2021年07月04日(日) 御薗小学校の校庭には御薗橋(馬瀬川)の親柱?(伊勢市御薗町長屋) (徒歩)
午後から宮後へ向かう途中、御薗小学校の脇を歩くと
見通しが良くなったフェンスの向こう側に石作りのものを見つけた。
フェンス越しに確認するとどうも橋の親柱のようだ。陰刻された橋名は、なぜかモルタルのようなのもので埋められている。微妙ではあるが、文字の境界を確認できた。最初の文字は「み」、次は「そ」か?
小学校の校庭へは許可を得ないと入れないので、もう一基もこちらから確認すると、「馬」のようだ。
「み」「そ」「馬」から想像できる橋は、「馬瀬川」に架かっていた「御薗橋」である。
その後、目的地から戻ると
現在の御薗橋を確認した。
以前に次の記事でも紹介したように
【参考】
- 御薗村誌に触発されて訪れた御薗橋、御薗神社(伊勢市御薗町) 2020年05月05日
こちらが現在の御薗橋である。
今はこのような小さな排水路に架かる
小さな橋であり、さきほどの立派な親柱は不似合いである。
御薗橋の近くにある伊勢市御薗B&G海洋センターの入口付近には
こちらの説明板が立っている。
御薗橋跡
昔、この付近には、宮川の支流の馬瀬川が流れていました。そのために小林・上条地区は、川に囲まれ孤島のようになっていました。人々が川を渡る手段としては、渡し舟が利用されていましたが、少し雨が降っても馬瀬川は増水し、渡し舟を出すことができず、その様な時は、伊勢市の馬瀬町にあった橋まで廻って川を渡らなければなりませんでした。橋がないことによって子供達の通学や人々の行き交い、さらには生活用品の流通にも大変な支障をきたしていました。
明治四十五年小林・上条地区住民からの強い要望で、ここに御薗橋が建設され日常生活道として大いに利用されました。その後、幾度かの水害により破損し補修されましたが、昭和五年鉄筋コンクリートの橋に掛け替えられました。馬瀬川は、干拓事業により次第に新田へと変わって小林・上条地区は陸続きとなり、必要の無くなった御園橋は、昭和二十六年頃壊されて現在に至ります。
この説明書きによれば、
御薗小学校の校庭に残されている親柱は、昭和五年に架けられた鉄筋コンクリート橋のものだろうか? なぜに小学校まで運ばれたのか?