある場合は、
該当ページの 写真番号と名称を参照している。 )
正午過ぎ、こちらの道標に従って丹生山神宮寺を出発した。
ここを矢印に従って行けば、次の道標に出会うのだったが
その道標には何度も会ったことがあるし、そのルートは何度も歩いていたので、ここを右へ曲がるとショートカットした。
すると
NTT電柱番号板[丹生幹81 右2]において、先に存在を紹介した道標からのルートと合流する。
しばらくは道なりに・・・
こちらにも訪れたことがある。縁切り地蔵。
【参考】
- 丹生でのきままにぶらり(多気郡多気町丹生) 2018年03月18日
その先で近畿自然歩道の道標が立つ、マップの(!)地点に到着する。ここで右方向へ進むと
しばらくは道なりで迷うことはない。しかもこの付近は立梅用水を辿るために何度か歩いたことがある。
【参考】
- 立梅用水、丹生大師付近から岩谷池まで(多気郡多気町丹生) 2017年04月22日
このトンネルで伊勢自動車道をくぐるとその先は未知の道だった。(一度だけ車で通ったはずなのだが記憶にないので・・・)
左へ曲がる緩やかな坂道を上ると左手に「← 近長谷寺・長谷の車田」の案内板。
さらに、右側には「← 近長谷寺 ここを左折」の案内板。和歌山別街道はこの案内に従うのべきなのだろう。
しかし、この先は2017年の台風29号による被害のため現在も砂防工事が続けられている。(先日、近長谷寺を訪れようとこの先へ向かったが工事中で行き止まりだった。)
そのため、徒歩で引き返すことをためらった私は、街道ではない新しい道路を進んだ。
坂道を下りきった辺りで、さきほどと同様の案内板が現れた。
ここではこの案内に従って寄り道してみた。長谷の集落へ進むと台風の被害にあった公民館は道路を隔てて反対側へと移設されていた。工事看板によるとこの先は通行止めとなっている様子だ。
帰宅後にネット検索すると台風被害にあった車田は2月に掘り起こされて円形を姿を取り戻しているとのこと。200mほどなのに、この先へと進まなかったことを後悔した。
【参考】 夕刊三重新聞社の記事 と かつての車田の様子
新しい長谷公民館の脇から和歌山別街道を逆行してこちらの道標を確認した。この道標付近から近長谷寺への参道が分岐している。(次の写真で上方向へと続く坂道が近長谷寺への参道)
【参考】
- 長谷観音道、城山、近長谷寺(きんちょうこくじ) 2012年05月13日
長谷公民館の前まで戻ると再び街道歩きの再開。この付近は新しい道路が横切っているため街道を見つけるのが・・・? 公民館の脇から真っ直ぐに進む。(次の写真の右端にある道を上方向へ)
進んだ先で新しい道路を横断してから振り返ってのパチリ。
この場所では左の細い道とこちらの農道に分かれていたのだが、
マップの地形と見比べて農道へ下った。
しかし、しばらくすると左上方にカーブミラーを見つけていた。
「そこにも道路があるのか。するとそちらの方が街道っぽい。」マップを確認すると街道は山裾を縫うように続いているから、やはりそちらだろう。(さきほどの分岐の左側の道の続きだろう。分岐での選択を誤っていた。)
しばらく進むと上の道とつながる坂道があったのでカーブミラーから続く道へ移動した。その道(和歌山別街道)に立つと来た方向を振り返ってのパチリ。
舗装されてはいるものの荒れている。こんな雰囲気が続く街道を
進むと別のカーブミラーが現れた。この先で
坂道を下ると車道に合流する。
合流点には「近畿自然歩道」の道標が立っていた。やはりここが和歌山別街道のようだ。
道標を背にして進むと新たな分岐にたどり着く。
道標地蔵には「左あふか(相可)、右いせ(伊勢)」と刻されていて
その隣には「和歌山別街道は右矢印」の案内板が立っていた。指先の方向へ進むと
来た道を振り返ってのパチリ。
先へ・先へ・・・
しばらく進むと左手に説明板を見つけた。
それはこの説明板が無ければ見落とすことになった弘法大師像だった。 しかし、足を踏み込みたくないほどのブッシュだったので遠望のみで済ませてしまった。
昨日の大雨の影響で水が浮いている街道を注意深く進むとこんな場所にたどり着いた。
隣の建物から「モー〜」と挨拶があったので、こちらも「モー〜」と応えた。
長谷付近から蛇行しながら流れ着いた長谷川と街道が接した付近で振り返ってのパチリ。
ここの[長谷]。
さらに進むと
ここで長谷川は佐奈川に合流する。
その合流点には昭和63年に川底から見つけられて再建された道標が立ち
そこには「右かうや道 左くまの道」と刻されているそうだ。左の「くまの道」は栃原へと通じている(た)ようで、
ネット検索すると興味深いページを見つけた。かなり興味深い。
【参考】
佐奈川は上流方向から白濁した水が流れていた。
次の橋で下流方向を眺めたが、清流だった長谷川の流れも巻き込まれすべてが白濁していた。
この橋が架かる十字路を左へ折れるとこちらの道標がある。
しばらくは道なりに往時を偲ぼう。
再び佐奈川が近づいてくると対岸に常夜燈が望めた。
小祠があり神社だろうが、近くには橋が架けられていないため訪れることを断念した。川と橋とはこんな関係だ。
しばらくは佐奈川を右手に見ながら
そしてまたこの先で見えなくなる。
[前村]の地名板が立つ十字路で左方向へ寄り道すると
そこには形状が異なる二基の道標が建っている。
その説明書きはこちら。
街道へ戻ると先へ進んだ。
何となく気配を感じて見上げると
常夜燈を見つけた。油断していたら見過ごすところだった。
ほどなくこちらが馬頭観音。
こちらは街道脇にこのような説明板が立てられているので見過ごすことは無いだろう。
お参り。
またまた佐奈川が接近。
ここは[平谷]。
街道の右側は、佐奈川からJR紀勢本線の線路に入れ替わっている。
左手にこんな土蔵を眺めたいたら
佐奈駅にたどり着いた。
佐奈駅を過ぎると
屋根が破損した古民家。
この付近では
こちらの建物に
コウモリを見つけた。
ここも[平谷]。
JR紀勢本線はここでも街道の近くを走っている。
こちらは山神さん。
立派な石垣と残された土蔵からかつての様子を想像しながら先へ進むと
ここからは[仁田]となった。
仁田踏切で線路を横断すると
佐那神社の前にたどり着いた。先を急いでいたので数年前を思い出しながらこちらにて遙拝。
【参考】
- 御遷座を終えた佐那神社(多気町仁田) 2015年03月21日
佐那神社を過ぎてしばらくするとこの場所にたどり着いた。この近くの電柱には
NTT電柱番号板[長谷幹1]が付けられていた。ここは[長谷]、しかも[幹1]なので始まりか?
この先には国道42号が走っている。仁田交差点で国道を横断すると
いつも車から眺めている道標を・・・。
左側の路地へ入ると往時を感じさせる雰囲気が残されていた。しかし、マップでは井戸があるのだが・・。一本手前を曲がってしまったようだ。突き当りを右へ折れると
ほどなくこの場所へ。ここにはレンガ作りの小祠がある。おそらく大師坐像と地蔵だろう。
この小祠の中に置かれている瓦の方に興味を持ってしまった。
さらに道路を挟んでこちらの井戸がある。大と小に区割りされているが
これが「二つ井戸(弘法大師が杖で湧き出させ、澄んだ水は飲用ににごった水は洗いものに使うようにと言われた・・・)」の所以なのだろうか?
二つ井戸を過ぎるとこの場所で先程の道路に合流する。ここには「和歌山別街道」の案内板も。
小野寺橋で佐奈川を越えるとこれで佐奈川とはお別れ。
電柱に注目すると[相鹿瀬幹1]。
さらに隣の電柱には[笠木幹1]ほか。ここが境界だ。
伊勢14kmの案内板が出てきた。和歌山別街道と熊野古道の分岐点である野中まではもう少しだ。
車の場合はまっすぐ進むのだが街道はこの先で1本右側にあり民家の間を進む道へ入る。
古道っぽい雰囲気を楽しみながら進むと
道標地蔵に到着。
左方向に鳥居が見えたので寄り道すると
ここは四神田神社。車では通過点、しかも狭いカーブの途中にあるため車を止めることもできずにお参りできずにいた場所だった。(やはり、歩きはいい!)
お参りを終えると左右の車に注意しなから車道を横断すると街道へ戻り
ふたたび車道と合流した。
県道の左右には古道が残り、ここでは県道から外れると右側の坂道を進んだ。
その先には四神田池。歩かないと訪れることがない場所だ。
県道へ戻ると続いては左へ。太陽光発電所を巻くようにして県道へ戻ったが、
さらに左方向へ。ここは墓地の手前であり、経塚跡がありようだ。
地蔵に見送られると
県道へ戻って来た。
[野中]の地名板が近づいてきた。和歌山別街道歩きのゴールが近づいて・・・。
県道を右へ折れ、さらに左へ。橋を渡ると
ここを右方向へ。
ついに熊野古道と和歌山別街道の分岐に到着した。
ここが和歌山別街道歩きのゴール。
しかし、ここから自宅までの距離は今まで歩いた以上であるような。なるべく寄り道はしないように自制した。
こちらは先日、写真家の阪本博文さんがITVの番組「ランドスケープ」で紹介されいた。たしか、子供と守る神様で「コドノさん」って言っていたような? 子供を守る神様であることが確実だが・・・。
しばらくは以前に歩いた熊野古道の逆行となった。
【参考】
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(田丸から成川まで) 2013年05月25日
NTT的には、ここは[野中]。
左手に朽羅神社を眺めた頃は日が傾き始めていた。
原の交差点から続く道路を越えると
次の十字路に移設された道標に到着。こちらの道標は以前はもっと先の場所に建てられていたが、最近になって熊野古道が折れる位置へと移設されたそうだ。ここで出会ったおじいさんが教えてくれた。
道標の前で左へ曲がると見覚えのあるルートを逆行した。(以前とは異なり所々に新しい案内板が整備されている。)
石佛庵にはこちらでお参り。
ここも[原]。
黙々と歩く。
[蚊野茶屋]。
[松ケ原]。
先程の道標は「国束寺観音道」だったが、ここは「富向山田宮寺」「すぐさんぐうみち」。
こちらで熊野古道は左へ折れるが、今日のところは直進した。
この交差点の道標は「神照山廣泰寺」「左さんぐうみち」。
熊野古道から離れて直進したところ次の交差点付近で[選果場引込8]を見かけた。
佐田交差点。
[富岡支4]。
上地町交差点。ここで熊野古道と交差した。直進方向へ進んだがこの先で歩道がなくなるので
一本右側の路地を歩くことにした。
その途中でパチリ。ここは交通量がほとんどないのでより安全だ。
ここから道なりに進むと
JR参宮線 宮川駅に到着した。ここからJRに乗ることも考えたが、歩いても一時間。
結局歩くことにした。[下小俣]を抜けると
近鉄踏切道 小俣三号の先にある
豊浜大橋で宮川を越えた。(この橋は歩道がなく、暗くなって来たので自己主張しながら歩いた。どんな自己主張でしょう?)
豊浜大橋の上から宮川の上流をパチリ。
ついにここまで来た。
帰宅できたのは午後6時。丹生を出発してから6時間の旅立った。ああ、面白かった。でも疲れた。
次はどこの街道を歩こうか?