2018年03月17日(土) 錦での神社仏閣ぶらり(度会郡大紀町錦) (車、徒歩)
午後からは、『「都に続く縁の道を歩く」さあ!まいこましてこかぁ』のスタッフミーティングが錦みなとホールの一画で開催されたので、その会議に参加する前に初めての錦散策を実施することにした。
なお、本プロジェクトの概要については先日開催された宮川プロジェクト報告会での記録に譲ることとする。
【参考】
- 平成29年度宮川プロジェクト活動報告会&講演会 2018年03月03日
私がは本プロジェクトを知ったのはパート3でその時は参加者として、続いてパート4では縁あって山歩きスタッフとして参加することになった。この流れに乗って最終目的である「錦から奈良(橿原神宮)まで歩く」企画の会議にも参加することになったのである。
【参考】
・宮川流域案内人とともに『都に続く縁の道を歩く』〜さあ!まいこましてこかぁ〜パート3 2015年11月15日
・『都に続く縁の道を歩く』〜さあ!まいこましてこかぁ〜パート4 2016年11月13日
このようなプロジェクトに参加しているにもかかわらず、私はスタート地点である錦について全くと言っていいほど知らなかった。とにかくこの地を歩き、まずは肌で感じることが重要だと思い、簡単な地図を手にすると神社仏閣を中心に2時間ほどの散策を楽しんだ。
会議が開催される錦みなとホールに車を駐めると急な坂を下った。
新奥川橋南東詰交差点を横断すると奥川に架かる歩行者用の橋「錦太郎橋」の脇を通り過ぎた。
奥川の対岸には錦小学校を眺め
振り返れば高台の上に大紀町錦支所を見上げた。
支所を背にして奥川右岸を道なりに進むと前方からは錦タワーが近づいてきた。
このタワーは昭和19年に発生した東南海地震での教訓をもとに建てられた避難塔である。
今では、この塔以外にも第2錦タワーが建てられている。その詳細はこちら
【参考】
- 津波避難タワーの紹介|大紀町
このタワーの周囲は低い段差で緩やかな螺旋階段となっていて登れば知らぬ間に
5階の避難スペースへとたどり着く。
錦タワーを後にするとまずは金蔵寺を探しての散策が始まった。
奥川橋で奥川を越えると
家々が建て込んだ町並みを通り抜けた。
すると港に到着。ここは錦漁港で防波堤には
次の町是が記されていた。「町是 人の命は何よりも大事(子供は町の宝・お年寄りは町の誇り) 大紀町」過去の教訓がここにも活かされている。
「沖見台」の文字を確認すると
堤防を越えるための階段を上り錦漁港を眺めた。この後、海を離れ山裾に面した道へ向かうと
地図にも掲載されていた旅館の看板を見ながら突き当りを右折した。
石積み等で嵩上げされている家が多い。
こちらはかなり背の高い避難所。首が痛くなるほどに見上げた。
しばらくすると鳥居の先に石段が現れた。この辺りは金蔵寺のはずだったが、鳥居の正体を知りたくて鳥居をくぐった。石段を軽快に登ると
前方と左右、十字路にたどり着くのでここでは鳥居をくぐり直進した。
鳥居をくぐってから振り返るとパチリ。坂道をさらに進むと
山の中腹にこちらの御堂が建っていた。
ここには金刀比羅山大権現がまつられている。やはり地図には掲載されていない情報もあるため、実際に足を運ぶことが重要だ。
先ほどの十字路まで下ると金蔵寺と逆方向へ進んだ。金刀比羅山大権現よりも高い場所へ登るとそこから見下ろす漁港が美しかった。
再び十字路まで戻ると今後は金蔵寺へと続く参道を選んだ。
境内の端からの眺望は見事なものだった。
金蔵寺の脇から巻いてこちらにたどり着くと
お参り。
裏手から金蔵寺へ入ったので、出る時は正面の階段を利用することにした。階段を下ると左奥の方でナギの大木がお稲荷さんの背後に聳えていた。
再び散策の人となると店舗と特徴的な雰囲気をパチリ、パチリ・・・
ここを一度通り過ぎしてしまい、地元の方に場所を教えていただいた。それは錦神社への入口だった。
錦では津波避難場所が案内板となっていることを見落としていた。「神社避難所」の←の先が参道だ。
程なく錦神社の石段へと進んだ。
【参考】
- 錦神社 | 三重県神社庁教化委員会
最初の石段を登りつめるとその先には空間が広がっている。さらにこちらの鳥居をくぐると
階段を上り
お参りした。
丸瓦を抱く狛犬が印象的だった。
こちらは境内の隅からのパチリ。広さがよくわかる。なお、右側にも神社がまつられていてその階段下に建つ鳥居には
御子之宮の名が記されていた。
神社の高台から眼下に広がる町並みを眺めると階段を下った。
先ほどの地点へ戻ると町並みを先へ進んだ。
印象的なタイル壁の家を過ぎると右折。
その先はぎっちょ場と呼ばれ、神武祭にて原始的な儀礼行事が執り行われる場として今でも利用されているそうだ。(※神武祭 : 神武[後の初代天皇]東征の際に神武軍と戦った錦の豪族「丹敷戸畔(にしきとべ)」との密約を祭りの形で現代まで伝えている原始的な儀礼行事)
ここがぎっちょ場だ。
続いて訪れたのは浅間神社(浅間山)への上りのルート。
手摺に導かれて急な階段を進むとパノラマにしたいほどに・・・
眺望を背にするとこの先が浅間神社である。
階段を登り切ると避難小屋があり、その左手には
コンクリート製で強固な祠が建っていた。
そろそろお昼時となって来た。港でおにぎりを食べようと急いでいると今まで目にした光景とは逆行する作りの家を見かけた。こちらの家は道よりも低い場所に建ち階段を下る。
しばしの後
海へ出ると歩いたルートを回想しながらいつも通りにおにぎりを頬張った。しかしいつもと異なるのは海を見ながら落ち着いて腰掛けていたことだった。
昼食を終えるとそろそろ錦みなとホールへもどる時間となった。
複数の船が船団となって出港する様子を(勝手に)見送ると
港の突堤から
防波堤の海側をぐる〜りと歩いた。
(しばらくは画像のみ列挙)
ここで港を後にすると
第2錦タワーの所でこちらの道へ入った。振り返ってのパチリ。
こちらに突き当たると左へ折れて・・・
来た道とは異なる経路で
奥川橋までたどり着くとその後は来た道を戻った。錦タワーの脇を通り
錦小学校を遠望すると
坂道を上り錦みなとホールにたどり着いた。会議の開始まで20分ほど余裕があったため
大紀町錦支所まで足を延ばすと
2時間ほどの散策を振り返った。
愛宕さんもまつられていると聞いたので、次回は愛宕さんを訪れてみよう。