2018年03月18日(日) 丹生でのきままにぶらり(多気郡多気町丹生) (車、徒歩)
午後から神宮寺仁王門の調査報告会に参加するため、昨日に続き本日も多気郡多気町丹生を訪れた。
丹生山神宮寺前から長谷に向かって和歌山別街道を歩き始めた。しばらくすると神宮寺の駐車場には多数の石が積み上げられていた。この数から考えると昨年の台風21号で崩れてしまった回廊の下に積まれていた石たちだろうか?
そして、以前にも紹介したことのある井戸を過ぎると
「和歌山別街道←」の案内板が立っている。
その脇には常夜燈と六地蔵石幢が建っている。みえ歴史街道 ウォーキングマップによれば常夜燈は貞享年間、石幢は文明年間のものだと記されているが、現物からその文字を読み取ることはできなかった。
これらの石造遺物を右手に見ながら和歌山別街道を先へ進むとこちらへ。おそらく街道はここを真っ直ぐ通っていたのだろう。左へ迂回すると
こちらへ合流した。この道は帰りに立ち寄った道標から続く場所だ。道なりに進めば長谷へとたどり着くようだ。
坂道を下った辺りで縁切り地蔵に出会う。
ここに供えられていたコップの劣化具合が何とも言いがたいほど芸術作品のようになっていた。
また、縁切り地蔵を取り囲むように一石五輪が配置されている。
なかでもこの五輪が気になった。
縁切り地蔵を後にすると近くに近畿自然歩道の道標がある。
山あいの古寺と両郡橋をたずねるみち
丹生大師 1.1km / 近長谷寺 1.6km近畿自然歩道 環境庁 三重県
近長谷寺まで1.6kmとは近いんだ。和歌山別街道を歩く方法を考えてみよう。
そんなことを考えながら道標が立つ十字路で左へ折れた。長谷川に架かる桂橋を渡ると
この矢印とは逆方向へと左折した。
続いては先ほど渡った長谷川の辺りへ下るとしばらくその流れに沿って歩いた。
しばらく歩くと先ほどの道路へ戻った。春の雰囲気を楽しみながら
こんな小石にも心を寄せた。
右方向に立梅用水が流れていることを思い出すと近づいた。
以前に立梅用水の全線を歩いたことがあるのでその敷設の大変さは身をもって感じられた。そのため何度訪れても感慨深いものがある。墓地の脇にある手摺に沿って坂道を進むと
その途中にも一石五輪がまつられていた。
さらに坂道を進むとその高台には水路がある。これが立梅用水の最下流部にあたる。その流れはこの先で岩谷池へと落ちる。
現在は通水されていないためこんな状況だ。全線を維持管理するのは大変だ。
ほどなく岩谷池に到着した。
通水時には各所に水を配って流れてきた用水がこちらの池へと辿り着く。
岩谷池を背にした風景は私のお気に入りである。
岩谷池を後にしようとすると交差する水路を目にする。下側の水路は池からフローした水が流れ落ちるもの。そして上側のものは池を出発点としてさらに下部へと流れている。
以前、地元の方に立梅用水は岩谷池で終わると聞いたが、登録記念誌「立梅用水」を見ると文政6年立梅用水竣工段階の水路の地図にもこの先まで線が引かれている。次回はこの先を追いかけておかないと全線踏破とは言えないのだろう。
【参考】
- 多気町朝柄から届けられた登録記念誌「立梅用水」、感謝! 2017年04月05日
- カテゴリー: 立梅用水|神宮巡々2
岩谷池から坂道を下ると
農道を歩き、再び
長谷川を渡った。
この橋は親柱だけが別に残されている。「八王子橋」
これからは神宮寺へ戻るのみ各所の風景を楽しみながらのぶらぶらで・・・
なるべく歩いたことが無い道を選んだつもりが
見覚えのある風景に出会う。
この辺りはかなり歩いているが自分の中に専用マップができあがっていないのだろう。
立派な瓦が各所に残されているので、立ち止まって魅入ってしまう。
そしてこちらが、本記録の冒頭にて「この道は帰りに立ち寄った道標から続く場所だ。」と紹介した道標。
この道標から真っ直ぐ進めば神宮寺へたどり着いたが、まだ時間が合ったし、ぶらぶらしたかったため気の赴くままに右へと折れた。
浄福寺付近で左へ折れると
こんな小径へ入った。ここをさらに奥へと進むと
茶畑が現れた。驚き!
道なりにさらに進むと
ここで和歌山別街道と合流した。ここは大師(空海)の加持の井戸だ。
加持の井戸を後にすると丹生川に架かる門前橋を渡り、神宮寺を目指した。
真っ直ぐに歩くと、報告会開始20分前に本日の目的地である神宮寺に到着した。