2019年08月03日(土) シンポジウム「THE MINZOKU」〜民俗文化財と地域を考える〜 (車、徒歩)
「シンポジウム「THE MINZOKU」〜民俗文化財と地域を考える〜」が三重県津庁舎にて、初めて開催された。民俗には興味があるし、友人が講演者となっていたので参加しない理由はなかった。
早く着き過ぎたので、周辺を散策してから
開場時刻に合わせて戻ってきた。
シンポジウムが開催される大会議室のある6階へ向かうと、さきほど訪れていた江戸橋が遠望できた。
定刻になると挨拶の後、基調講演、講演(2件)、総括としての総合討論が続き、最後の飛び入りコメントは強烈だった。 自らの記録として、ノートに残したメモをもとにここにまとめた。
●基調講演『東日本大震災の災害復興への文化財の貢献』 東北大学東北アジア研究センター 教授 高倉浩樹さん
高倉さんは「アフリカで生まれたホモサピエンスがなぜに極地で暮らせるのか?」に興味を持ち、シベリアでの現地調査も実施する社会人類学者である。しかし、大学で研究集会を開催している最中に東日本大震災に遭遇した。それを契機に震災を記録する事業に携わると、「このような農村型大規模震災後の地域に文化に関わる研究者、行政はどのように協力し貢献することができるのか?」についての探求に取り組み、地域芸能が有する力を認識し無形文化遺産の震災復興への役立ちについても研究を進めている。
本日は、次の4点について報告された。
(1)東北大学震災体験記録事業
(2)宮城県委託事業:津波被災地の無形民俗文化財調査
(3)宮城県山元町中浜神楽事例(ビデオ含)
(4)国際的文脈の中での無形文化遺産
(1)では、自らも被災者の立場でもあるが被災者のために何かできることはないか?と模索した。被災者として研究者として経験を共有するために被災の経験を詳しく知りたいと思ったが、まだ体育館に避難している人がいる状況であり、こんな時に被災地へ入るべきかなどと倫理的な葛藤で悩んだ。結局は大学関係者(学生、教員、職員)が、自らがいかに震災の時を過ごしたのかについて、グループセッションでの聞き取り形式で記録にまとめた。その成果は「聞き書き 震災体験―東北大学 90人が語る3.11」にとして出版されている。ここで学んだことは、記憶の忘却はとても早いので速やかに対応すべきである緊急性、資料の貴重性、容易に聞き書きできる簡便性、話者と聞き手が相互入れ替えすることによる協調性、集団で運営することの安心感と共感性を得られる組織性が重要であることだった。つまり、素早く簡単にみんなで相互にまとめる。
(2)では、津波被災地無形民俗文化財の被災状況把握と支援を目的とする文化庁の要望もあり、宮城県震災復興計画には被災者の生活環境の確保の一事業として無形民俗文化財再生支援事業が組み込まれた。この事業の担当課は文化財保護課でその目的は「震災で活動母体のコミュニティが失われたり、用具が流出・損傷し、活動の継続が困難になった地域の祭礼行事や民俗芸能等の無形民俗文化財保護団体に対して、行事や芸能の再開を促すとともに、伝統文化の実施を通したコミュニティ再生の一助とするために、用具等の備品を支援するもの。」とされていた。この事業を受託すると単独行動を避け二人行動を原則として、保存会関係者からの雪だるま式調査を実施した。聞き書きしたノートを清書し共同調査者で内容を確認し合うと分析的な記述を含めずに記録化した。フィールドノートは共有化・公開。(通常は考えられないそうだ)
これらの成果は次のサイトにまとめられている。
【参考】 みやしんぶんDB
最近では人文系の研究者不要論が叫ばれているが、このような研究では重要な人財となる。
(3)では、「無形民俗文化財は震災復興の地域コミュニティ再生におけるどのような貢献が可能か?」の問いへ事例として、宮城県山元町中浜地区がビデオで紹介された。
【参考】
中浜地区の神社では震災前には毎年4月第一日曜日に中浜神楽が奉納されていたが、震災後には氏子が20数軒となり神楽はいまだ復活していない。しかし、神楽で使用されるお面が三面ともに復活し、学校教育へも取り込まれている。このように神楽を残そうとする人々の努力が新しい社会的接点を作っている。
このように地域芸能には、社会的凝集力・動員力・再編力、さらには非日常性の力、歴史地理的な関連から空間をつなぐチ力がある。
(4)では、文化は価値観、社会秩序そのものであり、もっとも大切である。日本では文化遺産や民俗は二次的な優先順位となっているが、それでよいのか?
●講演1『集落全域で展開する祭礼行事とその課題~「棚橋の神事」を事例に~』 明和町斎宮跡・文化観光課 味噌井拓志さん
度会町出身で現在も度会町に住む味噌井さん。
職場である明和町役場 斎宮跡・文化観光課では発掘調査など文化財保護に関わる業務に従事する。幼少の頃から地元の御頭神事が大好きでずっと関わり続け、今は太鼓指導員。子どもたちからは「太鼓の人」と呼ばれている。しかし少子化が進むと神事の担い手が減少し神事も継続の危機にある。
「文化財の保護を仕事にする自分が地元の文化財を守れないでいいのか?」と自問自答し
平成25年より自分にしかできない活動を続けている。平成25年度 神事で関係資料の撮影、平成26年度 古文書の翻刻に着手、平成27年度 過去の調査報告や資料収集、周辺の御頭神事の調査開始、平成28年度 文章化に着手・・・。
こちらは味噌井さんが文章化した成果の一部である。
神事が簡素化された平成27年以前と比較したところ舞数や時間は少なくなってもムラの拝礼対象へのハガミや舞に変化はなかった。簡素化のなかにも残されたものに神事の本質がある。つまり、棚橋の御頭神事では「オカシラサンがムラを巡り、ムラ中の厄を祓い清める舞とハガミに意味がある」と。
この神事は棚橋区に住む老若男女が関わるムラをあげての一大行事であるが「神事がなくなってもええやろ」「よそから引っ越してきたから興味がないわ」「保存会を立ち上げたらええやんか」など存続に否定的な意見がある。また、円滑な運営のためにマニュアル化された弊害としてその意味も知らずに「セチ(小さな鏡餅)」をお供えする人さえいる。
味噌井さんは、このような状況にあっても地域全体で神事を支えることに意義があると考えている。保存会は一部の熱心な人に支えられ、中心人物がいなくなれば先細りとなるリスクをはらんでいる。そのため、存続の危機が迫るなかでも、保存会ではなく「地域役員+融資の支援」による形を模索している。どうすればみんなが関わる神事を続けられるのかの模索は続く。(民俗文化財は本質を守ることが重要だが、時代の流れとともに変容する。棚橋の神事の本質であるハガミを最大化すべき。各家へのハガミの復活、新築や赤ん坊の家への新たな訪問・・・。)最終的には当事者間での合意形成をいかに図れるか。
民俗文化財は地域社会の来し方、行く末を映し出す鏡であり、集落運営の在り方そのものと密接に関わりあっている。
味噌さんの模索はまだまだ続くだろう。
なお、私は棚橋の御頭神事を2度だけだが拝観したことがある。その時の記録がこちら。
【参考】
●講演2『日常生活の中にある民俗文化財~国重要無形民俗文化財「鳥羽・志摩の海女漁の技術」』 三重県教育委員会 小濵学さん
最後の講演は、三重県教育委員会の小濵さんで、海女文化クイズ「クイズあまさんショック」で場を和ませて(?)から本題へ移った。
海女文化の担当になった時、周囲に海女文化について知る人は誰もいなかった。そのため、調査・整理から始めた。しかし、漁業関係者や地域住民にとってはあまりにも身近な当たり前の存在であり「海女が文化財なの?」「普通に、海女しているだけ!」などなど、海女文化について突き詰めて考えている人はいなかった。
このような調査を続ける中で「女性の素潜り漁がしっかりと残り歴史がある」「海女はランドマークをもとに最適な漁場を識別する能力が高い」「漁に際しての呪文や魔除けの符号など周辺の習俗がよく残っている」など海女漁の技術の面での無形民俗文化財指定を考えた。また、毎日6紙の新聞記事を調査することにより、インパクトやトピックがあると登録されやすいことを突き止めた。さらに、ユネスコ無形文化遺産は文化財以外の内容で取り上げられていることが多い。なお、文化財≠観光資源、地域資源である。
「鳥羽・志摩の海女漁の技術」が国の重要無形民俗文化財指定を受けるにあたっては、教育委員会だけでなく文化財保護、漁業振興、観光振興などさまざまな部局へと広がりをみせた。また、海女の方々にとっても誇りやアイデンティティの再認識につながった。
まとめとして、本物は身近にある。身近な習俗や行事など当たり前の素晴らしさには気づきにくい。外から見ればなおさら素晴らしいものだ。日常の生活のなかにある民俗文化財がクール・ジャパンである。
●総合討論 『地域づくりの役割をになう民俗文化財』
ずべての講演が終了すると総合討論へ。コーディネーターを務める三重県教育委員会の伊藤文彦さんが各講演を総括した後、講演者に対する質疑の形式で総合討論が進められた。
Q.講演の中でも「好きだから」「日常性を確保する」などの話がありましたが、なぜ人は祭や民俗行事に参加したくなる?
A.(高)簡単に思えるが難しい。幸せのつながり、人間性のありかた、回帰的時間、日常性。農事など経済的活動でも節目節目に個人ではなく、さまざまに共有する新しいつながりとなる。
A.(味)まつりに関係する人は、日常は別々の仕事。他の人に認めてもらえる。一体感。非日常が満足。
A.(小)海女さんから言われた「私、海女好きやもん」。DNAの中に刷り込まれている。
Q.災害の時は日常を取り戻すために神楽に行く?
A.(高)他にいろいろとやることはあるが、神楽をやることで人が集まる。理由の正当性が大きい。
Q.社会との関連性・・・
A.(高)保存会をどう捉えるか。味噌井さんは否定的であったが、それは社会が神事をサポートしてくれている裏返しだろう。どういう形でも社会全体が関わる仕組みがあれば良い。今回の調査では形骸化していた保存会を起点として社会とのつながりができた例もある。
長男のみが継承するルールがあったりするが、それは難しくなり変化せざるを得ない場合、変化を否定的に捉えるのか?
横のつながりのなかで新たな落ち着きどころを対等な立場での話し合いで決めるのが重要である。
Q.どうしていけば民俗文化財は残していける?
A.(味)人が少なくなっても住民だけで進め、担い手がいなくなった終わる。またはできる人は受け入れて継続する。などそれぞれの社会で自らが合意形成して決めれば良い。
A.(小)文化財が変わっているのではなく、その回りにいる人々が変わっている。ゆるい組織や寛容な対応が必要だ。
その後、マイクは突然にもステージ上から客席へ、皇學館大学 特別教授である櫻井治男さんと三重大学 教授 塚本明さんに向けられた。
A.(櫻)継承する・しないについては地元の人々の十分な議論が必要であることを研究事例を紹介しながら説明された。
A.(塚)いいたいことは一杯あるが・・と切り出された。
まず、「鳥羽・志摩の海女漁の技術」の文化財指定は三重県の成果ではなく、海の博物館の前館長であった故 石原義剛さんの成果であることを明言した。
さらに、日本中のいたるところで指定もされない無形文化財は記録もされずに消えている。枠に囚われずにいかに記録を残していくか。震災はなくても日々記録できる。
最後に、本シンポジウムは、民俗文化を見つめる素晴らしい機会であるが、参加者が少な過ぎる。
第二回も開催して欲しいし、もっと参加者を集めて欲しい。
以上でシンポジウムは閉会となった。
最後に、アンケートに書き忘れてしまったので、ここに記しておこう。
今は誰もがスマホで写真や動画を容易に撮れる時代。つまり誰でも記録者になり得る。ただし、それが記録たりうるためには、記録としての要件を満たしていないといけないのだろう。時々刻々と消えて無くなる民俗文化をせめても記録して後世に残すためには誰でもが記録者になれれば良い。一般人が記録者になれるよう、民俗文化を記録する手法や要点に関する講習会なりを実施してほしい。座学だけでなく実習も交えて・・・