2018年06月11日(月) 「地域の歴史資料を次世代へ伝えるために-デジタル化と現物保存-」デジタル情報記録管理協会 2018年度<CPD講座>@ハートピア京都 (近鉄、徒歩)
昨年に取得したデジタル情報記録技術者認定のCPD講座(継続的専門教育制度)として興味深い講座が実施されたので、京都へ向かった。
【参考】
- 「デジタル情報記録技術者」講座(デジタル情報記録管理協会)@京都教育文化センター 2017年07月01日
- 「デジタル情報記録技術者(実習)」講座(デジタル情報記録管理協会)@ハートピア京都 2018年06月11日
会場は前回と同様、ハートピア京都だった。
興味深い講座とは
「地域の歴史資料を次世代へ伝えるために-デジタル化と現物保存-」で
講師は歴史資料の修復、デジタル化、古文書救済・・・の第一人者である多仁照廣さんだった。
前半は講義で、後半は古文書を簡易的に修復する方法の実習だった。
まず、前半の講義で私が印象に残った点を紹介しておこう。
【講義】
東日本大震災からの復興の基本方針 抄では復興施策のひとつとして「上記の調査研究の結果も踏まえつつ、地震・津波災害、原子力災害の記録・教訓の収集・保存・公開体制の整備を図る。その際、被災地域における公文書等の保全・保存を図る」とあり、学会の原案では民間の文書も含まれていたものが、ここでは「民間の文書」が公文書等の「等」に置き換えられ曖昧にされている。
江戸時代の記録はほとんどが庄屋や名主など村の役人の記録であるが、明治18年に役場ができるまで公文書としては扱われていない。
県史など郷土史の資料として使用された史料は所有者の代替わり・引っ越し・大掃除・災害などの理由により紛失したり廃棄される状況にある。三重県、大分県、新潟県では2〜3割の史料が行方不明になっている。また、古美術商のなかでも歴史的価値がわからない、または営利目的が優位な一部の業者が県外に転売したり、ネットで切り売りするなど、貴重な史料が散逸している。財政難から行政の文化財購入予算が削減され、さらには公共の文書館等は収蔵能力が限界になっているため寄贈や寄託さえも受け入れられない状況となっている。
さらに、辛うじて地域に残された史料であってもその多くがネズミや虫に食われ、破れ、カビが生え、被災して活用できなくなっている。このような状態にある史料は文字も読めず活用価値がないと判断されて捨てられ、焼かれる。一部状態が良い史料があってもネットオークションで切り売りされる危険は否めない。
日本では室町時代から江戸時代に発達した寺子屋教育により識字率が高まった。江戸時代の裁判は先例(慣習法による)主義だったため、山・水・境界の争いや租税などの訴訟で証拠となる記録が和紙と墨の素晴らしいメディアに残された。また江戸時代は戦争のない平和な時代だったため多数の古文書が消失することなく残った。しかし・・・
地域の歴史遺産とは自分たちの暮らしの全てを表すものであり、古くて珍しいものだけではない。また、この点から考えると指定文化財だけでなく、地域の個性を示す記録、記憶、景観やモノなどの全てが文化財である。そのためメディアとしては文書だけでなく、写真、映像、絵画、聞き取りの記録、石造遺物、民俗(葬列、結婚式・・)などの無形も含め・・・。しかしながら現状では地域の家や集落は消失しそれとともに歴史遺産も消失してしまうという重大な危機に面している。それは地域の歴史遺産が公共財である意識がないためにほかならない。
なお次の時代は軍事力や経済力よりも文化力の時代となる。文化力を高めるためにも地域の歴史遺産を守らなければならない。その一例としてポーランドがあげられる。120年以上も国を失っていたポーランドが再建できたのは、ポーランド語の上に成り立つポーランド文化を共有できる国民が存在し続けたからであり、その根底にはショパンがいた。震災などの災害が発生すると地域の史料ネットワークが立ち上げられる。一部は継続的に活動するネットもあるが多くはその場限りの活動となっている。それはボランティア組織だから恒常的な組織ではないとの考え方が根強いから?。しかしながら時代は戦争の時代(20C)から災害の時代(21C)へと変化している。被災した歴史資料の救済だけでなく減災(保管方法の改善や定期的な点検)や予防(地域の歴史資料の所蔵情報の発掘や共有)が必要となり、日々消失してしまうこれらの歴史資料を監視するには日常的な活動が求められている。
本来は国をあげて取り組むべきテーマであるが現状は惨憺たるもの。しかしやらないわけにはいかない。誰かがやらねばならないでのやっている。学生が頑張っている。
また史料ネットワークだが、歴史資料が最も集まっている場所(東京、京都、奈良等)にネットワークが存在しない。今年は京都で大会があるため、京都での史料ネットワーク発足を期待したい。
などなど話題は尽きず、多仁さんの「地域の歴史資料」保存、共有化に対する熱い思いが伝わってきた。
そして、後半はこの熱い思いを受けての古文書の簡易的な修復方法の実習となった。
被災したり、虫食いなど見るも無残な姿となった古文書など誰も手に取ろうと思わないし、もはやゴミとして扱われてしまう。これらの資源を有効活用するためにと容易に修復し、デジタル化する手法を駆使している。修復方法は一点ずつ相応しい方法が異なるが、ここでは「多仁式漉き嵌め古文書修復法」で採用している低温アイロンを使用した切断面の修復方法の実習となった。
【実習】
「多仁式漉き嵌め古文書修復法」とは古文書等の欠損部を穴埋めする手法でリーフキャスティング法よりも容易に安価に実現できるように考案されたそうだ。この手法で漉き嵌めする場合、切断されている部分を修復しておかないとその部分にも漉き嵌まれてしまう。今回の実習内容はこの切断面の修復法だった。
なお、この修復法は「漉き嵌め」のためだけではなく、単純な古文書の修復にも活用できる。
必要な道具と材料は次の5点
- 特注品のコーヒー用ペーパーフィルタ
- 内臓外科手術用のガーゼ(のりが着かない)
- のり(メチルセルロース)
- (百均で購入した)筆
- 小皿
粉末状のメチルセルロース(薬局等で購入できる)を葛粉と同じ要領でのりを作る。今回はすでに作られたのりを瓶から小皿に取り分けた。
特注品のコーヒー用ペーパーフィルタ(一辺70〜80cm)を下敷きとする。
修復したい古文書の切断面に沿って、丁寧にのりを筆で塗る。
コーヒー用ペーパーフィルタの上にガーゼを敷き、その上でのりを着けた古文書をのせる。切断面が開かないように指先で調整しながら隙間をなくすと
さらにガーゼを被せて(ガーゼでサンドして)から低温に設定されたアイロンを乗せる。強く押し当てるのでは乗せる感覚だ。力を加えると接合面が離れてしまう。
紙が焦げないように注意しながらのりの乾きを確認する。
のりが乾けば修復は完成となる。
【番外編】
主催者から実習作業中の写真を送っていただいたので、記録として残しておこう。(自分の写真は撮れないので貴重だ。)
隙間ができないように合わせるのは難しい。また、慣れるまでは楽しいだろうが、慣れてから実際の修復を始めるとこれが大変、苦痛となるだろう。いかに楽しく進めるか、独りでは難しいだろう。