2020年10月25日(日) 高伝寺に残される千束屋(山田)市右衛門・里と夫婦碑(伊勢市御薗町上條) (徒歩)
上條の渡し跡(宮川)を訪れたので、その近くにある高伝寺(伊勢市御薗町上條)を訪れた。
本堂の正面には
こちらの碑などあり、左端は千束屋市右衛門・里と夫婦碑である。
以前に、御薗村誌を読んでいたので、確認したいと思っていた。
(4) 千束屋市右衛門・りと碑 54.5×22.5cm 文化5年(1808)
次の銘がある。
(正面)
積法善了信士
善法了根信女(向右)
千束屋市右衛門
行年 七十才没(向左)
文政十一年(1828)戊子十月廿九日
里と 行年 八十八才(裏面)
士文政五戊辰年閏六月十八日伊勢古市の名家千束屋と本寺のかかわりは明らかではない。
千束屋里と女の事跡は、『宇治山田市史』及び『神都百物語』(松木時彦著)に記述されている。しかし、どのような経緯で本供養碑が、高伝寺境内に安置されているのかは不詳である。同寺の過去帳には、千束屋夫婦のほか、縁故関係にあった遊技茶屋千切屋、油屋に関係する人物が所載されている。(中略)高伝寺檀徒としての関係をもつ人物がいたことを知る。御薗村誌 第9編宗教 第1章寺院 P.599- より引用
(向左)はかなり読み難い状態になっている。
「千束屋りと」は古市街道の牛谷坂(猿田彦神社の脇の坂)改修の功労で著名であるが、その内容については次の資料で概説されている。
【参考】 「千束屋りと」とその功績(牛谷坂の改修)ほか
- 小冊子「修道の偉人」(修道まちづくり会 にぎわい委員会) | 神宮巡々2
- 宇治山田市史.下巻|国立国会図書館デジタルコレクション (コマ番号226)
小冊子「修道の偉人」によると市右衛門と里との墓は久世戸町墓地にあるそうだが、こここにある夫婦碑は何を意味するのか?