2019年11月16日(土) - 斎宮、伊勢、そして古代史研究者のひとりごと – 榎村 寛之 講演会@ロカンダ・ボーノ(伊勢市河崎) (車、徒歩)
本日は伊勢市河崎にあるロカンダ・ボーノにて『- 斎宮、伊勢、そして古代史研究者のひとりごと – 榎村 寛之 講演会』が開催された。
本講演会は、かつて3度に渡り開催されたトークバトルの参加者の重鎮である榎村 寛之さんが退職されることを記念してのものだった。
【参考】
- 『何が出るかわからない伊勢の昔語り~歴史家のターゲットは古代から江戸時代まで!?』(伊勢市河崎 Locanda Buono) 2016年08月20日
- 『何が出るかわからない伊勢の昔語り~歴史家によるトークバトル Part2 』@ロカンダボーノ 2017年02月18日
- 『何が出るかわからない、伊勢の昔語り~歴史家のターゲットは古代から江戸時代まで トークバトル パート3』@ロカンダボーノ 2017年09月16日
(なお、榎村さんは来年度 県職員として再任用され、月に15日ほど現在と同じく斎宮歴史博物館にて勤務されるとのこと。)
私はスタッフとしての参加だったため午後4時に集合した後、会場設営・参加者の受入準備等を済ませると時刻はすでに5時30分が迫っていた。
開場は午後6時であったがお弁当を提供していたためだろうか、
午後5時30分頃には多数の参加者が集まって来た。
こちらが会場のロカンダ・ボーノ。
そして、講演会の開始時刻(午後6時30分)には
会場の40席ほどが満員御礼の状態となっていた。
主催者の挨拶の後、講演者である榎村寛之さんおよび司会者兼コメンテーターである千枝大志さんが紹介された。
榎村さんの講演が開始された頃、私は事務作業に追われていたため、講演に聞きかじることができるようになったのは7時を過ぎていた。休憩を挟む前半が終了したのは7時40分頃だっただろうか。それまで榎村さんからは機関銃のように途切れることなく言葉が打ち出された。話し始めた時にはすでに落とし所が決まっていて、そのゴールに向けてあらゆる情報が紐付けられていく。語り口は軽妙だが、その内容は複雑に論理的である。しかも史実に基づいた根拠に裏付けられたものだ。
十市皇女(とおちのひめみこ)が伊勢神宮に参拝した時に吹黄刀自(ふきのとじ)が詠み、万葉集の巻一(二十二)に掲載されている歌『川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて』から、未だに明らかではない奈良時代に斎王が伊勢を目指したルートを推測するなど、興味深い話題が次から次へと・・・。私はその展開の速さと内容の広さ深さに追い付けなかった。
休憩を挟んだ第2部でもそのペースは衰えなかった。
金を集める・人を集めるノウハウを持っていた慶光院や神宮の神札を全国に配り全国から人を集めもてなした御師、度会氏による伊勢神道、伊勢の神は伊勢を捨てたとする吉田神道、一種のセンサーとして機能していた斎王、平安後期には仏教を受け入れた伊勢神宮、伊勢神宮の祠官までもが願主にたっていた朝熊山経塚群、19世紀のドイツの庭園を真似た神宮神苑などなど、多岐に渡って話は深くコンパクトにまとめられた。しかもそれぞれが関連を持って。
ここで話された内容をまとめることなんて私にはできそうもない。今回の講演の録音データをいただいたが、これからじっくりと聞くことにする。
講演の最後に語られたまとめとしては次の通り。
伊勢(神宮)の歴史はレイヤー的である。歴史のレイヤーは環境の積み重ねなので、うかつに変えない方が良い。レイヤーの変化の様子は町の中に残されている。たとえば、あの狭苦しさが河崎だ。これほどまでに歴史の重層なレイヤーが残された地域は日本全国をみても伊勢の他には無い。
今も残されている御師 丸岡宗大夫邸にしても月夜見宮、外宮との関係および道と合わせて考えないといけない。世古も陰陽師のまじないも世義寺の護摩も朝熊山の経塚群も遡れば縄文時代まで。すべてを合わせて伊勢である。
伊勢は地形をいじっていない、真ん中は残っている。
以上で講演会は終了となった。
その後、希望者のみが同じ場所で2次会へとなだれ込んだ。参加者は20名弱。会場は大きな円卓を囲む形となった。
ここでは七福神信仰や田上大水神社にまつられ江戸時代の初音ミクだった宮子(小事神主のむすめ)、番付で宮子と対比されたアタケダイニチ、大名の祈祷を受け持った紐付き御師である祈祷師(祝詞師)、出雲大社の御師や社家、布教しても良い神道の宗教団体、斎宮の役割や変遷から終焉、和歌を介しての政治的活動を物語る伊勢新名所絵歌合、などなど話題は尽きなかった。
最後に、現在の神宮と斎宮の関係についての質問があり・・・
伊勢神宮と斎宮の連携は重要であるが、斎宮は伊勢市ではなく地理的に離れている。直通のバスでもない限り伊勢から斎宮を訪れる人は少ない。また、旅行者に使える時間の問題がある。伊勢神宮とその周辺、いやおかげ横丁のみの訪問を計画している人もいるぐらいで、現代の旅行者には斎宮まで足をのばす余裕がない。
さらに、伊勢神宮には説明板などが一切なく、伊勢神宮が重要視される理由である斎宮の存在に関する説明が得られない。つまり、伊勢神宮を訪れたとしてもどこにも斎宮の影を見ることができないのである。
2次会は放置しておけば話は尽きずいつまでも続きそうだった。主催者が時間を切った時には午後11時を過ぎていた。講演の開演からは5時間以上が経過していたのだった。
榎村寛之さん、司会(?)の千枝大志さん、そして参加された皆さん、お疲れ様でした。
【私のメモ】 誤字など問題は多いが、とりあえず私がいつでも振り返れるように残しておこう。
素晴らしい講演会とその記録ありがとうございます。お聞きしたかったのですが、当日参加できませんでした。
古橋和佳さん
こんばんは、コメントありがとうございます。
次回にも機会がありそうですので、その際はぜひともご参加ください。
榎村さんのお話は内容が広くかつ深いので、私などにはまとめることができません。
今回は要約と言うよりもキーワードをつまみ出した程度のものですのでご容赦願います。
次回の参加をお待ちしています。
では、また、