2018年05月19日(土) 特別企画 紙問屋「小津清左衛門家」展〜江戸店創業365年〜(松阪市歴史民俗資料館) (車、徒歩)
松阪市文化財センター第3ギャラリーにて林隆久写真展 伊勢和紙に映す「ヴェネツィアの印象&憧れの山々」を体感した後、和紙つながりで訪れたのがこちら。
松阪市歴史民俗資料館では
特別企画 紙問屋「小津清左衛門家」展〜江戸店創業365年〜が開催されている。
「小津清左衛門家は三井家や長谷川家等とともに江戸に店を構えて財を成した松坂屈指の豪商であり、当家は三代長弘が承応2年(1653)に江戸大伝馬町に紙店小津屋を開き、江戸一番の紙問屋となった」そうだ。
企画展示は写真撮影禁止で、今回は図録がなく本パンフレットのみだったので、詳細にはお伝えできない。
そのため、ひとつだけ印象深かった掟書について記しておこう。
三代目で創業者である長弘は隠居して小津玄久となると、元禄7年(1694)に「定」と題した玄久掟書を示した。仕事をするにあたっての注意書きであるが、この中で興味深かったのは次の項目が明記されていたことだった。
- 夜遊びするな
- 店ではようじをつかうな、はきものをだらしなく履くな
- 火の用心
また、その後五代目長康は先の「定」を引き継ぎ加筆するもタイトルが「覚」となっていた。ここには芝居見物と飲酒の戒めが加えられていた。
さらに宝暦11年(1761)には長康の妻である貞円が項目の詳細化を進め、タイトルが「定」に戻っていた。
これらの内容も興味深いが、タイトルが「定」→「覚」→「定」と変化するところも興味深い。
実はこの記事を書いている途中でネット検索していたら次のサイトを見つけてしまった。ここには掟書につていはもちろん、三代目小津清左衛門長弘に始まり現在の小津和紙に至るまでの概略が簡潔に記されている。とはいえ330年の歴史だけに内容は深いものである。
【参考】