2018年09月22日(土) 久しぶりの熊野古道伊勢路歩き・寄り道を楽しみながらの滝原〜梅ケ谷 3 of 4(柏野〜芦谷) (車、徒歩・バス)
知人から「熊野古道伊勢路を歩きませんか?」とお誘いをいただいた。5年前に独りで歩いたが、
【参考】
小グループでの楽しみも体験してみたかった。そのため二つ返事で参加を表明したところ、今回歩くルートは瀧原宮〜梅ケ谷だった。
伊藤文彦さんの著書「熊野古道伊勢路を歩く 熊野参詣道伊勢路巡礼 サンライズ出版」を携えて歩くそうだが、私は手元になかったため次のマップ(PDFを印刷)を持参した。
【参考】
今回の参加者は三名で、私のワガママ(あの鳥居が気になっていた、新たに鳥居を見つけた)に応え伊勢路から離れてでもかなりの寄り道を楽しんでくれた。同好の士を得た気分でとても楽しい街道歩きとなった。
歩き終わってみればかなりの写真枚数。選別しても多数となってしまったため図絵の区間単位で記事を分割し次の四部構成とした。(各区間の図絵と写真を見比べれられば、何となく歩いた気になれる?)
第一部: 瀧原宮から阿曽(JR紀勢本線 阿曽踏切)へ
第二部: 阿曽(JR紀勢本線 阿曽踏切)から柏野(柏野大橋)へ
第三部: 柏野(柏野大橋)から芦谷(大内山の一里塚)へ
第四部: 芦谷(大内山の一里塚)から下里(今回は梅ケ谷まで)へ
これらは写真記事として、コメントは最小限にとどめておこう。
さらには 柏野(柏野大橋)から芦谷(大内山の一里塚)へ(写真 58枚)。
寄り道から柏野大橋へ戻ると本来のルートを先へ進んだ。
JR紀勢本線 垣内尻踏切を渡ると
雰囲気の良い場所を通過し
大皇神社にたどり着く。
こちらにも寄り道。
お参りを終えると拝殿の隣に
こんな手水石を見つけた。
説明板によると「創祀以来、七百七十有余年」とあるが
それを物語るのがこちらにある御寄進御芳名の掲示板。ここには「第三十六回 大皇神社 御造営」とある。
大皇神社を後にしてほどなく、知人が祠を発見。隠されたような階段の先には
大福神のしめ縄が掛けられた小祠がまつられていた。
街道へ戻ると続いては庚申さん(青面金剛像)。
ここでは「新宮まで 114km」
この道標が建つのは、柏崎支所の前に立つ通称「柏崎出張所の枝垂れ桜」の脇である。
満開な枝垂れ桜を想像しながらくぐり抜けると
花の寺 大蓮寺にも寄り道となった。
さらに石階を登ると
本堂は崎の町を見守っている。
大蓮寺を後にするとその脇にも庚申さん(青面金剛像)がまつられている。
妻入りや平入りの話をしながら歩いていたらこの建物が気になった。
さらに先へ、しかし右手に鳥居を見つけてしまった。
同行者が先導してくれたので、私は追従した。この鳥居の先はかなり荒れた状態となっていたが、急な斜面を進むと
こんな平な部分に出た。薄い石壇には「宮原妙見山」と刻された石標が置かれていた。さらに右手の小高い場所には
このような小祠がまつられていた。斜面を下ってから近くを歩いていたおばちゃんに話を伺うと「秋葉さんと妙見さんと氏神さんがまつられている」とのことだった。氏神さんは西の方にまつられているか?
街道へ戻ると旅館 紀勢荘の前を通過し、JR紀勢本線 宮原第一踏切を渡った。
居酒屋の店先で面白いものを見かけたのでパチリ。
大内山川に沿ってしばらく歩いてから振り返ってのパチリ。
するとまたまた・・小祠を見つけた。
こちらも庚申さんのようだが
三面でリアリティが高い。
この辺りから大内山川と離れる。
この堰にて川面はぬるーりとした流れから急激な流れへと変化していた。
急激に道幅が狭まると
近くに民泊 井戸ばたを見つけた。
町並みを抜けると眼前には恐ろしいほどの高架が迫ってくる。紀勢自動車道だ。
すでに12時を過ぎていたため、街道から離れると大内山川の対岸にあるうどん店にて昼食休憩となった。
30分足らずで昼食を終えるとこの場所へ戻ってきた。
JR紀勢本線 一の谷踏切を横断すると
ここからは国道と比べてかなりの大回りとなっている。当時は川を歩渉する場所が無かったのだろうか? 左岸に沿って・・・。振り返ってのパチリ。
先へ進んでから前方をパチリ。JR紀勢本線の橋りょうの先に架かっている坂津橋を渡るのだ。
いつでもどこでも気になる形状(断面がかまぼこ型)の水路を左に見ながらJR紀勢本線をくぐる。紀勢本線と大内山川と国道42号、何度交差するのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると先ほど遠望した坂津橋の手前に到着した。
坂津集会所の脇を進むと坂津橋で大内山川を渡る。
これから進む方向を遠望しながら。
国道42号へ合流するとしばらく川沿いを歩く。この先で
国道を離れ右方向へ入り家並みのなかを進む。
再び国道へ合流するかを思った瞬間、この寺号標を左手に見ながら国道を背にする。
その先にあるのが国昌寺、図絵にあるようにクスノキが見事だ。
お参りと小休止を終えると国昌寺を右に巻くようにして大内山川の右岸へ出た。しばらくは堤防道路を進むと
こちらを左折。程なく国道へ合流するが
すぐに国道を離れる。振り返って国道との分岐点をパチリ。
「鐵道成功紀年」と刻された石標の隣の祠には
こんな石像がまつられていた。こちらは?
先へ進むと
ここが第三部の最終ポイント。新不動野橋(大内山川)北詰には
大内山の一里塚が残されている。
この松は何代目?
次は最終、第四部へ。
【2018年09月22日 熊野古道伊勢路歩きの記録】
- 第一部: 瀧原宮から阿曽(JR紀勢本線 阿曽踏切)へ
- 第二部: 阿曽(JR紀勢本線 阿曽踏切)から柏野(柏野大橋)へ
- 第三部: 柏野(柏野大橋)から芦谷(大内山の一里塚)へ
- 第四部: 芦谷(大内山の一里塚)から下里(今回は梅ケ谷まで)へ