2021年09月25日(土) 木造船みずき、説明板とともに海の駅 神社にて(伊勢市神社港) (車、徒歩)
清雲院を後にして勢田川へ出るとそこは海の駅 神社。
以前に紹介したようにNPO法人 神社みなとまち再生グループが運航する観光船の初代みずき「木造船みずき」は廃船となり、新造船「みずきⅡ世」が代替わりしている。
【参考】
- 廃船となっていた木造船「みずき」 2021年04月24日
- 引退した木造船「みずき」に代わる「みずきⅡ世」誕生、神社 海の駅(伊勢市神社港) 2021年06月12日
- 初就航に向け船外機が載せ替えられた「みずきⅡ世」と悲しげな「みずき」、神社 海の駅(伊勢市神社港) 2021年07月17日
「木造船みずき」の行く末が気になっていたので、海の駅から下流側に係留されている場所へ向かうと
「木造船みずき」は以前に確認した場所にあり
その傍らには次の説明板が新たに設置されていた。
伊勢船型の由来と経緯(木造船みずき)
宮川、勢田川及び五十鈴川によって出来た三角州に在るこの地域は、特に伊勢の大湊として古くから全国有数の木造船建造地として発展し、その中から伊勢船型は生み出された。
宮川の上流は杉及び檜等の造船用材に適した森林を豊富に有する大台ケ原山系を控え、また宮川の水利を活かして造船用材を筏を組んで搬出することが容易であることから立地条件にめぐまれていたことが考えられる。一、伊勢船型は十五世紀に確立され、十六世紀初期に伊勢の大湊を中心に伊勢地方のみならず、西は瀬戸内海から東は関東地方まで広まり戦国時代から江戸初期にかけて大型荷船として最盛期を迎えている。
一、また、いくさぶね(軍船)として石山本願寺攻め、朝鮮戦役等、また小田原攻めの食料補給船としても多数建造され元禄元年(1688)水戸光圀が蝦夷地探検のため建造した快風丸は伊勢船型を採用している。
一、伊勢船型の特徴は船首材を一般の木船に見られる一本材ではなく、戸立(平板)で構成されている。
一、船体構造は柵板構造即ち柵(外板)と敷(船底竜骨)により船体縦強度を担い、強度は横梁により担う仕様である。
一、江戸中期以降は帆走性能を向上させた弁才船(船首材が一本材の千石船と言われている船)に大型荷船の地位を奪われた。
大型荷船としての主役の座を譲った伊勢船型は、現在に至るまで主として各地の川船(利根川の高瀬船)等として継承されるが昭和三十年代まで伊勢湾、三河湾沿岸域の海運の主役を務めた伊勢団平船は伊勢船型の流れを汲む船型であり、船首前端は戸立構造、船底は敷構造にて構成され、外板は柵構造であるが、棚押さえと称して肋骨を設置した西洋型構造と和船型構造との折衷構造の木造機帆船として建造されていた。
こんな立派な説明板が併設されたとなれば、「木造船みずき」はしばらくこの状態で展示されるのだろうか?
そんなことを思いながら、一色大橋から
「木造船みずき」を遠望した。