2018年02月24日(土) 岩出城跡を後にすると下外城田神社から八柱神社(粟野町)・・・ (徒歩)
本日の目的である岩出城跡および城下町跡の散策を終えたので後は帰るだけだったのだが、先ほど目にした幟旗「厄除祈願 下外城田神社」に誘われてしまった。岩出城跡を後にすると
ここから左方向に見える丘を目指し、山岡の集落の手前で左へ折れた。
すると汁谷川が山岡と小社曽根の境界になっていた。そのためこの橋を渡ると
「小社(おごそ)」の地名板を見つけた。
右へとラウンドしながら緩やかに上る坂道を進むと左手を見上げてしまった。この木に驚いていたらその向かい側が
下外城田神社だった。
【参考】
- 下外城田神社 | 三重県神社庁教化委員会
社号標を確認してから鳥居をくぐると参道をすすんだ。
拝殿にて見上げると多数の御祭神が名を連ねていた。
最近、御遷座を迎えたのだろうか、各所が新しそうだった。
下外城田神社を後にすると後は帰るのみ、方向だけを定めると分岐では適当にルートを選択することにした。
そのため社務所横の鳥居をくぐるとこちらのルートへ進んだ。
すると突き当り御堂が望めた。こちらは宝泉寺。
その境内へ進むとその隅に新しい庚申堂を見つけた。
宝泉寺の前には汁谷川へと下る坂道があったため、一気に下ると
この場所に出た。新しい看板には「メダカの学校」の文字。左側には汁谷川が流れているが、右下の水路が「メダカの学校」なのだろうか。私たちは汁谷川から離れると田んぼ道を進んだ。
車道を避けて、農道ばかりを選んで進むと三郷・昼田処理場の先で往路で見かけた粟野町の杜(後で分かったことだが、八柱神社の社叢)が近づいてきた。遠くからでもその中へと車が吸い込まれていく様子は何とも魅力的だった。
こんな畑に注目しながらも私は社叢へ吸い込まれたいとその方向へ歩を進めていた。
そしてたどり着いたのがこちら。私たちも社叢へ吸い込まれると
右側に積まれた石垣のなかには堀のようなくぼみがあり、その先に本殿が望めた。
石垣を右に巻いて正面へ向かうと参道の入口にたどり着いた。そこには村社の文字が潰され八柱神社のみが残された社号標が建っている。ここは伊勢市粟野町に鎮座する八柱神社だった。
【参考】
- 八柱神社(伊勢市粟野町) | 三重県神社庁教化委員会
鳥居をくぐるとその先には手水舎があり、こちらの手水石は
何とも印象的なものだった。丸い、しかも表面には亀甲状に亀裂が入っていた。どのように形成されたのだろう。
また、手水舎の近くには山神社。(こちらにお供えされている石も丸い。)
さらに、両宮遙拝所。
手水舎の脇から参道を進むとこの石標で右へと折れる。【キタヰの妻】は何に?
「百度石」を背にすると拝殿があり、
こちらにてお参り。
御垣の御門が新しそうだ。
また、拝殿の左側には椿神社と八雲神社(牛頭天皇)がまつられている。
これらの脇から本殿を望むとパチリ。
さらには反対側からもパチリ。
八柱神社を後にすると粟野公園側へ進んだ。振り返ってのパチリ。
粟野公園を後にすると適当に道を選んでの・・・
途中で見かけたこの風景。この白塗りを見て「モノクロームな日々2017」のフレームは白色にすることを決意した。
この後は熊野古道伊勢路方向へ・・・
熊野古道伊勢路を越えてもさらに・・・
こんな場所にたどり着いた。ここは県道37号(旧国道23号)の近くに工場付近だった。
この後、県道37号へ出ると空腹には耐えられず、何年ぶりか(10年、いや20年以上)マクドナルドにてハンバーガーを食した。それなりに美味しくなったものだ。
いつもなら歩きながらのおにぎり2個なのだが、腰を据えて休憩してしまったためいつもとは調子が異なった。結局、帰宅したのは予定時刻を1時間半も超過していた。【キタヰの妻】は「足にまめができた。」とポツリ。
【歩いて岩出城跡を訪れた記録】 2018年02月24日
- 岩出城跡を目指してまずは度会橋(宮川)まで
- 度会橋(宮川)から岩出城跡へのぶらり
- 「宮川流域の遺跡を歩く」を携えて訪れた岩出城跡および岩出城下町跡
- 岩出城跡を後にすると下外城田神社から八柱神社(粟野町)・・・