2018年10月27日(土) 二八稲荷跡地で白子園稲荷の跡地、丸天林業の敷地に鎮座する正勝稲荷大明神(伊勢市浦口) (徒歩)
「お稲荷さん探訪の伊勢ぶらり」での第二の目的地はこちら伊勢市浦口一丁目にある丸天林業の敷地内だった。
JR山田上口駅から続く大通りから朱の鳥居が見えるのでいつも気になってはいたのだが、個人の敷地内であり訪問を躊躇っていた。しかし、伊勢のお稲荷さんを調べていると避けては通れない重要な場所であることが明らかになってきた。その理由は次の通りである。
浦口町々史によると先日も紹介したように
この地に鎮座していた二八稲荷は明治44年に高山神社(津市)へ移祀された。
【参考】
- 二八稲荷神社を求めて高山神社の境内社 城山稲荷神社へ(津市丸之内) 2018年10月20日
さらに
白子園稲荷は元岡本町字坊山から同町白子園、さらに移転を繰り返した後、大正4年8月29日にこの地へ遷座された。しかし当社は昭和初期になると再び岡本町へ移転し、丸天木材がその跡地を買い取った。
とある。
また、伊勢 郷土史草 第二十九号に掲載されている酒徳潮さんによる論考「伊勢市内の稲荷社(下) – 山田・宇治地域を中心に -」には次の通り記されている。
正勝(しょうかつ)稲荷(浦口一丁目)
戦前からこの地に稲荷として石体が祀られていたが、それは戦後「茜稲荷社」へ移し、あらためて、伏見稲荷の分霊を勧請し、同時に社殿も建築された。二八稲荷の跡地とも伝えられる。管理人は個人。
【参考】
- 伊勢のお稲荷さん調査(伊勢図書館と・・・) 2018年10月08日
つまり、この地には白子園稲荷、二八稲荷、正勝稲荷がまつられている(た)のである。
草奈伎神社でのお参りを終えるとこちらを目指し、JR山田上口駅前の大通りを横断した。
意を決するとこちらの門から中へ入った。個人の敷地内なので黙ってお参りすることははばかられる。お稲荷さんの先にある玄関でベルを鳴らすが反応はなかった。20〜30秒ほど待って諦めかけた頃、玄関とは逆方向(先ほど私が入った門の方)から女性が現れ「何か用ですか?」と。その女性はこちらの奥様であった。
私は私自身にまとわりついた不信感を拭い去るために「伊勢のお稲荷さんを調査していて、こちらの鳥居に惹かれ、お参りさせていただきたい。」ことを告げた。お稲荷さんの詳細について尋ねるとそのことを知っていたおばあさんが亡くなられたので今となっては知る人はいないそうだ。ただし「丸天木材(林業)がその跡地を買い取った。」ことが事実であることは確認できた。
また、今でも寒参りの時期になると稲荷講のグループが油揚げをお供えしてお参りしているとのこと。
私もお参りと写真撮影、さらにはネットへの掲載の許可をいただきこの記事での投稿となった。
その後はありがたくお参りさせていただいた。
また、ひとつの思いが達成され、疑問が解消された。