2020年06月13日(土) 【紹介】記録本:「手書きの参宮記集」 飯田良樹
飯田良樹さんと言えば医師でありながら郷土史研究など本業以外でも幅広く活動し、広範なネットワークを有している方。拙ブログでは何度も紹介している。
【参考】
その飯田良樹さんから連絡があった。
例の本が完成し印刷会社へ受け取りに行くので、そちらへ来てもらえれば第一号を差し上げます。
と。その甘い言葉に誘われて伊勢市村松町(製版は有限会社ミカミプロセス、印刷は北浜印刷工業有限会社が担当)を訪れた。
そして、現地で受け取った本が、こちらの「手書きの参宮記集」であった。
かがり綴じの全104頁におよぶカラー印刷。本の仕上がりも素晴らしいし、この本を制作した経緯や思いも素晴らしい。そのことについては「はじめに」と「おわりに」に記されているので、引用して紹介する。
はじめに
十年以上前、手術後のゆっくりした時間を持て余した私は、先祖が江戸時代から明治にかけて旅籠朝日屋藤助を営んでいた事を思い出し、道中記(日記・定宿帳・案内記)に朝日屋藤助が掲載されていないか博物館や図書館で調べたり、収集したりするようになりました。
今はかなりの道中記が集まりましたが、その中に版画ではなく手書きで描かれた絵を掲載した道中記が目にとまりました。
版画であれば、沢山の数が残っていますが、手書きであれば世に一つしかないので何かの形で残しておきたいと思い、本の製作を思いつきました。
道中記は三冊あり、(一)俳句と絵を交えた物、(二)名所図会のような細部まで描かれた物、(三)俯瞰図的に書かれた絵の物と三者三様です。
(二)と(三)は二頁にわたる絵があり、どの様な形で一冊にまとめるか悩みましたが、三冊とも一頁毎に撮影し、二頁に合わせて見開き頁を一頁とすることで製本しました。また、古書は和紙を二つ折りにしている関係で次の頁が透けて見えて一緒に写ってしまいますが、折った頁の間に紙を差し入れて透けを解消いたしました。
手書きの道中記を楽しんで頂けたら幸いです。
令和二年五月吉日 飯田良樹
おわりに
これら三冊の手書きの絵が載っている古書を製本した理由はまえがきにも書いたように、版本であれば多数世に出ているが、手書きであればこの世に一冊しかないので製本して残しておきたいと思ったからです。
この思いは、私の気持ちの中に強く残っている事が以前にあったからです。『明治二年 参宮道名所圖絵』を入手した時に、やはり自分一人で楽しむよりは製本して皆さんに見て貰おうと、表紙を作り、絵の部分をコピー機で複写し、コメントを書いて平成二十七年十月十八日発行と発行者氏名を入れて手作りで二十冊製本しました。作った本を郷土史仲間や世話になっている先生方にお配りしたところ好評だったので、図書館に置いていただけるか確認を取ると、コピー製本は置けないと言われてしまいました。この事を知った門暉代司氏が『三重県史 通史編 近世Ⅰ』に「津城下の火の見梯子」と題して津の絵を掲載していただき、参考文献に「参宮道名所圖絵」を紹介していただきました。やはり、ちゃんとした製本せねばとその時に強く思いました。
『天保十一年 伊勢両宮参り(仮題)』は平成二十五年に『雲出川』の執筆依頼があり、『伊勢の薬 萬金丹』を書きました。当時、この古書を入手していたので、朝熊岳の萬金丹の部分を掲載しようと思いましたが、独特の文章であったので朝熊岳の部分を志摩市歴史民俗博物館長 崎川由美子さんに翻刻していただき、無事掲載することができました。
『文化八年 伊勢大和紀伊巡圖』は、今回がはじめての使用となります。
平成二十四年に『天保十一年 伊勢両宮参り(仮題)』を入手してから足掛け八年でやっと製本し、三冊が日の目をみることになりました。また、この本に関連した版画や版本を付録として掲載いたしました。
この本が製作出来たのも、加茂姉妹のご援助並びに諸先生や友人のご支援のおかげと感謝しています。
この制作意図を知ったので、本記事のタイトルにはあえて 記録本 のキーワードを追記した。
その概要は次の通り。
【目次】
(一)天保十一年 伊勢両宮参り(仮題):俳句と絵を交えた物
(二)明治二年 参宮道名所圖絵:名所図会のような細部まで描かれた物
(三)文化八年 伊勢大和紀伊巡圖:俯瞰図的に書かれた絵の物
【付録】
など
【さらなる付録】
この記録本には、別冊として次の冊子も添付されていた。
それは(一)天保十一年 伊勢両宮参り(仮題)としてその一部分が抽出された元の古書を表紙の雰囲気も再現したものだった。
すべてが素晴らしい。
興味のある方はご一報ください。